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近思録 / 巻3 致知

夫詩人之志至平易、不必爲艱險求之。今以艱險求詩、則已喪其本心。何由見詩人之志?《尚書》難看、蓋難得胸臆如此之大。只欲解義、則無難也。讀書少、則無由考校得精義。蓋書以維持此心、一時放下、則一時德性有懈。讀書則此心常在、不讀書則終看義理不見。書須成誦。精思多在夜中、或靜坐得之。不記則思不起。但貫通得大原後、書亦易記。所以觀書者、釋己之疑、明己之未達。每見每知新益、則學進矣。於不疑處有疑、方是進矣。《六經》須循環理會。義理儘無窮、待自家長得一格、則又見得別。如《中庸》文字輩、直須句句理會過、使其言互相發明。《春秋》之書、在古無有。乃仲尼所自作。惟孟子能知之。非理明義精、殆未可學。先儒未及此而治之、故其說多鑿。

新字:夫詩人之志至平易、不必為艱険求之。今以艱険求詩、則已喪其本心。何由見詩人之志?《尚書》難看、蓋難得胸臆如此之大。只欲解義、則無難也。読書少、則無由考校得精義。蓋書以維持此心、一時放下、則一時徳性有懈。読書則此心常在、不読書則終看義理不見。書須成誦。精思多在夜中、或静坐得之。不記則思不起。但貫通得大原後、書亦易記。所以観書者、釈己之疑、明己之未達。毎見毎知新益、則学進矣。於不疑処有疑、方是進矣。《六経》須循環理会。義理儘無窮、待自家長得一格、則又見得別。如《中庸》文字輩、直須句句理会過、使其言互相発明。《春秋》之書、在古無有。乃仲尼所自作。惟孟子能知之。非理明義精、殆未可学。先儒未及此而治之、故其説多鑿。

書き下し

夫れ詩人の志は至って平易なり、必ずしも艱険を為して之を求めず。今艱険を以て詩を求むれば、則ち已に其の本心を喪ふ。何に由りてか詩人の志を見ん。尚書は看難し、蓋し胸臆の此の如く大なるを得難ければなり。只だ義を解せんと欲すれば、則ち難きこと無きなり。書を読むこと少なければ、則ち由りて精義を考校し得る無し。蓋し書は以て此の心を維持す、一時放下すれば、則ち一時徳性に懈り有り。書を読めば則ち此の心常に在り、書を読まざれば則ち終に義理を看て見ず。書は須らく誦を成すべし。精思は多く夜中に在り、或いは静坐して之を得。記せざれば則ち思ひ起こらず。但だ大原を貫通し得て後は、書も亦た記し易し。書を観る所以の者は、己の疑ひを釈き、己の未だ達せざるを明らかにするなり。見る毎に知ること新たにして益あらば、則ち学進む。疑はざる処に於て疑ひ有りて、方に是れ進むなり。六経は須らく循環して理会すべし。義理は儘く窮まり無し、自家の長じて一格を得るを待てば、則ち又見得ること別なり。中庸の文字の輩の如きは、直に須らく句句理会し過ぎて、其の言をして互ひに相発明せしむべし。春秋の書は、古に在りて有ること無し。乃ち仲尼の自ら作る所なり。惟だ孟子のみ能く之を知る。理明らかに義精しきに非ざれば、殆ど未だ学ぶべからず。先儒未だ此に及ばずして之を治む、故に其の説多く鑿つ。

現代語訳

そもそも詩人の志はいたって平易なものであり、わざわざ難しく険しくして求める必要はない。いま難しく険しいやり方で詩を求めれば、すでにその本心を失っている。どうして詩人の志を見ることができようか。『尚書』(書経)は読みにくい。思うに、これほど大きな胸の内を持つことが難しいからである。ただ意味を解釈しようとするだけなら、難しいことはない。書物を読むことが少なければ、精しい意義を考え比べることはできない。思うに書物はこの心を保つためのものである。一時でも手放せば、その一時は徳性に怠りが出る。書物を読めばこの心はいつもあり、書物を読まなければ、ついに義理を見ることができない。書物は暗誦できるまでにしなければならない。精しい思索は多くは夜中にあり、あるいは静坐して得る。覚えていなければ思いは起こらない。ただ大きな源に通じたあとは、書物も覚えやすくなる。書物を読む理由は、自分の疑いを解き、自分のまだ通じていないところを明らかにすることである。読むたびに新しく知って益があれば、学問は進む。疑わなかったところに疑いが生じて、はじめて進んだと言える。六経は繰り返しめぐって理解しなければならない。義理はまったく窮まりがない。自分が成長して一段上がるのを待てば、また見えるものが違ってくる。『中庸』のような文章は、一句一句理解していき、その言葉が互いに照らし合って明らかになるようにしなければならない。『春秋』という書は、古にはなかったものであり、孔子(仲尼)が自ら作ったものである。ただ孟子だけがこれを理解できた。理が明らかで義が精しくなければ、ほとんど学ぶことはできない。先儒はまだここに及ばないうちに『春秋』を研究したので、その説の多くはこじつけになっている。

解説

張載の読書論を集めた一段で、巻三「致知」の結びにあたる。詩人の志は平易なのだから難解に求めればかえって本心を失うとし、『尚書』は胸襟の大きさがなければ読めないとする。書物はこの心を保つためのもので、一時でも手放せばその間は徳性が怠るという言葉は、読書を修養そのものとみる宋学の態度をよく表している。疑わなかった所に疑いが生じて初めて進んだのだという一句はとくに有名である。六経は繰り返し読み、自分が一段成長すればまた違って見えるとも言う。同じ本を年を経て読み返すと別の発見があるという経験は多くの人にある。疑問が湧くのは理解が深まった証拠だと受け止める姿勢は、学びを続ける励みになる。

この章句が説くこと

読書疑い暗誦静坐六経

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