近思録 / 巻9 制度
吉凶嫁娶之類、更須相與爲禮。使骨肉之意常相通。骨肉日疎者、只爲不相見、情不相接爾。冠昏喪祭、禮之大者。今人都不理會。豺獺皆知報本。今士大夫家多忽此。厚於奉養而薄於先祖、甚不可也。某嘗脩六禮。大略家必有廟、廟必有主、月朔必薦新、時祭用仲月、冬至祭始祖、立春祭先祖、季秋祭禰、忌日遷主祭於正寢。凡事死之禮、當厚於奉生者。人家能存得此等事數件、雖幼者可使漸知禮義。卜其宅兆、卜其地之美惡也。地美則其神靈安、其子孫盛。然則曷謂地之美者?土色之光潤、草木之茂盛、乃其驗也。而拘忌者惑以擇地之方位、決日之吉凶、甚者不以奉先爲計、而專以利後爲慮。尤非孝子安厝之用心也。惟五患者不得不慎。須使異日不爲道路、不爲城郭、不爲溝池、不爲貴勢所奪、不爲耕犁所及。正叔云:某家治喪、不用浮圖。在洛亦有一二人家化之。今無宗子、故朝廷無世臣。若立宗子法、則人知尊祖重本。人既重本、則朝廷之勢自尊。古者子弟從父兄、今父兄從子弟、由不知本也。且如漢高祖欲下沛時、只是以帛書與沛父老。其父兄便能率子弟從之。又如相如使蜀、亦移書責父老、然後子弟皆聽其命而從之。
新字:吉凶嫁娶之類、更須相与為礼。使骨肉之意常相通。骨肉日疎者、只為不相見、情不相接爾。冠昏喪祭、礼之大者。今人都不理会。豺獺皆知報本。今士大夫家多忽此。厚於奉養而薄於先祖、甚不可也。某嘗脩六礼。大略家必有廟、廟必有主、月朔必薦新、時祭用仲月、冬至祭始祖、立春祭先祖、季秋祭祢、忌日遷主祭於正寝。凡事死之礼、当厚於奉生者。人家能存得此等事数件、雖幼者可使漸知礼義。卜其宅兆、卜其地之美悪也。地美則其神霊安、其子孫盛。然則曷謂地之美者?土色之光潤、草木之茂盛、乃其験也。而拘忌者惑以択地之方位、決日之吉凶、甚者不以奉先為計、而専以利後為慮。尤非孝子安厝之用心也。惟五患者不得不慎。須使異日不為道路、不為城郭、不為溝池、不為貴勢所奪、不為耕犁所及。正叔云:某家治喪、不用浮図。在洛亦有一二人家化之。今無宗子、故朝廷無世臣。若立宗子法、則人知尊祖重本。人既重本、則朝廷之勢自尊。古者子弟従父兄、今父兄従子弟、由不知本也。且如漢高祖欲下沛時、只是以帛書与沛父老。其父兄便能率子弟従之。又如相如使蜀、亦移書責父老、然後子弟皆聴其命而従之。
書き下し
吉凶嫁娶の類、更に須らく相与に礼を為すべし。骨肉の意をして常に相通ぜしむ。骨肉の日に疎き者は、只相見ず、情相接せざるが為のみ。冠昏喪祭は、礼の大なる者なり。今人都て理会せず。豺獺すら皆本に報ゆるを知る。今士大夫の家多く此を忽せにす。奉養に厚くして先祖に薄し、甚だ不可なり。某嘗て六礼を脩む。大略家に必ず廟有り、廟に必ず主有り、月朔に必ず新を薦め、時祭には仲月を用ひ、冬至には始祖を祭り、立春には先祖を祭り、季秋には禰を祭り、忌日には主を遷して正寝に祭る。凡そ死に事ふるの礼は、当に生に奉ずる者より厚かるべし。人家能く此等の事数件を存し得れば、幼き者と雖も漸く礼義を知らしむべし。其の宅兆を卜するは、其の地の美悪を卜するなり。地美なれば則ち其の神霊安く、其の子孫盛んなり。然らば則ち曷をか地の美なる者と謂ふ。土色の光潤、草木の茂盛、乃ち其の験なり。而るに拘忌する者は惑ひて地の方位を択び、日の吉凶を決するを以てし、甚だしき者は先を奉ずるを以て計と為さずして、専ら後を利するを以て慮と為す。尤も孝子安厝の用心に非ざるなり。惟だ五患の者は慎まざるを得ず。須らく異日道路と為らず、城郭と為らず、溝池と為らず、貴勢の奪ふ所と為らず、耕犁の及ぶ所と為らざらしむべし。正叔云ふ、某が家喪を治むるに、浮図を用ひず。洛に在りても亦一二の人家之に化する有り。今宗子無し、故に朝廷に世臣無し。若し宗子の法を立つれば、則ち人祖を尊び本を重んずることを知る。人既に本を重んずれば、則ち朝廷の勢自ら尊し。古者は子弟父兄に従ひ、今は父兄子弟に従ふ、本を知らざるに由るなり。且く漢の高祖の沛を下さんと欲せし時の如き、只是れ帛書を以て沛の父老に与ふ。其の父兄便ち能く子弟を率ゐて之に従ふ。又相如の蜀に使ひせしが如き、亦書を移して父老を責め、然る後に子弟皆其の命を聴きて之に従ふ。
現代語訳
吉事や凶事、嫁入りや嫁取りなどでも、さらに互いに礼を行うべきである。肉親の情を常に通い合わせるのである。肉親が日ごとに疎遠になるのは、ただ顔を合わせず、情が触れ合わないからにすぎない。冠礼・婚礼・葬礼・祭礼は、礼のうちで大きなものである。今の人はまったく心にかけない。山犬や獺でさえ、みな本に報いることを知っている。今の士大夫の家の多くはこれをおろそかにしている。生きている者の養いには厚く、先祖には薄い。はなはだよくない。私はかつて六礼を整えた。おおよそ、家には必ず廟があり、廟には必ず位牌があり、毎月の朔日には必ずその季節の初物を供え、四季の祭りは各季の中の月に行い、冬至には始祖を祭り、立春には先祖を祭り、晩秋には亡父を祭り、命日には位牌を移して正寝(表座敷)で祭る。およそ死者に仕える礼は、生者に仕えるより厚くあるべきである。家がこうした事を幾つか保つことができれば、幼い者でもしだいに礼義を知るようになる。墓所を占うのは、その土地の良し悪しを占うのである。土地がよければ、その神霊は安らかで、子孫は栄える。ではどういう土地をよいというのか。土の色がつややかで、草木が茂っていることがその証である。ところが縁起にとらわれる者は惑わされて、土地の方角を選んだり、日の吉凶を決めたりし、ひどい者になると先祖を奉ることを考えずに、もっぱら子孫の利益ばかりを気にかける。これは孝子が親を安らかに葬る心づかいでは決してない。ただ五つの患いだけは慎まなければならない。後日、道路にならないように、城郭にならないように、堀や池にならないように、権勢ある者に奪われないように、田畑を耕す鋤が及ばないようにしなければならない。正叔(程頤)が言う。私の家では葬儀に浮図(仏教の僧)を用いない。洛陽でも一、二の家がこれに感化された。今は宗子がいない。だから朝廷には代々仕える臣がいない。もし宗子の法を立てれば、人は祖先を尊び本を重んじることを知る。人が本を重んじるようになれば、朝廷の勢いもおのずと尊くなる。昔は子弟が父兄に従ったが、今は父兄が子弟に従う。本を知らないからである。たとえば漢の高祖(劉邦)が沛(はい、劉邦の故郷)を攻め落とそうとしたとき、ただ帛(きぬ)に書いた手紙を沛の長老たちに与えただけであった。その父兄がすぐに子弟を率いて高祖に従った。また司馬相如(しばしょうじょ、前漢の文人)が蜀に使いしたときも、檄文を送って長老たちを責め、そのうえで子弟がみなその命を聞いて従った。
解説
この章句が説くこと
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『慎思録』巻之三闕里誌に載す。朱子語録に曰く、宣聖は本当に像を設くべからず。春秋の祭の時、只木主を設けて祭りて可なり、と。丘瓊山曰く、塑像の設は、中国に之無し。仏教の中国に入りしより、始めて有るなり。三代以前神を祀るに、皆主を以てし、所謂像設無きなり。彼の異教之を用ふるは、怪しむに足る無き者なり。知らず吾が聖人を祀る者は、何れの時にして始めて像を為すかを、と云ふ。李元瓘の顔子立ちて侍すと言ふを観れば、則ち像は唐の前に在りて已に有るなり。嗚呼、姚燧言へる有り、北史に敢て泥人銅人を造る者有らば、門誅す、と。則ち泥人は固より中土の主を為りて以て聖人を祀るの法に非ざるなり。後世其の非を覚る莫く、亦其の道に化して之を為す。甚だ神にして之を明らかにし、声無く臭無きの道に非ざるなり。
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『慎思録』巻之四始祖の祭は、伊川之を行ふ。朱子曰く、古に此れ無し。伊川義を以て起こす。某当初は也た祭る。後来僭に似たるを覚え、今敢へて祭らず、と。篤信窃かに謂ふ、始祖の祭は、朱子既に之を家礼及び小学に載す。家礼の如きは、朱子四十歳の輯むる所なり。其の間固より晩年の論と合はざる者有り。小学書の如きは、五十八歳の輯むる所なり。拠と為すべきに似たり。然れども当初は也た祭る、後来敢へて祭らずと曰へば、則ち此を以て定説と為すに似たり。丘瓊山曰く、小学に此の条を刪らざるは、必ず其の説有らん、と。是を以て疑はしきを闕きて敢へて決せざるなり。
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尚書・說命中惟れ厥の居る攸にして、政事惟れ醇なり。祭祀に黷(けが)るる、時れ欽まずと謂ふ。礼煩はしければ則ち乱れ、神に事ふること則ち難し。」王曰く、「旨(うま)いかな。説乃の言惟れ服せん。乃言に良からずんば、予行ひに聞く罔からん。」説拝して稽首して曰く、
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史記 封禅書後五世、帝武乙、神を慢りて震死す。後三世、帝紂淫乱にして、武王之を伐つ。此に由りて之を観れば、始めは未だ嘗て粛祗せずんばあらず、後稍く怠慢なり。周官に曰く、冬日至に、天を南郊に祀り、長日の至るを迎ふ。夏日至に、地祇を祭る。皆楽舞を用ひて、神乃ち得て礼す可きなり。天子は天下の名山大川を祭り、五岳は三公に視へ、四瀆は諸侯に視ふ。諸侯は其の疆内の名山大川を祭る。四瀆とは、江・河・淮・済なり。天子には明堂・辟雍と曰ひ、諸侯には泮宮と曰ふ。周公既に成王に相として、后稷を郊祀して以て天に配し、文王を明堂に宗祀して以て上帝に配す。禹の興りしより社祀を修め、后稷は稼穡す、故に稷祠有り、郊社の従りて来る所は尚し。周の殷に克ちし後十四世より、世益々衰へ、礼楽廃れ、諸侯恣に行ひ、而して幽王、犬戎の敗る所と為り、周、東して雒邑に徙る。秦の襄公、戎を攻めて周を救ひ、始めて列して諸侯と為る。秦の襄公既に侯となり、西垂に居り、自ら以為へらく少皞の神を主ると、西畤を作り、白帝を祠る。其の牲は騮駒・黄牛・羝羊各一を用ふと云ふ。其の後十六年、秦の文公、東して汧・渭の間に猟し、之に居らんことを卜して吉なり。文公、黄蛇の天より下りて地に属し、其の口の鄜衍に止まるを夢む。文公、史敦に問ふ。敦曰く、「此れ上帝の徴なり、君其れ之を祠れ」と。是に於て鄜畤を作り、三牲を用ひて白帝を郊祭す。未だ鄜畤を作らざるよりして、雍の旁に故より呉陽の武畤有り、雍の東に好畤有り、皆廃れて祠無し。或ひと曰く、「古より雍州は積みて高く、神明の隩なるを以て、故に畤を立てて上帝を郊し、諸神の祠皆聚まると云ふ。蓋し黄帝の時嘗て事を用ひ、晩周と雖も亦郊す」と。其の語は経に見えず、縉紳の者は道はず。鄜畤を作りて後九年、文公、石の若きものを獲て、陳倉の北阪の城に之を祠る。
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『慎思録』巻之三闕里誌に曰く、程頤論ずらく、人家の祖宗の影、一毫も類せざる有れば、則ち其の人に非ず、と。彼親しく其の人を見て之を貌し、毫髪も肖似せざる有らば、尚ほ其の人に非ず。况んや工人意に随ひ手に信せて、之を為る者をや。
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