近思録 / 巻10 政事
伊川先生曰:君子觀天水違行之象、知人情有爭訟之道。故凡所作事、必謀其始。絕訟端於事之始、則訟無由生矣。謀始之義廣矣。若慎交結、明契券之類是也。
新字:伊川先生曰:君子観天水違行之象、知人情有争訟之道。故凡所作事、必謀其始。絶訟端於事之始、則訟無由生矣。謀始之義広矣。若慎交結、明契券之類是也。
書き下し
伊川先生曰く、君子は天水違行の象を観て、人情に争訟の道有るを知る。故に凡そ作す所の事は、必ずその始めを謀る。訟端を事の始めに絶てば、則ち訟の由りて生ずる無し。始めを謀るの義は広し。慎交結、明契券の類の若きこれなり。
現代語訳
程頤先生が言う。君子は天と水が逆に行く卦の形を見て、人の情には訴訟に至る道があることを知る。だからおよそ事を起こすときは、必ずその始めを謀る。争いの端緒を事の始めに断てば、訴訟の生じるもとがなくなる。始めを謀るという意味は広い。交わりを結ぶのを慎むこと、契約の証文を明らかにすることなどが、それにあたる。
解説
訟の卦から引き出した、紛争予防の一条である。人の情にはもともと争訟へ向かう道がある、という前提が現実的だ。善意を期待せず、争いは起きるものとして扱う。だから対処は起きてからではなく、始めに置かれる。「訟端を事の始めに絶つ」。そして具体が二つ挙がる。誰と組むかを慎重に決めること、契約の証文をはっきりさせること。十一世紀の言葉だが、業務提携でも雇用でも、いま揉める原因のほとんどはこの二つである。始めに手間をかけるほど、後の争いが減るという配分の話として読める。
この章句が説くこと
必ずその始めを謀る訟端を事の始めに絶つ慎交結明契券予防
関連する章句
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易経・象伝天と水と違いて行くは訟なり、君子は以て事を作すに始めを謀る。
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牧民忠告・聽訟人は独り處(お)ること能(あた)わず、必ず衆に資(と)りて以て其の生を遂ぐ。衆以て相資(あいと)る、此れ訟(しょう)の従(よ)りて起こる所なり。故に聖人《易》を作るに、「訟」を以て「師」に継(つ)ぐ、其の警(いまし)めを示すこと固(まこと)に深し。夫れ善く訟を聴く者は、必ず先ず其の情を察す。其の情を察せんと欲すれば、必ず先ず其の辞を審(つまび)らかにす。其の情直(なお)ければ、其の辞直(なお)し。其の情曲(まが)れば、其の辞曲る。政(たと)い其の辞を強(し)いて直(なお)くせしむとも、其の情は則ち必ず自ら相(あい)矛盾し、従(したが)ってこれを詰(なじ)れば、誠偽(せいぎ)見(あら)わる。《周礼》五声を以て獄訟(ごくしょう)を聴くも、民情を求むること固(もと)より此れに外(ほか)ならず。然れども聖人謂う、「訟を聴くは、吾(われ)猶(な)お人のごときなり。必ずや訟無からしめんか」と。蓋し訟を聴く者は已然(いぜん)に折衷す、苟(いやしく)も其の心を公にすれば、人皆能くす可きなり。訟無き者は過ちを未然に救う、徳を以て民を化するに非ざれば、何に由りて此れに及ばんや。嗚呼(ああ)、凡そ民を牧する者、其れ能く訟を聴くを恃(たの)みて徳と為す勿(な)かれ。
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『近思録』巻10 政事因りて口将に言はんとして囁嚅するを論じて云ふ、若し口を開くべき時に合へば、他の頭を要むるとも也須らく口を開くべし。須らく是れ「其の言を聴くや厲し」なるべし。須らく是れ事上に就きて蠱を学び、「民を振ひ徳を育ふ」、然して知る所有りて後、方に能く此くの如くなるべし。何ぞ必ずしも書を読みて、然る後に学と為さんや。先生一学者の忙迫なるを見る。其の故を問へば、曰く、「幾処の人事を了せんと欲す。」曰く、某人事に周旋することを欲せざるに非ず。曷ぞ嘗て賢の急迫なるに似んや。安定の門人、往往にして古を稽へ民を愛することを知る。則ち「政を為すに於て何か有らん」。門人に曰ふ者有り、吾人と居り、其の過有るを視て告げざれば、則ち心に於て安からざる所有り。之に告げて人受けざれば、則ち奈何せん。曰く、之と処りて其の過を告げざるは、忠に非ざるなり。誠意の交通をして、未だ言はざるの前に在らしむることを要す、則ち言出でて人信ず。又曰く、責善の道は、誠有余にして言不足ならしむることを要す。則ち人に於て益有りて、我に在る者は自ら辱めらるること無し。職事は巧みを以て免るべからず。「是の邦に居りては、其の大夫を非らず。」此の理最も好し。克く小物を勤むるは最も難し。大任に当らんと欲せば、須らく是れ篤実なるべし。凡そ人の為に言ふ者は、理勝てば則ち事明らかに、気忿れば則ち拂を招く。今の時に居りて、今の法令に安んぜざるは、義に非ざるなり。若し治を為すを論ぜば、為さざれば則ち已む。如し復た之を為さば、須らく今の法度の内に於て処して其の当を得べし、方に義に合ふと為す。若し須らく更改して而る後に為すべくんば、則ち何の義か之れ有らん。今の監司、多く州県と一体ならず。監司は専ら伺察せんと欲し、州県は専ら掩蔽せんと欲す。誠心を推して之と共に治むるに若かず。逮ばざる所有れば、教ふべき者は之を教へ、督すべき者は之を督す。聴かざるに至りては、其の甚だしき者一二を択びて去り、以て衆を警むるに足らしめて可なり。伊川先生曰く、人多事を悪む、或人之を憫む。世事多しと雖も、尽く是れ人事なり。人事人をして做さしめずんば、更に誰を責めて做さしめん。
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易経・訟卦事とする所を永くせずとは、訟は長くすべからざるなり。小しく言有りと雖も、其の弁明らかなり。訟に克たず、帰りて逋れ竄るるなり。下より上を訟う、患いの至ること掇うがごときなり。旧徳に食むとは、上に従えば吉なるなり。復りて命に即き渝わる、貞に安んずとは、失わざるなり。訟う、元いに吉とは、中正なるを以てなり。訟を以て服を受くるは、亦敬するに足らざるなり。
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易経・彖伝訟は、上剛にして下険、険にして健なる、訟なり。「訟は孚有るも窒がりて惕る、中なれば吉」とは、剛来りて中を得ればなり。「終には凶」とは、訟は成すべからざればなり。「大人を見るに利ろし」とは、中正を尚べばなり。「大川を渉るに利ろしからず」とは、淵に入ればなり。
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