近思録 / 巻9 制度
只有一箇尊卑上下之分、然後從順從而不亂也。若無法以聯屬之安可?且立宗子法、亦是天理。譬如木必有從根直上一榦、亦必有旁枝。又如水、雖遠必有正源、亦必有分派處。自然之勢也。然又有旁枝達而爲榦者。故曰:「古者天子建國、諸侯奪宗」云。邢和叔叙明道先生事云:堯舜三代帝王之治、所以博大悠遠、上下與天地同流者、先生固已默而識之。至於興造禮樂、制度文爲、下至行帥用兵戰陣之法、無所不講、皆造其極。外之夷狄情狀、山川道路之險易、邊鄙防戍城寨斥候控帶之要、靡不究知。其吏事操決、文法簿書、又皆精密詳練。若先生可謂通儒全才矣。介甫言「律是八分書」、是他見得。橫渠先生曰:兵謀師律、聖人不得已而用之。其術見三王方策、歷代簡書。惟志士仁人、爲能識其遠者大者、素求預備、而不敢忽忘。肉辟於今世死刑中取之、亦足寬民之死。過此當念其散之之久。呂與叔撰橫渠先生行狀云:先生慨然有意三代之治。論治人先務、未始不以經界爲急。嘗曰:仁政必自經界始。貧富不均、教養無法。雖欲言治、皆苟而已。世之病難行者、未始不以亟奪富人之田爲辭。然茲法之行、悅之者衆。
新字:只有一箇尊卑上下之分、然後従順従而不乱也。若無法以聯属之安可?且立宗子法、亦是天理。譬如木必有従根直上一榦、亦必有旁枝。又如水、雖遠必有正源、亦必有分派処。自然之勢也。然又有旁枝達而為榦者。故曰:「古者天子建国、諸侯奪宗」云。邢和叔叙明道先生事云:堯舜三代帝王之治、所以博大悠遠、上下与天地同流者、先生固已黙而識之。至於興造礼楽、制度文為、下至行帥用兵戦陣之法、無所不講、皆造其極。外之夷狄情状、山川道路之険易、辺鄙防戍城寨斥候控帯之要、靡不究知。其吏事操決、文法簿書、又皆精密詳練。若先生可謂通儒全才矣。介甫言「律是八分書」、是他見得。横渠先生曰:兵謀師律、聖人不得已而用之。其術見三王方策、歴代簡書。惟志士仁人、為能識其遠者大者、素求預備、而不敢忽忘。肉辟於今世死刑中取之、亦足寛民之死。過此当念其散之之久。呂与叔撰横渠先生行状云:先生慨然有意三代之治。論治人先務、未始不以経界為急。嘗曰:仁政必自経界始。貧富不均、教養無法。雖欲言治、皆苟而已。世之病難行者、未始不以亟奪富人之田為辞。然茲法之行、悦之者衆。
書き下し
只一箇の尊卑上下の分有りて、然る後に従順に従ひて乱れざるなり。若し法以て之を聯属すること無くんば安んぞ可ならんや。且つ宗子の法を立つるも、亦是れ天理なり。譬へば木の必ず根より直上する一榦有り、亦必ず旁枝有るが如し。又水の、遠しと雖も必ず正源有り、亦必ず分派する処有るが如し。自然の勢なり。然れども又旁枝達して榦と為る者有り。故に曰く、「古者天子国を建て、諸侯宗を奪ふ」と云ふ。邢和叔明道先生の事を叙して云ふ、堯舜三代帝王の治、博大悠遠にして、上下天地と流れを同じくする所以の者は、先生固より已に黙して之を識る。礼楽を興造し、制度文為より、下は行帥用兵戦陣の法に至るまで、講ぜざる所無く、皆其の極に造る。外は夷狄の情状、山川道路の険易、辺鄙防戍城寨斥候控帯の要、究め知らざる靡し。其の吏事の操決、文法簿書、又皆精密詳練なり。先生の若きは通儒全才と謂ふべし。介甫「律は是れ八分の書なり」と言ふ、是れ他の見得たるなり。横渠先生曰く、兵謀師律は、聖人已むを得ずして之を用ふ。其の術は三王の方策、歴代の簡書に見ゆ。惟だ志士仁人のみ、能く其の遠き者大なる者を識り、素より求めて預め備へ、敢へて忽忘せずと為す。肉辟は今世の死刑の中に於て之を取れば、亦以て民の死を寛くするに足る。此を過ぐれば当に其の散ずることの久しきを念ふべし。呂与叔横渠先生の行状を撰して云ふ、先生慨然として三代の治に意有り。人を治むるの先務を論ずるに、未だ始めより経界を以て急と為さずんばあらず。嘗て曰く、仁政は必ず経界より始む。貧富均しからず、教養に法無し。治を言はんと欲すと雖も、皆苟のみ。世の行ひ難きを病む者は、未だ始めより亟かに富人の田を奪ふを以て辞と為さずんばあらず。然れども茲の法の行はるる、之を悦ぶ者衆し。
現代語訳
ただ一つの尊卑上下の分があって、そのうえではじめて素直に従って乱れないのである。もし法によって人々を結びつけることがなければ、どうしてうまくいこうか。しかも宗子の法を立てることは、天理でもある。たとえば木には必ず根からまっすぐ上に伸びる一本の幹があり、また必ず脇の枝があるようなものである。また水には、遠く流れても必ず正しい源があり、また必ず分かれて流れるところがあるようなものである。自然の勢いである。しかしまた、脇の枝が伸びて幹となるものもある。だから「昔、天子が国を建てると、諸侯は宗を奪う(分家が新たな宗家となる)」というのである。邢和叔(けいわしゅく、邢恕)が明道先生(程顥)のことを述べて言う。堯・舜や三代の帝王の政治が、広大で悠遠であり、上下が天地と流れを同じくしたゆえんを、先生はもとより黙って会得していた。礼楽を興し作ること、制度や文物から、下は軍を率い兵を用い陣を組む法に至るまで、講じないものはなく、みなその極みに達していた。外に向かっては、異民族の実情、山川や道路の険しさとたやすさ、辺境の守備や城砦・斥候・要害の要点まで、究め知らないものはなかった。役人としての事務の処理や決裁、法令や帳簿の扱いも、みな精密で熟練していた。先生のような人こそ、通儒全才(あらゆることに通じた儒者、完全な才)と言うべきである。介甫(かいほ、王安石)が「律(刑法)は八分の書である」と言ったのは、彼が見て取ったところである。横渠先生(張載)が言う。兵の謀りごとや軍の規律は、聖人がやむを得ずに用いるものである。その術は三王(夏・殷・周の聖王)の記録や歴代の書物に見える。ただ志ある士と仁ある人だけが、その遠く大きなところを知り、平素から求めてあらかじめ備え、決しておろそかにし忘れはしない。肉刑(身体を損なう刑)を今の世の死刑の中から選んで適用すれば、それもまた民を死から寛めるのに足りる。これを越えて広げるなら、民の心が離れて久しいことを思うべきである。呂与叔(りょよしゅく、呂大臨)が横渠先生の行状を書いて言う。先生は憤りを込めて三代の治に心を寄せていた。人を治める最初の務めを論じるときは、いつも経界(土地の区画を正すこと)を急務とした。かつて言った。仁政は必ず経界から始まる。貧富が均しくなく、教え養うことに法がない。治世を言おうとしても、みなかりそめにすぎない。世にこれが行いがたいと難じる者は、いつも、にわかに富者の田を奪うことになるという理由を口にする。しかしこの法が行われれば、喜ぶ者は多い。
解説
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