弘道館記述義 / 天地位焉・天地位し万物育すの語を解く
天地位焉。萬物育焉。臣彪謹案。天神之盛德大業。載在古典者。大抵神異不測固難以常理論。然蓋皆天地以來相傳之說。決不容疑。亦不可附會依託以淆眞也。中世以降信古不篤。妄以私智測神代。以爲古典所載。非皆實有其事。因以寓言解之。其所附會非陰陽五行之術。則荒唐不經虛無寂滅之說。動稱秘訣。掩其淺陋。遂使神聖經綸之迹。與痴辭隱語同類。可勝慨哉。近世有古學者流。能辨其失。彼此考證參互錯綜。以釋千載之惑。其有功於典籍也亦大矣。然至於其弊。則其論說鴻荒。猶人身處其世。目視其事。引喩推類。喋喋辯析。欲人以屈向之疑古典者。(始唱古學者。猶頗有闕疑之意。然旣粗開參誕之端。至其徒則出入老莊。知質而不知文。甚則陰挾西洋之學。以論述神代。其無忌憚已甚。可不愼哉。)噫是亦以私智測神代也。無乃矯枉過直乎。齋部廣成曰。上古之事說。似盤古疑氷之意。取信實難。然國家神物靈蹤今皆見存。不可謂虛。源親房曰。伊弉諾尊伊弉冊尊。生大八洲及山海草木。而其物皆有神名。豈神先降而生其物歟。抑物先成而神依之歟。神代之事固不易測也。有味乎其言之。昔者子思作中庸。至於論其極致。則曰。天地位焉。萬物育焉。公假斯語以讚神聖經綸之迹。其信古固邁廣成。而其卓識亦不在親房之下也。讀者徒視以爲形容功化辭。則不可也。抑亦穿鑿臆度。謂天地何如而剖判。萬物何如而生育。則又恐非公之意也。其所以照臨六合。統御宇內者。未嘗不由斯道也。臣彪謹案。天祖之御高天原也。
新字:天地位焉。万物育焉。臣彪謹案。天神之盛徳大業。載在古典者。大抵神異不測固難以常理論。然蓋皆天地以来相伝之説。決不容疑。亦不可附会依託以淆真也。中世以降信古不篤。妄以私智測神代。以為古典所載。非皆実有其事。因以寓言解之。其所附会非陰陽五行之術。則荒唐不経虚無寂滅之説。動称秘訣。掩其浅陋。遂使神聖経綸之迹。与痴辞隠語同類。可勝慨哉。近世有古学者流。能弁其失。彼此考証参互錯綜。以釈千載之惑。其有功於典籍也亦大矣。然至於其弊。則其論説鴻荒。猶人身処其世。目視其事。引喩推類。喋喋弁析。欲人以屈向之疑古典者。(始唱古学者。猶頗有闕疑之意。然既粗開参誕之端。至其徒則出入老荘。知質而不知文。甚則陰挟西洋之学。以論述神代。其無忌憚已甚。可不慎哉。)噫是亦以私智測神代也。無乃矯枉過直乎。斎部広成曰。上古之事説。似盤古疑氷之意。取信実難。然国家神物霊蹤今皆見存。不可謂虚。源親房曰。伊弉諾尊伊弉冊尊。生大八洲及山海草木。而其物皆有神名。豈神先降而生其物歟。抑物先成而神依之歟。神代之事固不易測也。有味乎其言之。昔者子思作中庸。至於論其極致。則曰。天地位焉。万物育焉。公仮斯語以讃神聖経綸之迹。其信古固邁広成。而其卓識亦不在親房之下也。読者徒視以為形容功化辞。則不可也。抑亦穿鑿臆度。謂天地何如而剖判。万物何如而生育。則又恐非公之意也。其所以照臨六合。統御宇内者。未嘗不由斯道也。臣彪謹案。天祖之御高天原也。
書き下し
天地位し焉、万物育す焉。臣彪謹んで案ずるに、天神の盛徳大業、古典に載せて在る者は、大抵神異不測にして、固より常理を以て論じ難し。然れども蓋し皆天地以来相伝ふるの説にして、決して疑ふを容れず。亦た附会依託して以て真を淆すべからざるなり。中世以降、古を信ずること篤からず、妄りに私智を以て神代を測り、以為らく古典の載する所は、皆実に其の事有るに非ず、と。因りて寓言を以て之を解く。其の附会する所、陰陽五行の術に非ざれば、則ち荒唐不経虚無寂滅の説なり。動もすれば秘訣と称して其の浅陋を掩ひ、遂に神聖経綸の迹をして痴辞隠語と同類ならしむ。慨するに勝ふべけんや。近世古学者の流有り、能く其の失を弁じ、彼此考証参互錯綜して、以て千載の惑ひを釈く。其の典籍に功有ること、亦た大なり。然れども其の弊に至りては、則ち其の鴻荒を論説すること、猶ほ人の身其の世に処り、目に其の事を視るがごとく、喩へを引き類を推し、喋喋として弁析し、人をして以て向の古典を疑ふ者を屈せしめんと欲す。(始めて古学を唱へし者は、猶ほ頗る闕疑の意有り。然れども既に粗〻参誕の端を開き、其の徒に至りては則ち老荘に出入し、質を知りて文を知らず、甚だしきは則ち陰かに西洋の学を挟みて以て神代を論述す。其の忌憚無きこと已に甚だし。慎まざるべけんや。)噫、是れ亦た私智を以て神代を測るなり。矯枉過直なる無からんや。斎部広成曰く、上古の事説は、盤古氷を疑ふの意に似て、信を取ること実に難し。然れども国家の神物霊蹤は今皆見存す。虚と謂ふべからず、と。源親房曰く、伊弉諾尊・伊弉冊尊は大八洲及び山海草木を生む。而して其の物皆神名有り。豈に神先づ降りて其の物を生むか。抑も物先づ成りて神之に依るか。神代の事は固より測り易からず、と。其の言に味有り。昔者子思、中庸を作り、其の極致を論ずるに至りて、則ち曰く、天地位し、万物育す、と。公は斯の語を仮りて以て神聖経綸の迹を讃ふ。其の古を信ずること固より広成に邁ぎ、其の卓識も亦た親房の下に在らず。読者徒に視て以て功化を形容する辞と為せば、則ち不可なり。抑も亦た穿鑿臆度して、天地何如にして剖判し、万物何如にして生育すと謂へば、則ち又た恐らくは公の意に非ざらん。其の六合に照臨し、宇内を統御する所以の者は、未だ嘗て斯の道に由らずんばあらず。臣彪謹んで案ずるに、天祖の高天原に御すや、
現代語訳
「天地位し、万物育す」(天地がそれぞれの位置に定まり、万物が育つ)。臣の彪が謹んで考えますに、天の神々の盛んな徳と大きな事業で古典に載っているものは、おおむね不思議で測りがたく、もとより通常の道理では論じにくいものです。しかしそれらはみな天地開闢以来伝えられてきた説であって、決して疑うべきではありません。また、こじつけや仮託で真実を混乱させてはなりません。中世以降、古を信じる心が篤くなくなり、みだりに私的な知恵で神代を推し量り、古典に載っていることはすべて実際にあった事ではないと考えました。そこで寓話としてこれを解釈しました。そのこじつけは、陰陽五行の術でなければ、でたらめで道理に合わない虚無寂滅の説でした。ともすれば秘訣と称して自分の浅はかさを隠し、ついに神聖が国を治めた事跡を、わけの分からぬ言葉や隠語と同類にしてしまいました。嘆かわしいことです。近世には古学の流れがあり、その誤りを見分け、あれこれ考証して突き合わせ、千年来の惑いを解きました。典籍に対する功績もまた大きいものです。しかしその弊害として、はるかな太古を論じ説くことが、まるで自分がその世にいて、目でその事を見たかのようで、たとえを引き類推し、くどくどと弁じ立て、以前に古典を疑った者を言い負かそうとします。(はじめて古学を唱えた者は、なお疑わしいことを欠いておく心があった。しかしすでにいい加減に空論の端を開いており、その弟子たちとなると老荘に出入りし、質を知って文を知らず、甚だしくは陰で西洋の学を取り込んで神代を論述する。そのはばかりのなさはすでに甚だしい。慎まずにいられようか。)ああ、これもまた私的な知恵で神代を推し量ることです。曲がったものを正そうとして行き過ぎたのではないでしょうか。斎部広成は言いました。「上古のことは、盤古が氷を疑うようなもので、信じさせるのは難しい。しかし国家の神物や霊の足跡は今みな現存している。偽りとは言えない」と。源親房は言いました。「伊弉諾尊・伊弉冊尊は大八洲と山海草木を生んだ。そしてその物にはみな神の名がある。神が先に降ってその物を生んだのか。それとも物が先にできて神がそれに依ったのか。神代のことはもとより測りにくい」と。その言葉には味わいがあります。昔、子思は『中庸』を作り、その極致を論じるに至って「天地位し、万物育す」と言いました。公(烈公)はこの語を借りて、神聖が国を治めた事跡をたたえました。古を信じることでは広成を越え、その卓見は親房にも劣りません。読者がこれを単なる功績と教化を形容する言葉と見るのはよくありません。かといって、穿鑿し憶測して、天地がどのように分かれ、万物がどのように生まれ育ったかを説こうとするのも、恐らく公の意ではありません。天地を照らし、天下を統べ治めるやり方は、これまでこの道によらないことはありませんでした。臣の彪が謹んで考えますに、天祖(天照大神)が高天原を治めていたとき、
解説
この章句が説くこと
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