説苑 / 至公
秦始皇帝既吞天下,乃召群臣而議曰:「古者五帝禪賢,三王世繼,孰是?將為之。」博士七十人未對。鮑白令之對曰:「天下官,則讓賢是也;天下家,則世繼是也。故五帝以天下為官,三王以天下為家。」秦始皇帝仰天而歎曰:「吾德出于五帝,吾將官天下,誰可使代我後者。」鮑白令之對曰:「陛下行桀紂之道,欲為五帝之禪,非陛下所能行也。」秦始皇帝大怒曰:「令之前,若何以言我行桀紂之道也。趣說之,不解則死。」令之對曰:「臣請說之,陛下築臺干雲,宮殿五里,建千石之鐘,萬石之,婦女連百,倡優累千,興作驪山宮室至雍,相繼不絕,所以自奉者,殫天下,竭民力,偏駮自私,不能以及人,陛下所謂自營僅存之主也。何暇比德五帝,欲官天下哉?」始皇闇然無以應之,面有慚色。久之,曰:「令之之言,乃令眾醜我。」遂罷謀,無禪意也。
新字:秦始皇帝既呑天下,乃召群臣而議曰:「古者五帝禅賢,三王世継,孰是?将為之。」博士七十人未対。鮑白令之対曰:「天下官,則譲賢是也;天下家,則世継是也。故五帝以天下為官,三王以天下為家。」秦始皇帝仰天而嘆曰:「吾徳出于五帝,吾将官天下,誰可使代我後者。」鮑白令之対曰:「陛下行桀紂之道,欲為五帝之禅,非陛下所能行也。」秦始皇帝大怒曰:「令之前,若何以言我行桀紂之道也。趣説之,不解則死。」令之対曰:「臣請説之,陛下築台干雲,宮殿五里,建千石之鐘,万石之,婦女連百,倡優累千,興作驪山宮室至雍,相継不絶,所以自奉者,殫天下,竭民力,偏駮自私,不能以及人,陛下所謂自営僅存之主也。何暇比徳五帝,欲官天下哉?」始皇闇然無以応之,面有慚色。久之,曰:「令之之言,乃令衆醜我。」遂罷謀,無禅意也。
書き下し
秦の始皇帝既に天下を吞み、乃ち群臣を召して議して曰く、「古は五帝賢に禪り、三王世々繼ぐ、孰か是なる。將に之を為さんとす」と。博士七十人未だ對えず。鮑白令之對えて曰く、「天下を官とすれば、則ち賢に讓るは是なり。天下を家とすれば、則ち世々繼ぐは是なり。故に五帝は天下を以て官と為し、三王は天下を以て家と為す」と。秦の始皇帝天を仰ぎて歎じて曰く、「吾が德五帝より出づ、吾將に天下を官とせんとす、誰か我に代わりて後を為さしむべき者ぞ」と。鮑白令之對えて曰く、「陛下桀紂の道を行いて、五帝の禪を為さんと欲す、陛下の能く行う所に非ざるなり」と。秦の始皇帝大いに怒りて曰く、「令之前め、若何を以て我桀紂の道を行うと言うか。趣かに之を説け、解せずんば則ち死せん」と。令之對えて曰く、「臣請う之を說かん。陛下臺を築くこと雲を干し、宮殿五里、千石の鐘を建て、萬石の虡、婦女連なること百、倡優累なること千、驪山の宮室を興作して雍に至るまで、相繼ぎて絕えず、自ら奉ずる所以は、天下を殫くし、民力を竭くし、偏駮して自ら私し、以て人に及ぼす能わず、陛下は所謂自營にして僅かに存する主なり。何ぞ暇あって五帝に德を比し、天下を官とせんと欲せんや」と。始皇闇然として以て之に應うる無し、面に慚色有り。之を久しくして曰く、「令之の言、乃ち眾をして我を醜まらしむ」と。遂に謀を罷め、禪の意無きなり。
現代語訳
秦の始皇帝は天下を併呑した後、群臣を召し集めて議論させて言った、「昔の五帝は賢者に位を譲り、三王は世襲で継いだ。どちらが正しいのか。私はそれを実行しようと思う」と。博士七十人はまだ答えなかった。鮑白令之が答えて言った、「天下を公のものとするなら、賢者に譲るのが正しく、天下を私のものとするなら、世襲で継ぐのが正しいのです。だから五帝は天下を公とし、三王は天下を家とされたのです」と。秦の始皇帝は天を仰いで嘆じて言った、「私の徳は五帝を上回っている。私は天下を公のものとしよう。誰が私に代わって後を継ぐべきか」と。鮑白令之は答えて言った、「陛下は桀・紂の道を行いながら、五帝の禅譲を行おうとしておられます。それは陛下にはお出来にならないことです」と。秦の始皇帝は大いに怒って言った、「令之、進み出よ。お前はどうして私が桀紂の道を行っていると言うのか。ただちに説明せよ、納得できなければ死んでもらうぞ」と。令之は答えて言った、「では申し上げましょう。陛下は雲にも届くほどの高台を築き、五里四方の宮殿を建て、千石もの鐘や巨大な鐘架を作り、婦女は数百人も連ね、俳優や芸人は千人にも及び、驪山の宮室を興し雍にまで連なって絶えることがありません。ご自身を奉養するために天下の富を尽くし、民の力を使い果たし、偏り驕って自分だけを利し、人々に及ぼすことがありません。陛下はいわゆる自分だけを養ってかろうじて存続している君主にすぎません。どうして五帝に徳を比べ、天下を公にしようなどとする暇がありましょうか」と。始皇帝は暗然として答える言葉がなく、顔には恥じる色が浮かんだ。しばらくして言った、「令之の言葉は、私を人々に見苦しく思わせるものだ」と。そして禅譲の相談をやめ、譲位の意思をなくしたのである。
解説

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