弘道館記述義 / 西土唐虞三代・唐虞三代に学ぶ点と取り入れない点
乃若西土唐虞三代之治敎。資以贊皇猷。臣彪謹案。克明俊德。以親九族。平章百姓。協和萬邦。黎民於變時雍者。唐之治敎也。明四目達四聰。敷五敎明五刑。二十有二人惟時亮天功。無爲而正南面者虞之治敎也。知人安民哲而惠。卑宮室薄飲食。竭力於溝洫致孝於鬼神者。夏之所以受禪。明德恤祀立賢無方。曰帝心不蔽簡在帝心。萬方有罪在予一人者。般之所以興。視民如傷。不泄邇不忘遠。設官制禮。法天地象四時。郁郁乎文者。周之所以盛。合而言之三代之治敎也。自唐至周易姓既五。厥後廢興不一。國號隨變。故槩之云西土。蓋循大化詔文也。夫天地之生人爲貴。而人之爲生。待食而飽。待衣而暖。待宮室而安處。殆若不如鳥獸魚蟲遂其生於飛游奔走之間者。然而飛者矰之。游者綸之。走者罔之。收其羽毛齒角鱗介而用之者人之所以靈也。神州之尊冠絶萬國固也。然質有餘而文或不足。實既完而名或有闕。西土之爲邦。智巧夙開。制度典章煥乎可觀。則資彼有餘以補我不足者。亦天地之常理而聖知之用心也。及至後世聞見日廣。人漸忘本不曾溺於西土之文。乃或信南蠻北狄之敎。以華變夷。噫此奚異於以人而羨羽毛鱗介也。於是慕古之士。慨然以爲。胡敎之入神州。儒者啓之。乃斥周孔。欲併廢孝弟仁義之名。噫是亦猶廢衣服宮室。曰奚不從。裸裎野處之簡易也。抑亦惑矣。然則唐虞三代之道。可悉用於神州乎。曰否。治敎之可資者。既粗已陳於前。而有決不可用者二焉。曰禪讓也。曰放伐也。虞夏禪讓。般周放伐。而秦漢以降欺孤兒寡婦以篡其位者。必藉口於舜禹滅宗國。弑舊主以奪天下者。必託名於湯武。歷代之史既過二十。不曾上下易位。或併內外之分而失之。所謂拓拔耶律完顏奇渥溫愛新覺羅者。何等種類何等功德。而九州臣民若崩其角。又從而贊揚其美。動比唐虞。不亦可憫笑乎。赫赫神州。自天祖之命天孫。皇統一姓傳諸無窮。天位之尊猶日月之不可踰。則萬世之下。雖有德匹舜禹。智侔湯武者。亦唯有一意奉上以亮天功而已。萬一有唱其禪讓之說者。凡大八洲臣民。
新字:乃若西土唐虞三代之治教。資以賛皇猷。臣彪謹案。克明俊徳。以親九族。平章百姓。協和万邦。黎民於変時雍者。唐之治教也。明四目達四聰。敷五教明五刑。二十有二人惟時亮天功。無為而正南面者虞之治教也。知人安民哲而恵。卑宮室薄飲食。竭力於溝洫致孝於鬼神者。夏之所以受禅。明徳恤祀立賢無方。曰帝心不蔽簡在帝心。万方有罪在予一人者。般之所以興。視民如傷。不泄邇不忘遠。設官制礼。法天地象四時。郁郁乎文者。周之所以盛。合而言之三代之治教也。自唐至周易姓既五。厥後廃興不一。国号随変。故槩之云西土。蓋循大化詔文也。夫天地之生人為貴。而人之為生。待食而飽。待衣而暖。待宮室而安処。殆若不如鳥獣魚虫遂其生於飛游奔走之間者。然而飛者矰之。游者綸之。走者罔之。収其羽毛歯角鱗介而用之者人之所以霊也。神州之尊冠絶万国固也。然質有余而文或不足。実既完而名或有闕。西土之為邦。智巧夙開。制度典章煥乎可観。則資彼有余以補我不足者。亦天地之常理而聖知之用心也。及至後世聞見日広。人漸忘本不曽溺於西土之文。乃或信南蠻北狄之教。以華変夷。噫此奚異於以人而羨羽毛鱗介也。於是慕古之士。慨然以為。胡教之入神州。儒者啓之。乃斥周孔。欲併廃孝弟仁義之名。噫是亦猶廃衣服宮室。曰奚不従。裸裎野処之簡易也。抑亦惑矣。然則唐虞三代之道。可悉用於神州乎。曰否。治教之可資者。既粗已陳於前。而有決不可用者二焉。曰禅譲也。曰放伐也。虞夏禅譲。般周放伐。而秦漢以降欺孤児寡婦以篡其位者。必藉口於舜禹滅宗国。弑旧主以奪天下者。必託名於湯武。歴代之史既過二十。不曽上下易位。或併内外之分而失之。所謂拓抜耶律完顔奇渥温愛新覚羅者。何等種類何等功徳。而九州臣民若崩其角。又従而賛揚其美。動比唐虞。不亦可憫笑乎。赫赫神州。自天祖之命天孫。皇統一姓伝諸無窮。天位之尊猶日月之不可踰。則万世之下。雖有徳匹舜禹。智侔湯武者。亦唯有一意奉上以亮天功而已。万一有唱其禅譲之説者。凡大八洲臣民。
書き下し
乃ち西土唐虞三代の治教の若きは、資りて以て皇猷を賛く。臣彪謹んで案ずるに、克く俊徳を明らかにして以て九族に親しみ、百姓を平章し、万邦を協和し、黎民於変ひ時れ雍ぐとは、唐の治教なり。四目を明らかにし四聡を達し、五教を敷き五刑を明らかにし、二十有二人惟れ時に天功を亮け、為す無くして南面に正しとは、虞の治教なり。人を知り民を安んじ、哲にして恵あり、宮室を卑くし飲食を薄くし、力を溝洫に竭くし孝を鬼神に致すとは、夏の禅を受くる所以なり。徳を明らかにし祀を恤み、賢を立つること方無く、帝心蔽はず、簡ぶこと帝心に在り、万方罪有らば予一人に在りと曰ふとは、殷の興る所以なり。民を視ること傷つけるが如く、邇きを泄れず遠きを忘れず、官を設け礼を制し、天地に法り四時に象り、郁郁乎として文なるとは、周の盛んなる所以なり。合して之を言へば三代の治教なり。唐自り周に至るまで、姓を易ふること既に五。厥の後廃興一ならず、国号変に随ふ。故に槩ね之を西土と云ふは、蓋し大化の詔文に循ふなり。夫れ天地の人を生ずるや貴しと為す。而して人の生を為すや、食を待ちて飽き、衣を待ちて暖かに、宮室を待ちて安処す。殆ど鳥獣魚虫の飛び游ぎ奔り走る間に其の生を遂ぐるに如かざるが若し。然れども飛ぶ者は之を矰し、游ぐ者は之を綸し、走る者は之を罔し、其の羽毛歯角鱗介を収めて之を用ふるは、人の霊たる所以なり。神州の尊きこと万国に冠絶するは固よりなり。然れども質は余り有りて文は或いは足らず、実は既に完くして名は或いは闕くる有り。西土の邦たる、智巧夙に開け、制度典章煥乎として観るべし。則ち彼の有余に資りて以て我が不足を補ふは、亦た天地の常理にして聖知の用心なり。後世に至り、聞見日に広まり、人漸く本を忘れ、西土の文に溺れざるのみならず、乃ち或いは南蛮北狄の教を信じ、華を以て夷に変ふ。噫、此れ奚ぞ人を以て羽毛鱗介を羨むに異ならんや。是に於て古を慕ふの士、慨然として以為らく、胡教の神州に入るは、儒者之を啓く、と。乃ち周孔を斥け、併せて孝弟仁義の名を廃せんと欲す。噫、是れ亦た猶ほ衣服宮室を廃して、曰く奚ぞ裸裎野処の簡易に従はざる、と。抑も亦た惑へり。然らば則ち唐虞三代の道は、悉く神州に用ふべきか。曰く否。治教の資るべき者は、既に粗〻前に陳ぶ。而して決して用ふべからざる者二有り。曰く禅譲なり、曰く放伐なり。虞夏は禅譲し、殷周は放伐す。而して秦漢以降、孤児寡婦を欺きて以て其の位を簒ふ者は、必ず舜禹に藉口し、宗国を滅ぼし旧主を弑して以て天下を奪ふ者は、必ず湯武に託名す。歴代の史既に二十を過ぐるも、曾て上下位を易へず、或いは内外の分を併せて之を失ふ。所謂拓跋・耶律・完顔・奇渥温・愛新覚羅は、何等の種類、何等の功徳ぞ。而るに九州の臣民、角を崩すが若く、又た従ひて其の美を賛揚し、動もすれば唐虞に比す。亦た憫笑すべからずや。赫赫たる神州は、天祖の天孫に命じたまひしより、皇統一姓、諸を無窮に伝ふ。天位の尊きこと猶ほ日月の踰ゆべからざるがごとし。則ち万世の下、徳舜禹に匹し、智湯武に侔しき者有りと雖も、亦た唯だ一意奉上して以て天功を亮くるのみ。万一其の禅譲の説を唱ふる者有らば、凡そ大八洲の臣民、
現代語訳
さて、中国の唐・虞・三代の政治と教化は、これを借りて皇室の大計を助けます。臣の彪が謹んで考えますに、優れた徳をよく明らかにして九族と親しみ、百姓を明らかに治め、万国を和合させ、民が善に変わって和らぐ、というのが唐(堯)の治教です。四方の目を明らかにして四方の耳を通じさせ、五教を敷き五刑を明らかにし、二十二人の臣がこの時に天の仕事を助け、何もせずに南面して正しくあった、というのが虞(舜)の治教です。人を知り民を安んじ、賢明で恵みがあり、宮室を低くし飲食を薄くし、力を溝や用水路に尽くし、孝を鬼神に尽くした、というのが夏(禹)が禅譲を受けた理由です。徳を明らかにし祭祀を慎み、賢者の登用に決まった方法を設けず、「天帝の心は覆われず、選ぶのは天帝の心にある、万方に罪があれば私一人にある」と言った、というのが殷(湯)が興った理由です。民を傷ついた者のように見、近いものを軽んじず遠いものを忘れず、官を設け礼を制し、天地にのっとり四季にかたどり、文化が盛んに輝いた、というのが周が盛んになった理由です。合わせて言えば三代の治教です。唐から周まで姓が変わること五回。その後も興亡は一様でなく、国号は変化に随いました。「西土」と総称するのは、大化の詔文に従ったものです。そもそも天地が生んだ者のなかで、人は貴いものです。しかし人が生きていくには、食べて満腹になり、衣を着て暖かくなり、家に住んで安らぎます。鳥や獣、魚や虫が飛び泳ぎ走る中で生を全うするのに及ばないようにすら見えます。けれども、飛ぶものは矢で射、泳ぐものは糸で釣り、走るものは網で捕らえ、その羽毛・歯・角・鱗・甲を収めて用いるのは、人が万物の霊長だからです。我が国の尊さが万国に抜きんでていることは言うまでもありません。しかし質は十分でも文は足りないことがあり、実は完全でも名は欠けることがあります。中国は、知恵や技巧が早くから開け、制度や典章が輝かしく見るに値します。ならば、彼の有り余るものを借りて我が不足を補うのも、天地の常の理であり、聖人の知恵の用い方です。後世になると、見聞が日に広がり、人々は次第に本を忘れ、中国の文化に溺れるだけでなく、さらに南蛮や北狄の教えを信じ、華を夷に変えてしまいました。ああ、これは人が鳥獣魚虫の羽毛や鱗を羨むのと何が違うでしょうか。そこで古を慕う士は憤慨して、異国の教えが我が国に入ったのは儒者が開いたのだと考えました。そして周公・孔子を斥け、孝悌仁義の名まで廃そうとしました。ああ、これも、衣服や家を廃して「なぜ裸で野に住む簡素な生活に従わないのか」と言うようなものです。惑いというほかありません。それでは、唐・虞・三代の道は、すべて我が国に用いてよいのでしょうか。いいえ。治教の借りるべきものは、すでにおおよそ前に述べました。決して用いてはならないものが二つあります。禅譲と放伐です。虞・夏は禅譲し、殷・周は放伐しました。そして秦・漢以降、孤児や寡婦を欺いてその位を奪う者は、必ず舜・禹を口実にし、宗国を滅ぼし旧主を殺して天下を奪う者は、必ず湯・武の名を借りました。歴代の史書は二十を超えましたが、上下の位が入れ替わらなかったことはなく、あるいは内外の区別さえ失いました。拓跋・耶律・完顔・奇渥温・愛新覚羅といった者たちは、どんな種族で、どんな功徳があるのでしょう。それなのに九州の臣民は角を崩すように頭を垂れ、さらに従ってその美をほめたたえ、ともすれば唐・虞になぞらえます。哀れで笑うべきではありませんか。輝かしい我が国は、天祖が天孫に命じられてから、皇統は一姓で、これを無窮に伝えています。皇位の尊さは日月が越えられないのと同じです。それゆえ万世のちに、徳が舜・禹に並び、知恵が湯・武に等しい者がいても、ただ一途に上を奉じて天の事業を助けるのみです。万一、禅譲の説を唱える者があれば、すべての大八洲の臣民は、
解説
この章句が説くこと
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尚書・堯典帝曰く、「咨(ああ)、四岳。湯湯(しやうしやう)たる洪水方(まさ)に割(そこな)ひ、蕩蕩として山を懐(つつ)み陵に襄(のぼ)り、浩浩として天に滔(はびこ)る。下民其れ咨(なげ)く。能く乂(をさ)めしむる有らんか」と。僉(みな)曰く、「於(ああ)、鯀(こん)なるかな」と。帝曰く、「吁(ああ)、咈(もと)れるかな。命に方(さか)らひ族を圮(やぶ)る」と。岳曰く、「异(や)めんかな。試みて可なれば乃ち已(や)まん」と。帝曰く、「往け、欽(つつし)まんかな」と。九載、績用(もつ)て成らず。帝曰く、「咨、四岳。朕位に在ること七十載。汝能く命を庸(もち)ゐる、朕が位を巽(ゆづ)らん」と。岳曰く、「否徳、帝位を忝(はづかし)めん」と。曰く、「明明を明らかにし、側陋を揚げよ」と。師錫(あた)へて帝に曰く、「鰥(やもを)の下に在る有り、虞舜と曰ふ」と。帝曰く、「俞(しか)り、予聞けり。如何」と。岳曰く、「瞽(こ)の子なり。父は頑(かたくな)に、母は嚚(おろか)に、象は傲(おご)る。克く諧(やはら)ぐるに孝を以てし、烝烝(じようじよう)として乂(をさ)め、姦に格(いた)らしめず」と。帝曰く、「我其れ試みんかな」と。時(これ)に女(めあは)せ、厥(そ)の刑(のり)を二女に観る。二女を嬀汭(きぜい)に釐降(りかう)し、虞に嬪(よめ)せしむ。帝曰く、「欽まんかな」と。
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尚書・大禹謨予乃(なんぢ)の徳を懋(ほ)め、乃の丕績(ひせき)を嘉(よみ)す。天の暦数汝の躬(み)に在り、汝終(つひ)に元后に陟(のぼ)らん。
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説苑・至公秦の始皇帝既に天下を吞み、乃ち群臣を召して議して曰く、「古は五帝賢に禪り、三王世々繼ぐ、孰か是なる。將に之を為さんとす」と。博士七十人未だ對えず。鮑白令之對えて曰く、「天下を官とすれば、則ち賢に讓るは是なり。天下を家とすれば、則ち世々繼ぐは是なり。故に五帝は天下を以て官と為し、三王は天下を以て家と為す」と。秦の始皇帝天を仰ぎて歎じて曰く、「吾が德五帝より出づ、吾將に天下を官とせんとす、誰か我に代わりて後を為さしむべき者ぞ」と。鮑白令之對えて曰く、「陛下桀紂の道を行いて、五帝の禪を為さんと欲す、陛下の能く行う所に非ざるなり」と。秦の始皇帝大いに怒りて曰く、「令之前め、若何を以て我桀紂の道を行うと言うか。趣かに之を説け、解せずんば則ち死せん」と。令之對えて曰く、「臣請う之を說かん。陛下臺を築くこと雲を干し、宮殿五里、千石の鐘を建て、萬石の虡、婦女連なること百、倡優累なること千、驪山の宮室を興作して雍に至るまで、相繼ぎて絕えず、自ら奉ずる所以は、天下を殫くし、民力を竭くし、偏駮して自ら私し、以て人に及ぼす能わず、陛下は所謂自營にして僅かに存する主なり。何ぞ暇あって五帝に德を比し、天下を官とせんと欲せんや」と。始皇闇然として以て之に應うる無し、面に慚色有り。之を久しくして曰く、「令之の言、乃ち眾をして我を醜まらしむ」と。遂に謀を罷め、禪の意無きなり。
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『潜夫論』五德誌後嗣の慶都、龍と合婚し、伊堯を生む、高辛氏に代わる、其の眉は八彩、世に唐と号す。楽「大章」を作り、始めて位を禅る。武王殷に克ちて其の胄を鋳に封ず。含始、赤珠を呑み、剋して曰く「玉英漢を生ず」と。龍、女媼に感じ、劉季興る。大電、枢を繞りて野を炤らし、符宝に感じ、黄帝軒轅を生み、炎帝氏に代わる。其の相は龍顔、其の徳は土行、雲を以て紀す、故に雲師と為して雲名あり。楽「咸池」を作り、是れ始めて衣裳を製す。後嗣の握登、大虹を見、意に感じて重華虞舜を生む。其の目は重瞳、堯に事う、堯乃ち位を禅りて曰く、「爾舜に格れ、天の暦数は爾が躬に在り、允に厥の中を執れ、四海困窮せば、天禄永く終わらん」と。乃ち終わりを文祖に受くるなり、有虞と号し、楽「九韶」を作り、位を禹に禅る。武王殷に克ちて胡公媯満を陳に封じ、庸て元女大姫を以てす。大星虹の如く、華渚に下流し、女節夢に接し、白帝摯青陽を生む、世に少昊と号す。黄帝氏に代わり、曲阜に都し、其の徳は金行、其の立つや、鳳皇適に至る、故に鳥を以て紀す。鳳鳥氏は、暦正なり。玄鳥氏は、分を司る者なり。伯趙氏は、至を司る者なり。青鳥氏は、啓を司る者なり。丹鳥氏は、閉を司る者なり。
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史記 燕召公世家湣公三十一年にして卒し、釐公立つ。是の歳、三晋列して諸侯と為る。釐公の三十年、伐ちて斉を林営に敗る。釐公卒し、桓公立つ。桓公十一年にして卒し、文公立つ。是の歳、秦の献公卒す。秦益々彊し。文公の十九年、斉の威王卒す。二十八年、蘇秦始めて来たり見え、文公に説く。文公車馬金帛を予へて以て趙に至らしむ。趙の粛侯之を用ふ。因りて六国を約し、従長と為る。秦の恵王其の女を以て燕の太子の婦と為す。二十九年、文公卒し、太子立つ。是を易王と為す。易王初めて立つや、斉の宣王燕の喪に因りて我を伐ち、十城を取る。蘇秦斉に説き、復た燕に十城を帰さしむ。十年、燕君王と為る。蘇秦燕の文公の夫人と私通し、誅せられんことを懼れ、乃ち王に説きて斉に使ひして反間を為し、以て斉を乱さんと欲す。易王立ちて十二年にして卒し、子の燕噲(かい)立つ。燕噲既に立ち、斉人蘇秦を殺す。蘇秦の燕に在るや、其の相子之と婚を為し、而して蘇代子之と交はる。蘇秦死するに及びて、斉の宣王復た蘇代を用ふ。燕噲の三年、楚・三晋と秦を攻め、勝たずして還る。子之燕に相として、貴重にして断を主る。蘇代斉の為に燕に使ひす。燕王問ひて曰く、「斉王は奚如(いかん)」と。対へて曰く、「必ず覇たらず」と。燕王曰く、「何ぞや」と。対へて曰く、「其の臣を信ぜず」と。蘇代以て燕王を激して以て子之を尊ばしめんと欲するなり。是に於て燕王大いに子之を信ず。子之因りて蘇代に百金を遺り、而して其の使ふ所を聴く。鹿毛寿燕王に謂ふ、「国を以て相の子之に譲るに如かず。人の堯を賢と謂ふ者は、其の天下を許由に譲るを以てなり。許由受けず。天下を譲るの名有りて、実は天下を失はず。今王国を以て子之に譲らば、子之必ず敢て受けず。是れ王堯と行を同じくするなり」と。燕王因りて国を子之に属す。子之大いに重し。
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荀子・正論篇国を擅(ゆず)ること有るも、天下を擅ること無きは、古今一なり。夫の「堯舜擅讓す」と曰うは、是れ虚言なり。是れ浅き者の伝、陋(いや)しき者の説なり。逆順の理、小大・至不至の変を知らざる者なり。未だ与に天下の大理に及ぶべからざるなり。

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