近思録 / 巻8 治体
大變則大益、小變則小益。唐有天下、雖號治平、然亦有夷狄之風。三綱不正、無君臣父子夫婦。其原始於太宗也。故其後世子弟皆不可使。君不君、臣不臣。故藩鎮不賓、權臣跋扈。陵夷有五代之亂。漢之治過於唐。漢大綱正、唐萬目舉。本朝大綱正、萬目亦未盡舉。
新字:大変則大益、小変則小益。唐有天下、雖号治平、然亦有夷狄之風。三綱不正、無君臣父子夫婦。其原始於太宗也。故其後世子弟皆不可使。君不君、臣不臣。故藩鎮不賓、権臣跋扈。陵夷有五代之乱。漢之治過於唐。漢大綱正、唐万目舉。本朝大綱正、万目亦未尽舉。
書き下し
大いに変ずれば則ち大いに益し、小しく変ずれば則ち小しく益す。唐天下を有ち、治平と号すと雖も、然れども亦夷狄の風有り。三綱正しからず、君臣父子夫婦無し。其の原は太宗より始まるなり。故に其の後世の子弟皆使ふべからず。君君たらず、臣臣たらず。故に藩鎮賓せず、権臣跋扈す。陵夷して五代の乱有り。漢の治は唐に過ぐ。漢は大綱正しく、唐は万目挙がる。本朝は大綱正しく、万目も亦未だ尽くは挙がらず。
現代語訳
大きく変えれば大きく益があり、小さく変えれば小さく益がある。唐は天下を保ち、治まり平らかだと称されたが、それでも夷狄(異民族)の気風があった。三綱(君臣・父子・夫婦の道)が正しくなく、君臣・父子・夫婦の秩序がなかった。その源は太宗(唐の第二代皇帝、李世民)から始まる。だからその後の代々の子弟はみな使い物にならなかった。君主は君主らしくなく、臣下は臣下らしくなかった。だから藩鎮(地方の節度使)は朝廷に服さず、権臣がのさばった。しだいに衰えて五代の乱が起きた。漢の政治は唐よりすぐれている。漢は大綱が正しく、唐は細かな条目がよく整っていた。本朝(宋)は大綱は正しいが、細かな条目はまだすべては整っていない。
解説
この章句が説くこと
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