弘道館記述義 / 蒼生以之安寧・民を大宝として生活を支える政
蒼生以之安寧。臣彪謹案。民之爲道也。憂莫切於饑寒。天祖始開種穀養蠶之道。民於是乎衣食焉。患莫甚於疾病災害。大巳貴命。少名彦命。始定療病厭災之方。民於是乎全活焉。居莫安於宮室。哀莫慘於死喪。素盞嗚尊。五十猛命。殖山林足材木。民於是乎養其生而慎其終焉。有太占以卜其吉凶。有盟神探湯以決其嫌疑。有禊祓以除其不祥。有歌詠以達其情思。若統其氏族。則有伴造。其任治敎。則有國造縣主稻置之屬。藏兵器於神祠。所以備不虞。戒非常。(崇神帝二十七年。納弓矢刀於諸社。三十九年作劔一千口。藏于石上神宮。史不詳其故。桓武帝延曆中。遷都於山城葛野。既而朝議以爲石上去都差遠可愼非常。乃遷石上社器仗於葛野。由是觀之崇神帝之藏兵器於神祠。其備不虞也明矣。因竊案兵器散在民間。適足以生禍。是故無事則藏諸神庫。及有事奉其兵仗以臨敵。則神靈所寓可以大張我軍威。其所以謀慮可謂深遠。日本武尊之征東夷。拜伊勢神宮奉其神劔而出。蓋亦此意。然史無明文。敢書鄙見以備考。)置屯倉於各所。所以足糧食賑凶荒。其他禮神祇禳疾疫。開池溝築堤防之類。無一不出於恤民厚生之誠者。此神皇發政施仁之大略也。是以天下人民安。四海無虞。年穀豐饒。家給人足。所謂蒼生以之安寧者。豈不信然乎。上古指人民曰於保美多訶良。於保者大也。美者御也。多訶良者寶也。其所以重生靈可謂至矣。夫農者天下之本。本固則邦安。國家之寶孰大焉。然則天下人牧欲安其民者。苟無失其所以爲大寶之意。則蓋庶乎不違神皇之道矣。(案周易云。聖人之大寶曰位。楚書云。唯善以爲寶。未有以民不寶者。但孟軻所謂諸侯之寶三。土地人民政事者。適暗合。而土地所以養人。政事所以理民。未如神皇專指人民爲大寶之得其根本也。)
新字:蒼生以之安寧。臣彪謹案。民之為道也。憂莫切於饑寒。天祖始開種穀養蠶之道。民於是乎衣食焉。患莫甚於疾病災害。大巳貴命。少名彦命。始定療病厭災之方。民於是乎全活焉。居莫安於宮室。哀莫惨於死喪。素盞嗚尊。五十猛命。殖山林足材木。民於是乎養其生而慎其終焉。有太占以卜其吉凶。有盟神探湯以決其嫌疑。有禊祓以除其不祥。有歌詠以達其情思。若統其氏族。則有伴造。其任治教。則有国造県主稲置之属。蔵兵器於神祠。所以備不虞。戒非常。(崇神帝二十七年。納弓矢刀於諸社。三十九年作剣一千口。蔵于石上神宮。史不詳其故。桓武帝延暦中。遷都於山城葛野。既而朝議以為石上去都差遠可慎非常。乃遷石上社器仗於葛野。由是観之崇神帝之蔵兵器於神祠。其備不虞也明矣。因窃案兵器散在民間。適足以生禍。是故無事則蔵諸神庫。及有事奉其兵仗以臨敵。則神霊所寓可以大張我軍威。其所以謀慮可謂深遠。日本武尊之征東夷。拝伊勢神宮奉其神剣而出。蓋亦此意。然史無明文。敢書鄙見以備考。)置屯倉於各所。所以足糧食賑凶荒。其他礼神祇禳疾疫。開池溝築堤防之類。無一不出於恤民厚生之誠者。此神皇発政施仁之大略也。是以天下人民安。四海無虞。年穀豊饒。家給人足。所謂蒼生以之安寧者。豈不信然乎。上古指人民曰於保美多訶良。於保者大也。美者御也。多訶良者宝也。其所以重生霊可謂至矣。夫農者天下之本。本固則邦安。国家之宝孰大焉。然則天下人牧欲安其民者。苟無失其所以為大宝之意。則蓋庶乎不違神皇之道矣。(案周易云。聖人之大宝曰位。楚書云。唯善以為宝。未有以民不宝者。但孟軻所謂諸侯之宝三。土地人民政事者。適暗合。而土地所以養人。政事所以理民。未如神皇専指人民為大宝之得其根本也。)
書き下し
蒼生、之を以て安寧なり。臣彪謹んで案ずるに、民の道たるや、憂ひは饑寒より切なるは莫し。天祖始めて種穀養蚕の道を開き、民是に於て衣食す。患ひは疾病災害より甚だしきは莫し。大巳貴命・少名彦命始めて療病厭災の方を定め、民是に於て全活す。居は宮室より安きは莫く、哀しみは死喪より惨なるは莫し。素盞嗚尊・五十猛命は山林を殖ゑ材木を足し、民是に於て其の生を養ひ其の終はりを慎む。太占有りて以て其の吉凶を卜し、盟神探湯有りて以て其の嫌疑を決し、禊祓有りて以て其の不祥を除き、歌詠有りて以て其の情思を達す。其の氏族を統ぶるが若きは、則ち伴造有り。其の治教を任ずるは、則ち国造・県主・稲置の属有り。兵器を神祠に蔵するは、不虞に備へ非常を戒むる所以なり。(崇神帝二十七年、弓矢刀を諸社に納む。三十九年、剣一千口を作り、石上神宮に蔵す。史、其の故を詳らかにせず。桓武帝延暦中、都を山城葛野に遷す。既にして朝議以為らく、石上は都を去ること差遠し、非常を慎むべし、と。乃ち石上社の器仗を葛野に遷す。是に由りて之を観れば、崇神帝の兵器を神祠に蔵すること、其の不虞に備ふるや明らかなり。因りて竊かに案ずるに、兵器の民間に散在するは、適〻以て禍を生ずるに足る。是の故に事無ければ則ち諸を神庫に蔵し、事有るに及びて其の兵仗を奉じて以て敵に臨めば、則ち神霊の寓する所、以て大いに我が軍威を張るべし。其の謀慮の深遠なる所以と謂ふべし。日本武尊の東夷を征するや、伊勢神宮を拝し其の神剣を奉じて出づ。蓋し亦た此の意なり。然れども史に明文無し。敢へて鄙見を書して以て考に備ふ。)屯倉を各所に置くは、糧食を足し凶荒を賑はす所以なり。其の他、神祇を礼し疾疫を禳ひ、池溝を開き堤防を築く類、一として恤民厚生の誠に出でざるは無し。此れ神皇の政を発し仁を施すの大略なり。是を以て天下の人民安く、四海虞れ無く、年穀豊饒に、家給し人足る。所謂蒼生之を以て安寧なる者、豈に信に然らずや。上古、人民を指して於保美多訶良と曰ふ。於保は大なり。美は御なり。多訶良は宝なり。其の生霊を重んずる所以、至れりと謂ふべし。夫れ農は天下の本なり。本固ければ邦安し。国家の宝、孰れか大ならん。然らば則ち天下の人牧、其の民を安んぜんと欲する者は、苟も其の大宝と為す所以の意を失ふ無くんば、則ち蓋し神皇の道に違はざるに庶からん。(案ずるに周易に云ふ、聖人の大宝を位と曰ふ、と。楚書に云ふ、唯だ善以て宝と為す、と。未だ民を以て宝と為す者有らず。但し孟軻の所謂諸侯の宝三、土地・人民・政事なる者、適〻暗合す。而れども土地は人を養ふ所以、政事は民を理むる所以、未だ神皇の専ら人民を指して大宝と為すの、其の根本を得たるに如かず。)
現代語訳
「蒼生、之を以て安寧なり」(民は、これによって安らかである)。臣の彪が謹んで考えますに、民の暮らしにとって、飢えと寒さほど切実な憂いはありません。天祖が初めて穀物を植え蚕を養う道を開き、民はそれによって衣食を得ました。病気と災害ほど深刻な患いはありません。大己貴命と少名彦命が初めて病を治し災いを除く方法を定め、民はそれによって命を全うしました。住まいは家屋ほど安らぐものはなく、悲しみは死別ほど痛ましいものはありません。素戔嗚尊と五十猛命は山林を育てて木材を足し、民はそれによって生活を養い、終わりを慎みました。太占によって吉凶を占い、盟神探湯によって疑いを決し、禊祓によって不祥を除き、歌によって心情を表しました。氏族を統べるには伴造があり、政治と教化を担うには国造・県主・稲置といった職がありました。兵器を神社に収めておくのは、不測の事態に備え、非常を戒めるためです。(崇神天皇の二十七年、弓矢や刀を各社に納めた。三十九年、剣千口を作り、石上神宮に収めた。史書はその理由を詳しく記さない。桓武天皇の延暦のころ、都を山城の葛野に遷した。やがて朝議で、石上は都からやや遠いので、非常に慎むべきだと考えられた。そこで石上の社の武器を葛野に移した。これによって見れば、崇神天皇が兵器を神社に収めたのは、不測に備えたものであることが明らかである。そこでひそかに考えるに、兵器が民間に散らばるのは、かえって禍いを生む。そのため、事がなければ神庫に蔵し、事があれば武器を奉じて敵に臨めば、神霊の宿るところ、大いに我が軍の威を張ることができる。その考えの深遠さを示すものと言える。日本武尊が東国を征するとき、伊勢神宮を拝してその神剣を奉じて出発した。これもこの意であろう。しかし史書に明文はない。あえて私見を書いて考証に備える。)屯倉を各地に置いたのは、食糧を満たして凶作や飢饉に対応するためです。そのほか、神々を祭り疫病を払い、池や溝を開き堤防を築くといったことは、一つとして民をいたわり暮らしを豊かにするまことから出ないものはありません。これが神である天皇が政を行い仁を施した大略です。こうして天下の人民は安らかで、四海に憂いなく、穀物は豊かに実り、家々は満ち足り人々は十分でした。「蒼生、これによって安寧」とは、まことにそのとおりではありませんか。上古には、人民を「オホミタカラ」といいました。「オホ」は大、「ミ」は御、「タカラ」は宝です。生きる民を重んじたことは、極まっていると言えます。そもそも農は天下の本です。本が固ければ国は安らかです。国の宝として、これより大きなものがあるでしょうか。そうであれば、天下の人を養い治める者が、その民を安んじようとするなら、民こそが大宝であるという意を失わなければ、神である天皇の道に違わないでしょう。(考えますに、『周易』は「聖人の大宝を位という」と言い、『楚書』は「ただ善だけを宝とする」と言う。まだ民を宝とする者はない。ただ孟子が言う「諸侯の宝は三つ、土地・人民・政事」というのは、たまたま暗合する。しかし土地は人を養うもの、政事は民を治めるものであって、神である天皇がもっぱら人民を指して大宝とした、その根本を得ていることには及ばない。)
解説
この章句が説くこと
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