淇園答要抄録 / 士たるの道の事・安民を職分とし、恩賞を求めぬ士
前書に申進じ候士たるの道詳には有之候得共士たる身分の今日の覺悟如何相心得候はゞ義に當り可申處未だ□と相分り難申に付今一應可申進旨承り候、士たる身は朝夕道義の紛るべきを求め知て夫を我身に行ひて其德を成就して庶民の模範とならん事をのみ心懸候は其身分の當り前にて、假にも其身を安逸にせんとし富貴を羨み貧賤をにくむ心を起すべからず、扨其德を成就する事は勉强して行はざれば成就せず智を弘むる事は學問によらざれば出來難しと可被思召候、士たるの身分の當り前の所元來安民の事が其職分の事にて、主人の申付にて相勤めたるに候得共、功あれば加增恩賞等に預るを心懸る事決して有之間敷事也、後漢の馮異と申將軍は戰勝の功に誇らずして恩賞のとき常ゝ大樹の下に引離れて居たるは右の職分を知れる故なり、尤法とすべき事也、
新字:前書に申進じ候士たるの道詳には有之候得共士たる身分の今日の覚悟如何相心得候はゞ義に当り可申処未だ□と相分り難申に付今一応可申進旨承り候、士たる身は朝夕道義の紛るべきを求め知て夫を我身に行ひて其徳を成就して庶民の模範とならん事をのみ心懸候は其身分の当り前にて、仮にも其身を安逸にせんとし富貴を羨み貧賤をにくむ心を起すべからず、扨其徳を成就する事は勉強して行はざれば成就せず智を弘むる事は学問によらざれば出来難しと可被思召候、士たるの身分の当り前の所元来安民の事が其職分の事にて、主人の申付にて相勤めたるに候得共、功あれば加增恩賞等に預るを心懸る事決して有之間敷事也、後漢の馮異と申将軍は戦勝の功に誇らずして恩賞のとき常ゝ大樹の下に引離れて居たるは右の職分を知れる故なり、尤法とすべき事也、
書き下し
前書に申進じ候士たるの道詳には有之候得共士たる身分の今日の覺悟如何相心得候はゞ義に當り可申處未だ□と相分り難申に付今一應可申進旨承り候、士たる身は朝夕道義の紛るべきを求め知て夫を我身に行ひて其德を成就して庶民の模範とならん事をのみ心懸候は其身分の當り前にて、假にも其身を安逸にせんとし富貴を羨み貧賤をにくむ心を起すべからず、扨其德を成就する事は勉强して行はざれば成就せず智を弘むる事は學問によらざれば出來難しと可被思召候、士たるの身分の當り前の所元來安民の事が其職分の事にて、主人の申付にて相勤めたるに候得共、功あれば加增恩賞等に預るを心懸る事決して有之間敷事也、後漢の馮異と申將軍は戰勝の功に誇らずして恩賞のとき常ゝ大樹の下に引離れて居たるは右の職分を知れる故なり、尤法とすべき事也、
現代語訳
先の書簡で申し上げた士たるの道は詳しく述べてありますが、士たる身分の今日の覚悟として、どう心得れば義に当たるのか、まだ(底本で判読できない字)と分かりにくいので、いま一度申し上げるようにとのお言葉を承りました。士たる身は、朝夕、道義の紛れやすいところを求めて知り、それを我が身に行って、その徳を成就し、庶民の模範となることだけを心がけるのが、その身分の当たり前で、かりそめにも自分の身を安逸にしようとしたり、富貴を羨み貧賤を憎む心を起こしてはなりません。さて、その徳を成就することは、勉強して行わなければ成就せず、智を広めることは学問によらなければできないと、お思いください。士たる身分の当たり前の所は、もとより安民のことがその職分であって、主人の申し付けで勤めてはいますが、功があれば加増や恩賞にあずかることを心がけるなどということは、決してあってはならないことです。後漢の馮異という将軍は、戦勝の功に誇らず、恩賞の時にはいつも大樹の下に引き離れて居たといいます。これは右の職分を知っていたからです。まことに手本とすべきことです。
解説
この章句が説くこと
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