近思録 / 巻7 出処
先生曰:謂之全無知則不可。只是義利不能勝利欲之心、便至如此也。謝湜是自蜀之京師、過洛而見程子。子曰:爾將何之?曰:將試教官。子弗答。湜曰:如何?子曰:吾嘗買婢、欲試之。其母怒而弗許。曰:「吾女非可試者也。」今爾求爲人師而試之、必爲此媼笑也。湜遂不行。先生在講筵、不曾請俸。諸公遂牒戶部、問不支俸錢。戶部索前任歷子。先生云:某起自草萊、無前任歷子。遂令戶部自爲出券歷。又不爲妻求封。范純甫問其故。先生曰:某當時起自草萊、三辭然後受命。豈有今日乃爲妻求封之理?問今人陳乞恩例、義當然否?人皆以爲本分、不爲害。先生曰:只爲而今士大夫道得箇乞字慣、卻動不動又是乞也。因問陳乞封父祖如何?先生曰:此事體又別。再三請益、但云其說甚長、待別時說。漢策賢良、猶是人舉之。如公孫弘者、猶強起之乃就對。至如後世賢良、乃自求舉爾。若果有日、我心只望廷對、欲直言天下事、則亦可尚矣。若志在富貴、則得志便驕縱、失志則便放曠與悲愁而已。
新字:先生曰:謂之全無知則不可。只是義利不能勝利欲之心、便至如此也。謝湜是自蜀之京師、過洛而見程子。子曰:爾将何之?曰:将試教官。子弗答。湜曰:如何?子曰:吾嘗買婢、欲試之。其母怒而弗許。曰:「吾女非可試者也。」今爾求為人師而試之、必為此媼笑也。湜遂不行。先生在講筵、不曽請俸。諸公遂牒戸部、問不支俸銭。戸部索前任歴子。先生云:某起自草萊、無前任歴子。遂令戸部自為出券歴。又不為妻求封。范純甫問其故。先生曰:某当時起自草萊、三辞然後受命。豈有今日乃為妻求封之理?問今人陳乞恩例、義当然否?人皆以為本分、不為害。先生曰:只為而今士大夫道得箇乞字慣、却動不動又是乞也。因問陳乞封父祖如何?先生曰:此事体又別。再三請益、但云其説甚長、待別時説。漢策賢良、猶是人舉之。如公孫弘者、猶強起之乃就対。至如後世賢良、乃自求舉爾。若果有日、我心只望廷対、欲直言天下事、則亦可尚矣。若志在富貴、則得志便驕縦、失志則便放曠与悲愁而已。
書き下し
先生曰く、之を全く知無しと謂ふは則ち不可なり。只是れ義利利欲の心に勝つこと能はず、便ち此くの如きに至るなり。謝湜是れ蜀より京師に之き、洛を過ぎりて程子に見ゆ。子曰く、爾将に何くにか之かんとする。曰く、将に教官を試みんとす。子答へず。湜曰く、如何。子曰く、吾嘗て婢を買ひ、之を試みんと欲す。其の母怒りて許さず。曰く、「吾が女は試むべき者に非ざるなり」と。今爾人の師と為らんことを求めて之を試む、必ず此の媼の為に笑はれん。湜遂に行かず。先生講筵に在りて、曾て俸を請はず。諸公遂に戸部に牒して、俸銭を支せざるを問ふ。戸部前任の歴子を索む。先生云ふ、某草莱より起る、前任の歴子無し。遂に戸部をして自ら券歴を出さしむ。又妻の為に封を求めず。范純甫其の故を問ふ。先生曰く、某当時草莱より起り、三たび辞して然る後に命を受く。豈に今日乃ち妻の為に封を求むるの理有らんや。問ふ、今人恩例を陳乞す、義当に然るべきや否や。人皆以て本分と為し、害を為さずとす。先生曰く、只而今の士大夫箇の乞の字を道ひ得て慣れたるが為に、却つて動もすれば又是れ乞ふなり。因りて父祖に封ずるを陳乞するは如何と問ふ。先生曰く、此の事体又別なり。再三益を請ふも、但其の説甚だ長し、別時を待ちて説かんと云ふ。漢の賢良を策する、猶ほ是れ人之を挙ぐ。公孫弘の如き者は、猶ほ強ひて之を起して乃ち対に就く。後世の賢良の如きに至りては、乃ち自ら挙げられんことを求むるのみ。若し果して日有りて、我が心只廷対を望み、直言して天下の事を言はんと欲せば、則ち亦尚ぶべし。若し志富貴に在らば、則ち志を得れば便ち驕縦し、志を失へば則ち便ち放曠と悲愁とのみ。
現代語訳
先生が言う。まったく見識がなかったと言うのは正しくない。ただ義と利を分かつ心が利欲の心に勝てなかったから、そうなってしまったのである。謝湜(しゃしょく、程頤の門人)が蜀から都へ向かう途中、洛陽に立ち寄って程子に会った。程子が「どこへ行くのか」と尋ねると、「教官の試験を受けに行く」と答えた。程子は答えなかった。謝湜が「いかがか」と問うと、程子は言った。私はかつて下女を買おうとして、試しに使ってみたいと思った。するとその母親が怒って許さず、「うちの娘は試されるような者ではない」と言った。いまおまえは人の師になろうとして試験を受けに行く。きっとあの老婆に笑われるだろう。謝湜はとうとう行かなかった。先生(程頤)は講筵(皇帝への進講の席)に仕えていたとき、一度も俸給を請求しなかった。同僚たちが戸部(財務の役所)に文書を送り、なぜ俸給を支給しないのかと問うた。戸部は前任の経歴書を求めた。先生は言った。私は在野から起用された者で、前任の経歴書はない。そこで戸部に自ら支給の証書を作らせた。また妻のために封号(夫の官位に応じて妻に与えられる称号)を求めなかった。范純甫(はんじゅんほ、范祖禹)がそのわけを尋ねた。先生は言った。私はあのとき在野から起用され、三度辞退してからようやく命を受けた。どうして今になって妻のために封号を求める道理があろうか。ある人が問うた。今の人が恩典を願い出るのは、義としてあたりまえのことか。人はみな当然の権利で害はないと考えている。先生は言った。ただ今の士大夫が「乞う」という字を口にするのに慣れてしまったから、何かといえば乞うのである。そこで、父や祖父への封号を願い出るのはどうかと尋ねた。先生は言った。これはまた事情が別である。再三教えを請うたが、ただ「その話はとても長いので、別の時に話そう」と言った。漢の時代に賢良(すぐれた人材)を策問で試したときは、まだ人が推挙したのであった。公孫弘(こうそんこう、前漢の丞相)のような者は、なお無理に引き出されてはじめて対策に応じた。後世の賢良になると、自分から推挙されることを求めるだけである。もし本当にその日が来て、私の心がただ朝廷での対策を望み、天下の事を率直に言いたいと思うのであれば、それはそれで尊ぶべきである。もし志が富貴にあるなら、志を得ればたちまち驕りほしいままになり、志を失えばたちまち投げやりになるか嘆き悲しむかのどちらかである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
孟子・盡心章句上孟子曰く、「孔子東山に登りて魯を小とし、泰山に登りて天下を小とす。故に海を観る者には水と為し難く、聖人の門に游ぶ者には言と為し難し。水を観るに術有り、必ず其の瀾を観る。日月明有り、光を容るるところ必ず照らす。流水の物為るや、科に盈たざれば行かず。君子の道に志すや、章を成さざれば達せず。」
-
孟子・盡心章句上公孫丑曰く、「伊尹曰く、『予、不順に狎れしめず。』太甲を桐に放ち、民大いに悅ぶ。太甲賢となる。又之を反し、民大いに悅ぶ。賢者の人臣為るや、其の君、賢ならざれば、則ち固より放つ可きか。」孟子曰く、「伊尹の志有れば、則ち可なり。伊尹の志無ければ、則ち篡うなり。」
-
史記 伯夷列伝子曰く、「道同じからざれば相ひ為に謀らず」と。亦た各々其の志に従ふなり。故に曰く、「富貴もし求む可くんば、執鞭の士と雖も、吾も亦た之を為さん。如し求む可からずんば、吾が好む所に従はん」と。「歳寒くして、然る後に松柏の凋むに後るるを知る」。世を挙げて混濁して、清士乃ち見はる。豈に其の重んずること彼の若く、其の軽んずること此くの若くなるを以てせんや。
-
論語・里仁篇子曰わく、いやしくも仁に志せば、悪しきこと無し。
-
史記 刺客列伝高漸離名姓を変じて人の庸保と為り、宋子に匿れ作す。之を久しくして、作苦しく、其の家の堂上に客の筑を撃つを聞き、傍偟して去る能はず。毎に言を出だして曰く、「彼に善有り善ならざる有り」と。従者以て其の主に告げて曰く、「彼の庸は乃ち音を知り、竊かに是非を言ふ」と。家の丈人召して前に筑を撃たしむ。一坐善しと称し、酒を賜ふ。而して高漸離、久しく隠れて畏約すること窮まる時無きを念ひ、乃ち退きて、其の装匣の中の筑と其の善衣とを出だし、容貌を更めて前む。坐を挙げて客皆驚き、下りて与に抗礼し、以て上客と為す。筑を撃ちて歌はしむ。客流涕して去らざる者無し。宋子伝へて之を客とし、秦の始皇に聞こゆ。秦の始皇召し見る。人識る者有りて、乃ち曰く、「高漸離なり」と。秦の皇帝其の善く筑を撃つを惜しみ、重ねて之を赦し、乃ち其の目を矐す。筑を撃たしむるに、未だ嘗て善しと称せずんばあらず。稍く益々之に近づく。高漸離乃ち鉛を以て筑の中に置き、復た進みて近づくを得、筑を挙げて秦の皇帝を樸つ。中らず。是に於て遂に高漸離を誅し、身を終ふるまで復た諸侯の人に近づかず。魯句践已に荊軻の秦王を刺せしを聞き、私かに曰く、「嗟乎、惜しいかな其の刺剣の術を講ぜざりしや。甚だしいかな吾の人を知らざるや。曩者吾之を叱す。彼乃ち我を以て人に非ずと為せしならん」と。太史公曰く、世に荊軻を言ふに、其の太子丹の命を称して、「天粟を雨らし、馬角を生ず」とするや、太だ過ぎたり。又荊軻秦王を傷つくと言ふも、皆非なり。始め公孫季功・董生、夏無且と游び、具に其の事を知り、余の為に之を道ふこと是の如し。曹沫より荊軻に至るまで五人、此れ其の義或いは成り或いは成らず。然れども其の意を立つること較然として、其の志を欺かず、名後世に垂る。豈に妄ならんや。
-
孟子・盡心章句下孟子曰く、「名を好むの人は、能く千乘の國を讓る。苟くも其の人に非ざれば、簞食豆羹も色に見わる。」
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る