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近思録 / 巻9 制度

取材識明達可進於善者、使日受其業。擇其學明德尊者爲太學之師。次以分教天下之學。擇士入學、縣升之州、州賓興於太學。太學聚而教之、歲論其賢者能者於朝。凡選士之法、皆以性行端潔、居家孝悌、有廉恥禮遜、通明學業、曉達治道者。明道先生論十事:一曰師傅、二曰六官、三曰經界、四曰鄉黨、五曰貢士、六曰兵役、七曰民食、八曰四民、九曰山澤、十曰分數。其言曰:無古今、無治亂、如生民之理有窮、在聖王之法可改。後世能盡其道則大治、或用其偏則小康。此歷代彰灼著明之效也。苟或徒知泥古而不能施之於今、姑欲徇名而遂廢其實、此則陋儒之見、何足以論治道哉?然儻謂今人之情、皆已異於古。先王之迹、不可復於今。趣便目前、不務高遠、則亦恐非大有爲之論、而未足以濟當今之極弊也。伊川先生上疏曰:三代之時、人君必有師傅保之官。師、道之教訓。傅、傅之德義。保、保其身體。後世作事無本。知求治而不知正君、知規過而不知養德。傅德義之道、固已疎矣。保身體之法、復無聞焉。臣以爲傅德義者、在乎防見聞之非、節嗜好之過。保身體者、在乎適起居之宜、存畏慎之心。今既不設保傅之官、則此責皆在經筵。

新字:取材識明達可進於善者、使日受其業。択其学明徳尊者為太学之師。次以分教天下之学。択士入学、県升之州、州賓興於太学。太学聚而教之、歳論其賢者能者於朝。凡選士之法、皆以性行端潔、居家孝悌、有廉恥礼遜、通明学業、暁達治道者。明道先生論十事:一曰師傅、二曰六官、三曰経界、四曰郷党、五曰貢士、六曰兵役、七曰民食、八曰四民、九曰山沢、十曰分数。其言曰:無古今、無治乱、如生民之理有窮、在聖王之法可改。後世能尽其道則大治、或用其偏則小康。此歴代彰灼著明之効也。苟或徒知泥古而不能施之於今、姑欲徇名而遂廃其実、此則陋儒之見、何足以論治道哉?然儻謂今人之情、皆已異於古。先王之迹、不可復於今。趣便目前、不務高遠、則亦恐非大有為之論、而未足以済当今之極弊也。伊川先生上疏曰:三代之時、人君必有師傅保之官。師、道之教訓。傅、傅之徳義。保、保其身体。後世作事無本。知求治而不知正君、知規過而不知養徳。傅徳義之道、固已疎矣。保身体之法、復無聞焉。臣以為傅徳義者、在乎防見聞之非、節嗜好之過。保身体者、在乎適起居之宜、存畏慎之心。今既不設保傅之官、則此責皆在経筵。

書き下し

材識明達にして善に進むべき者を取りて、日に其の業を受けしむ。其の学明らかに徳尊き者を択びて太学の師と為す。次は以て天下の学に分教せしむ。士を択びて学に入れ、県は之を州に升せ、州は太学に賓興す。太学聚めて之を教へ、歳に其の賢者能者を朝に論ず。凡そ士を選ぶの法は、皆性行端潔、居家孝悌、廉恥礼遜有り、学業に通明し、治道に暁達する者を以てす。明道先生十事を論ず。一に曰く師傅、二に曰く六官、三に曰く経界、四に曰く郷党、五に曰く貢士、六に曰く兵役、七に曰く民食、八に曰く四民、九に曰く山沢、十に曰く分数。其の言に曰く、古今と無く、治乱と無く、生民の理の窮まり有るが如きは、聖王の法に在りて改むべし。後世能く其の道を尽くせば則ち大いに治まり、或は其の偏を用ふれば則ち小康す。此れ歴代の彰灼著明の効なり。苟も或は徒らに古に泥むことを知りて之を今に施すこと能はず、姑く名に徇はんと欲して遂に其の実を廃するは、此れ則ち陋儒の見、何ぞ以て治道を論ずるに足らんや。然れども儻し今人の情は、皆已に古に異なり、先王の迹は、今に復すべからずと謂ひ、目前に便に趣き、高遠を務めざれば、則ち亦恐らくは大いに為すこと有るの論に非ずして、未だ以て当今の極弊を済ふに足らざらん。伊川先生上疏して曰く、三代の時、人君必ず師傅保の官有り。師は、之を教訓に道く。傅は、之を徳義に傅く。保は、其の身体を保つ。後世事を作すに本無し。治を求むることを知りて君を正すことを知らず、過を規すことを知りて徳を養ふことを知らず。徳義に傅くの道、固より已に疎なり。身体を保つの法、復た聞くこと無し。臣以為へらく徳義に傅くる者は、見聞の非を防ぎ、嗜好の過を節するに在り。身体を保つ者は、起居の宜しきに適ひ、畏慎の心を存するに在り。今既に保傅の官を設けざれば、則ち此の責は皆経筵に在り。

現代語訳

才能と見識が明らかに通じていて善に進むことのできる者を取り、毎日その学業を受けさせる。学問が明らかで徳の尊い者を選んで太学(国の最高学府)の師とする。次の者には天下の学校で分かれて教えさせる。士を選んで学校に入れ、県はこれを州に推挙し、州は太学に賓客として送り出す。太学は集めて教え、毎年その賢者と有能な者を朝廷に論じて推す。およそ士を選ぶ基準は、みな性質と行いが正しく清らかで、家では孝悌を尽くし、廉恥と礼譲があり、学業に通じ明るく、治道に通暁している者とする。明道先生(程顥)は十の事を論じた。一に師傅(君主の教育係)、二に六官(周の六つの官制)、三に経界(土地の区画)、四に郷党(村落の組織)、五に貢士(人材の推挙)、六に兵役、七に民食(民の食糧)、八に四民(士農工商)、九に山沢(山林や沼沢の管理)、十に分数(組織の編成と区分)である。その言葉に言う。古今を問わず、治世か乱世かを問わず、人民の生活の道理が行き詰まるようなことがあれば、聖王の法においても改めてよい。後世にその道を尽くせば大いに治まり、その一部分だけを用いれば小康を得る。これは歴代にはっきりと現れた効果である。もしただ古に固執することだけを知って、それを今に施すことができず、ひとまず名目に従おうとしてついに実質を捨ててしまうなら、それは見識の狭い儒者の見方であって、どうして治道を論じるに足りようか。しかしまた、もし今の人の情はすでにみな古と異なり、先王の事跡は今に復することはできないと言って、目先の便利さに走り、高く遠いことを務めないなら、それもまたおそらく大いに事を成す議論ではなく、今の世のひどい弊害を救うには足りないだろう。伊川先生(程頤)が上疏して言う。三代の時代、君主には必ず師・傅・保の官があった。師は君主を教訓によって導く。傅は君主に徳義を身につけさせる。保はその身体を守る。後世は事を行うのに根本がない。治世を求めることは知っていても君主を正すことを知らず、過ちを正すことは知っていても徳を養うことを知らない。徳義を身につけさせる道は、もとよりすでにおろそかになっている。身体を守る法は、もはや聞くこともない。私が思うに、徳義を身につけさせるとは、見聞きするものの誤りを防ぎ、嗜好の行き過ぎを節することにある。身体を守るとは、起居をふさわしくし、畏れ慎む心を保つことにある。今は保傅の官を設けていないのだから、この責任はすべて経筵(皇帝に経書を進講する席)にある。

解説

前条の程顥の人材育成の上奏の続きと、程顥の「十事」、程頤の上疏をまとめた条である。県から州、州から太学へと人材を推し上げ、孝悌・廉恥・学業・治道の見識で選ぶという仕組みは、科挙の試験偏重への対案として出されたものである。十事は師傅・経界・兵役・民食など統治の全領域を挙げ、古の法に固執する陋儒も、今は昔と違うと言って目先に走る者も、どちらも退ける。制度は時代に合わせて変えてよいが、理想を捨ててはならないという均衡の取り方が程顥らしい。程頤は皇帝の教育係である師傅保の官が絶えたことを憂い、その役目を経筵、つまり進講の場が担うべきだと説く。トップを育て正す仕組みをどう持つかという問いは、今の組織統治にも通じる。

この章句が説くこと

選士師傅治道改革経筵

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