弘道館記述義 / 蠻夷戎狄以之率服・敬神・愛民・尚武の三つの要
神兵所向。虜酋懾伏。三韓稱藩而朝貢。當是際國威赫赫日隆。一日。若新羅國王之子。若秦王嬴政之裔。萬里航海。望風歸化。東夷西戎奔走執役。金銀綾羅朝貢不絶。視諸蕃猶外府。豈不盛哉。(記文自上古神聖立極垂統。至蠻夷戎狄以之率服。皆言未有儒敎之時。故臣亦專就應神帝以上。述其大略。不敢說及中世云。)蓋蒼生安寧。是以寶祚無窮。寶祚無窮。是以國體尊嚴。國體尊嚴。是以蠻夷戎狄率服。四者循環如一。各相須濟美。而其所以然者。未始不在斯道之所致也。其爲道光明正大。固不易一二數。然嘗竊瞻仰神皇經綸之迹。以後世之名述之。則其要有三焉。曰敬神。曰愛民。曰尙武。古史雖簡。而其大體彰明較著。不可誣也。夫赫赫之威。莫盛於天日。照育之恩。亦莫大於太陽。恩者仁之施也。威者義之發也。天皇既承天日之嗣。撫育蒼生。又據太陽之所出。君臨萬方。恩威兼施。仁厚勇武並行而不相悖者。蓋神皇立極之大體。而神州之所以冠絶宇內者。其亦在斯歟。
新字:神兵所向。虜酋懾伏。三韓称藩而朝貢。当是際国威赫赫日隆。一日。若新羅国王之子。若秦王嬴政之裔。万里航海。望風帰化。東夷西戎奔走執役。金銀綾羅朝貢不絶。視諸蕃猶外府。豈不盛哉。(記文自上古神聖立極垂統。至蠻夷戎狄以之率服。皆言未有儒教之時。故臣亦専就応神帝以上。述其大略。不敢説及中世云。)蓋蒼生安寧。是以宝祚無窮。宝祚無窮。是以国体尊厳。国体尊厳。是以蠻夷戎狄率服。四者循環如一。各相須済美。而其所以然者。未始不在斯道之所致也。其為道光明正大。固不易一二数。然嘗窃瞻仰神皇経綸之迹。以後世之名述之。則其要有三焉。曰敬神。曰愛民。曰尚武。古史雖簡。而其大体彰明較著。不可誣也。夫赫赫之威。莫盛於天日。照育之恩。亦莫大於太陽。恩者仁之施也。威者義之発也。天皇既承天日之嗣。撫育蒼生。又拠太陽之所出。君臨万方。恩威兼施。仁厚勇武並行而不相悖者。蓋神皇立極之大体。而神州之所以冠絶宇内者。其亦在斯歟。
書き下し
神兵の向かふ所、虜酋懾伏し、三韓藩と称して朝貢す。是の際に当たりて国威赫赫として日に隆んなり。一日、新羅国王の子の若き、秦王嬴政の裔の若き、万里海を航り、風を望んで帰化す。東夷西戎奔走して役に執り、金銀綾羅の朝貢絶えず。諸蕃を視ること猶ほ外府のごとし。豈に盛んならずや。(記文は上古神聖の極を立て統を垂るより、蛮夷戎狄之を以て率服するに至るまで、皆未だ儒教有らざるの時を言ふ。故に臣も亦た専ら応神帝以上に就きて、其の大略を述べ、敢へて中世に説き及ばずと云ふ。)蓋し蒼生安寧なり、是を以て宝祚無窮なり。宝祚無窮なり、是を以て国体尊厳なり。国体尊厳なり、是を以て蛮夷戎狄率服す。四者循環して一の如く、各〻相須ちて美を済す。而して其の然る所以の者は、未だ始めより斯の道の致す所に在らずんばあらず。其の道たる光明正大、固より一二数へ易からず。然れども嘗て竊かに神皇経綸の迹を瞻仰し、後世の名を以て之を述ぶれば、則ち其の要に三有り。曰く敬神、曰く愛民、曰く尚武。古史簡なりと雖も、其の大体は彰明較著にして、誣ふべからず。夫れ赫赫の威は天日より盛んなるは莫く、照育の恩も亦た太陽より大なるは莫し。恩は仁の施しなり。威は義の発なり。天皇既に天日の嗣を承け蒼生を撫育し、又た太陽の出づる所に拠りて万方に君臨し、恩威兼ね施し、仁厚勇武並び行はれて相悖らざる者は、蓋し神皇立極の大体にして、神州の宇内に冠絶する所以の者、其れ亦た斯に在るか。
現代語訳
神の兵の向かうところ、敵の首領はおそれ伏し、三韓は藩国と称して朝貢しました。このとき国の威光は輝かしく日々に盛んでした。ある日、新羅国王の子や、秦の始皇帝(嬴政)の子孫が、万里の海を渡り、風を望んで帰化しました。東の異民族も西の異民族も走り回って労役に就き、金銀や綾絹の朝貢は絶えませんでした。諸々の蕃国を見ること、あたかも外の府庫のようでした。盛んなことではありませんか。(この記の文は、上古の神聖が基準を立て伝統を伝えたことから、周辺の異民族が従ったことまで、すべてまだ儒教のなかった時代を言っている。そのため私も、もっぱら応神天皇以前について、その大略を述べ、あえて中世には説き及ばないのである。)思うに、民が安らかである、だから皇位は窮まりない。皇位が窮まりない、だから国のありようは尊く厳かである。国のありようが尊く厳かである、だから異民族は従う。この四つは循環して一つのようであり、それぞれが互いに支え合って美を成しています。そしてそのようになる所以は、もとよりこの道によるものにほかなりません。その道は光り輝いて正大であり、もとより一つ二つと数えるのは容易でありません。しかしひそかに神である天皇が国を治めた事跡を仰ぎ見て、後世の名で述べるなら、その要は三つあります。敬神、愛民、尚武です。古い史書は簡略ですが、その大体ははっきりしていて、偽ることはできません。そもそも輝く威は天の日より盛んなものはなく、照らし育む恩も太陽より大きなものはありません。恩は仁の施しです。威は義の発揮です。天皇はすでに天の日の後継ぎとして民を撫で育て、また太陽の昇る所に拠って万方に君臨し、恩と威を兼ね施し、仁厚と勇武が並び行われて互いに背かない。これはおそらく神である天皇が基準を立てた大体であり、我が国が天下に抜きんでている理由は、ここにあるのではないでしょうか。
解説
この章句が説くこと
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『弘道館記述義』・聖子神孫・人に学んで善を為す 応神帝の姿勢而して聖子神孫、尚ほ自ら足れりとするを肯ぜず、人に取りて以て善を為すを楽しむ。臣彪謹んで案ずるに、神代は尚し。神武帝以還十有四世、九百有餘年、其の間未だ書契有らず。其れ有るは則ち実に応神帝に始まると云ふ。帝の時に当たり、三韓藩と称し朝貢す。阿直岐の百済より来たるや、菟道皇子之に師として経典を習ふ。帝特に使を遣はして賢人を百済に徴す。是に於て王仁及び辰孫王、使に随ひて入朝す。帝之を嘉して以て皇子の師と為す。辰孫王(続紀に拠る)。是より先、百済は縫衣女を貢ず。王仁等の来たるや、又た冶工卓素・呉服西素・醸酒仁香等を貢ず。方に是の時、天下乂安にして、四海粛静、一物として其の所を得ざる者有ること無し。常情より観れば、則ち尚ほ何ぞ外に求むることを為さん。独り聖主の心は則ち然らず。衣食既に饒かに、兵甲既に足る。而して更に織縫醸冶の工を海外に召す。厚生利用の政、是に於て益〻広し。風俗既に美にして、綱紀既に張る。而して更に文献を異域に求む。正徳の教へ是に於て大いに備はる。苟くも光明正大にして宇内を視ること一家の如き者に非ずんば、則ち其れ孰か能く此に与らん。厥の後、列聖相承け、儒教を崇尚して以て斯の道を培養する者、蓋し皆帝の美意に本づくなり。昔者孟軻、虞舜の徳を述べて曰く、人に取りて以て善を為すを楽しむ。耕稼陶漁より以て帝と為るに至るまで、人に取るに非ざる者無し、と。嗚呼、神州と西土とは絶海殊域、帝と虞舜とは世を隔て代を異にす。而れども其の人に取りて善を為すの美は、符節を合はするが若し。抑も亦た所謂先聖後聖其の揆一なりとは、其れ斯の謂ならんか。帝の廟祀は往往海内に遍し。而るに世は徒に其の武徳を称賛して、其の大いに文教に功有るを知らず。是を以て弓馬の士は皆崇敬を致すも、縉紳の家は或いは欽仰を闕く。豈に可ならんや。
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『退食閑話』・四つの徴・皇位の無窮問、 寶祚は之を以て無窮に、國體は之を以て尊嚴に、蒼生は之を以て安寧に、戎狄は之を以て卒服すとあるも、別の言によりて粗解し得たるやうなれども、願くは其詳なる事を聞ん、曰、 寶祚の窮り無き事も前に書が如く、天照太神三神器を授給ひて、君臣の義正しく、寶鏡を吾を視が如くせよと宣ひしより、父子の親惇く、忠孝の敎二つながら全し、是によりて人心一定して他に移らず、千萬世を經といへども、太初に君と仰ぎ奉りし至尊かはらせ給はず、今日仰ぎ奉る所の至尊は、即ち天照太神と同體にましませば、人情風氣も自づから厚くして、天位を覬覦する人もなし、 寶祚窮りなきもまた尊むべきにあらずや、 國體の尊嚴なる事は、四海の外に萬國多しといへども、天地の間に至て尊きものは只一つならではなき道理なり、然るに、外國にて其帝王と稱するものも、其種姓しば〱遷り易りて、 天朝の如く、皇統綿縣として、唯一體のみにまし〱侯事は、萬國にはたへてなき事なり、
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『弘道館記述義』・蒼生以之安寧・民を大宝として生活を支える政蒼生、之を以て安寧なり。臣彪謹んで案ずるに、民の道たるや、憂ひは饑寒より切なるは莫し。天祖始めて種穀養蚕の道を開き、民是に於て衣食す。患ひは疾病災害より甚だしきは莫し。大巳貴命・少名彦命始めて療病厭災の方を定め、民是に於て全活す。居は宮室より安きは莫く、哀しみは死喪より惨なるは莫し。素盞嗚尊・五十猛命は山林を殖ゑ材木を足し、民是に於て其の生を養ひ其の終はりを慎む。太占有りて以て其の吉凶を卜し、盟神探湯有りて以て其の嫌疑を決し、禊祓有りて以て其の不祥を除き、歌詠有りて以て其の情思を達す。其の氏族を統ぶるが若きは、則ち伴造有り。其の治教を任ずるは、則ち国造・県主・稲置の属有り。兵器を神祠に蔵するは、不虞に備へ非常を戒むる所以なり。(崇神帝二十七年、弓矢刀を諸社に納む。三十九年、剣一千口を作り、石上神宮に蔵す。史、其の故を詳らかにせず。桓武帝延暦中、都を山城葛野に遷す。既にして朝議以為らく、石上は都を去ること差遠し、非常を慎むべし、と。乃ち石上社の器仗を葛野に遷す。是に由りて之を観れば、崇神帝の兵器を神祠に蔵すること、其の不虞に備ふるや明らかなり。因りて竊かに案ずるに、兵器の民間に散在するは、適〻以て禍を生ずるに足る。是の故に事無ければ則ち諸を神庫に蔵し、事有るに及びて其の兵仗を奉じて以て敵に臨めば、則ち神霊の寓する所、以て大いに我が軍威を張るべし。其の謀慮の深遠なる所以と謂ふべし。日本武尊の東夷を征するや、伊勢神宮を拝し其の神剣を奉じて出づ。蓋し亦た此の意なり。然れども史に明文無し。敢へて鄙見を書して以て考に備ふ。)屯倉を各所に置くは、糧食を足し凶荒を賑はす所以なり。其の他、神祇を礼し疾疫を禳ひ、池溝を開き堤防を築く類、一として恤民厚生の誠に出でざるは無し。此れ神皇の政を発し仁を施すの大略なり。是を以て天下の人民安く、四海虞れ無く、年穀豊饒に、家給し人足る。所謂蒼生之を以て安寧なる者、豈に信に然らずや。上古、人民を指して於保美多訶良と曰ふ。於保は大なり。美は御なり。多訶良は宝なり。其の生霊を重んずる所以、至れりと謂ふべし。夫れ農は天下の本なり。本固ければ邦安し。国家の宝、孰れか大ならん。然らば則ち天下の人牧、其の民を安んぜんと欲する者は、苟も其の大宝と為す所以の意を失ふ無くんば、則ち蓋し神皇の道に違はざるに庶からん。(案ずるに周易に云ふ、聖人の大宝を位と曰ふ、と。楚書に云ふ、唯だ善以て宝と為す、と。未だ民を以て宝と為す者有らず。但し孟軻の所謂諸侯の宝三、土地・人民・政事なる者、適〻暗合す。而れども土地は人を養ふ所以、政事は民を理むる所以、未だ神皇の専ら人民を指して大宝と為すの、其の根本を得たるに如かず。)
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