近思録 / 巻3 致知
凡讀史不徒要記事迹、須要識其治亂安危興廢存亡之理。且如讀《高帝紀》、便須識得漢家四百年終始治亂當如何。是亦學也。先生每讀史、到一半、便掩卷思量、料其成敗、然後卻看。有不合處、又更精思。其間多有幸而成、不幸而敗。今人只見成者便以爲是、敗者便以爲非。不知成者煞有不是、敗者煞有是底。讀史須見聖賢所存治亂之機、賢人君子出處進退、便是格物。元祐中客有見伊川者、几案間無他書、惟印行《唐鑒》一部。先生曰:近方見此書。三代以後無此議論。橫渠先生曰:序卦不可謂非聖人之縕。今欲安置一物、猶求審處。況聖人之於易、其間雖無極至精義、大概皆有意思。觀聖人之書、須遍布細密如是。大匠豈以一斧可知哉。天官之職、須襟懷洪大、方得看。蓋其規模至大、若不得此心、欲事事上致曲窮究、湊合此心如是之大、必不能得也。釋氏錙銖天地、可謂至大。然不嘗爲大、則爲事不得。若畀之一錢、則必亂矣。又曰:太宰之職難看。蓋無許大心胸包羅。記得此、復忘彼。其混混天下之事、當如捕龍蛇搏虎豹。用心力看方可。其他五官便易看、止一職也。古人能知詩者惟孟子。爲其以意逆志也。
新字:凡読史不徒要記事迹、須要識其治乱安危興廃存亡之理。且如読《高帝紀》、便須識得漢家四百年終始治乱当如何。是亦学也。先生毎読史、到一半、便掩巻思量、料其成敗、然後却看。有不合処、又更精思。其間多有幸而成、不幸而敗。今人只見成者便以為是、敗者便以為非。不知成者煞有不是、敗者煞有是底。読史須見聖賢所存治乱之機、賢人君子出処進退、便是格物。元祐中客有見伊川者、几案間無他書、惟印行《唐鑒》一部。先生曰:近方見此書。三代以後無此議論。横渠先生曰:序卦不可謂非聖人之縕。今欲安置一物、猶求審処。況聖人之於易、其間雖無極至精義、大概皆有意思。観聖人之書、須遍布細密如是。大匠豈以一斧可知哉。天官之職、須襟懐洪大、方得看。蓋其規模至大、若不得此心、欲事事上致曲窮究、湊合此心如是之大、必不能得也。釈氏錙銖天地、可謂至大。然不嘗為大、則為事不得。若畀之一銭、則必乱矣。又曰:太宰之職難看。蓋無許大心胸包羅。記得此、復忘彼。其混混天下之事、当如捕竜蛇搏虎豹。用心力看方可。其他五官便易看、止一職也。古人能知詩者惟孟子。為其以意逆志也。
書き下し
凡そ史を読むには徒に事迹を記するを要とせず、須らく其の治乱安危興廃存亡の理を識らんことを要すべし。且つ高帝紀を読むが如き、便ち須らく漢家四百年の終始治乱の当に如何なるべきかを識り得べし。是れ亦た学なり。先生毎に史を読むに、一半に到れば、便ち巻を掩ひて思量し、其の成敗を料りて、然る後に却って看る。合はざる処有れば、又更に精思す。其の間多く幸ひにして成り、不幸にして敗るる有り。今人は只だ成る者を見れば便ち以て是と為し、敗るる者をば便ち以て非と為す。知らず成る者に煞(はなは)だ是ならざる有り、敗るる者に煞だ是なる底有ることを。史を読むには須らく聖賢の存する所の治乱の機、賢人君子の出処進退を見るべし、便ち是れ格物なり。元祐中客に伊川に見ゆる者有り、几案の間に他書無く、惟だ印行の唐鑑一部のみ。先生曰く、近く方に此の書を見る。三代以後此の議論無し。横渠先生曰く、序卦は聖人の縕に非ずと謂ふべからず。今一物を安置せんと欲するも、猶ほ審らかに処らんことを求む。況んや聖人の易に於けるをや、其の間極至の精義無しと雖も、大概皆意思有り。聖人の書を観るに、須らく遍布細密なること是の如くなるべし。大匠豈に一斧を以て知るべけんや。天官の職は、須らく襟懐洪大にして、方に看ることを得べし。蓋し其の規模至大なり、若し此の心を得ずして、事事の上に曲を致して窮究し、此の心の是の如く大なるを湊合せんと欲するも、必ず得ること能はざるなり。釈氏は天地を錙銖にす、至大と謂ふべし。然れども嘗て大を為さざれば、則ち事を為し得ず。若し之に一銭を畀ふれば、則ち必ず乱れん。又曰く、太宰の職は看難し。蓋し許大の心胸の包羅する無ければなり。此を記し得れば、復た彼を忘る。其の天下の事を混混たる、当に龍蛇を捕へ虎豹を搏つが如くすべし。心力を用ひて看て方に可なり。其の他の五官は便ち看易し、止だ一職のみなればなり。古人の能く詩を知る者は惟だ孟子のみ。其の意を以て志を逆ふるが為なり。
現代語訳
およそ歴史を読むには、ただ事跡を覚えることを主眼とせず、治乱・安危・興廃・存亡の理を見分けることを主眼としなければならない。たとえば『史記』や『漢書』の「高帝紀」を読むなら、漢王朝四百年の始めから終わりまでの治乱がどうなるべきかを見て取らなければならない。これもまた学問である。先生(程頤)は歴史を読むたびに、半分まで来ると、書物を閉じて考え、その成敗を予測し、それから改めて読んだ。合わないところがあれば、さらに精しく考えた。その中には、運よく成功した場合や、運悪く失敗した場合が多い。今の人は、成功した者を見ればすぐに正しいとし、失敗した者を見ればすぐに誤りとする。成功した者にもずいぶん正しくないところがあり、失敗した者にもずいぶん正しいところがあることを知らない。歴史を読むには、聖人や賢人が心にとめた治乱の機微と、賢人君子の出仕と退隠、進むことと退くことを見なければならない。それがつまり格物である。元祐年間(北宋の哲宗の時代)に、伊川に面会した客がいたが、机の上にはほかの書物はなく、ただ印刷された『唐鑑』(范祖禹の著した唐代史論)が一部あるだけだった。先生は言った。最近ようやくこの書を見た。三代以後、このような議論はなかった。張載(横渠先生)は言う。『易』の序卦伝は聖人の奥深さではないと言ってはならない。いま一つの物を置こうとするだけでも、なお詳しく置き場所を考えようとする。まして聖人が易を作るにあたってはなおさらである。そこには究極の精密な義はないにしても、おおむねどれにも意図がある。聖人の書を読むには、このように全体に行き渡って細密でなければならない。名工の腕が、どうして一振りの斧で分かろうか。『周礼』の天官の職は、胸の内が広大であってはじめて読むことができる。思うにその規模がきわめて大きいので、もしこの心を得ずに、一つ一つの事の上で細かく窮め究めて、心をこのように大きくしようと継ぎ合わせても、必ず得られないのである。仏教徒は天地をわずかなものとみなす。至大と言うべきである。しかし実際に大きなことをしたことがないので、事をなすことができない。もし一銭でも与えれば、必ず乱れるだろう。また言う。太宰(天官の長)の職は読みにくい。それほど大きな胸で包みこむことがないからである。こちらを覚えれば、あちらを忘れる。天下の事が入り混じるさまは、龍や蛇を捕え、虎や豹と格闘するようにしなければならない。心力を尽くして読んではじめてよい。そのほかの五官は読みやすい。ただ一つの職だけだからである。古人でよく詩を理解できたのは、ただ孟子だけである。自分の心で作者の志を迎え取ったからである。
解説
この章句が説くこと
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『近思録』巻3 致知凡そ思ひを致して説き得ざる処に到りて、始めて復た審らかに思ひ明らかに弁ず、乃ち善く学ぶと為す。告子の若きは則ち説き得ざる処に到りて遂に已み、更に復た求めず。伊川先生曰く、凡そ文字を看るには、先づ須らく其の文義を暁りて、然る後に其の意を求むべし。未だ文義暁らずして、意を見る者有らざるなり。学者は自得せんことを要す。六経は浩渺として、乍ち来たりて尽く暁り難し。且く路径を見得て後、各自ら一箇の門庭を立て得て、帰りて之を求めて可なり。凡そ文字を解するは、但だ其の心を易くすれば自ら理を見る。理は只だ是れ人理甚だ分明なり、一条の平坦底の道路の如し。詩に曰く、「周道は砥の如く、其の直きこと矢の如し」と。此の謂なり。或るひと曰く、聖人の言は、恐らくは浅近を以て他を看るべからず。曰く、聖人の言は、自ら近き処有り、自ら深遠なる処有り。近き処の如きは怎生(いかん)ぞ強ひて鑿ちて深遠ならしめ得んや。揚子曰く、「聖人の言は遠きこと天の如く、賢人の言は近きこと地の如し」と。頤之を改めて曰く、聖人の言は、其の遠きこと天の如く、其の近きこと地の如し。学者の文義に泥まざる者は、又全く背き却きて遠く去る。文義を理会する者は、又滞泥して通ぜず。子濯孺子の将たるの事の如き、孟子は只だ其の師に背かざるの意を取るのみ。人は須らく上面に就きて君に事ふるの道の如何なるかを理会すべし。又万章の舜の廩を完くし井を浚ふの事を問ふが如き。孟子は只だ他に大意を答ふるのみ。人須らく井を浚ひて如何にして出で得来たり、廩を完くして又怎生にして下り得来たるかを理会せんことを要せば、此くの若きの学は、徒に心力を費やすのみ。凡そ書を観るに相類を以て其の義に泥むべからず。爾らずんば、則ち字字相梗(ふさ)がる。当に其の文勢上下の意を観るべし、「充実せる之を美と謂ふ」の如き、詩の「美」と同じからず。問ふ、瑩中嘗て文中子を愛す、或るひと易を学ぶを問ふ。子曰く、「終日乾乾」にして可なりと。此の語最も尽くせり。文王の聖なる所以も、亦た只だ是れ箇の已まざるなり。
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