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淇園答要抄録 / 士たるの心得の誤りの事・士は君子の徳を学び、不義を改める

天子には天子の任あり諸侯には諸侯の任あり大夫には大夫の任あるをば其別とす、中にも天子は至尊、諸侯は其次なり、天の命を得給ふにあらざれば其位に居る事を不得、大夫は政をとりて民人を安んずるの任にてしかも其材德を以て其位に進むるを得べきを以て、士は常に大夫の位に居る事を得べきの德を其身になすことを道として是を學ぶ、其德は則所謂君子の德也、君子の德の事はなを易論語孟子等にて御考ひ可被成候事也、扨右の如く士は天子諸侯大夫と同じ志の木地なれども、人倫の道には別に大義といふものありて、天命のある所の天子諸侯により仕へて君とせざれば其義を失ふものとなる事なる故に、子路の語に不仕不義といへり、されば義あるに依て君臣たれども其君に命ぜられて取扱ふ所の官事は則其身に付たる天分の事也、易の蠱の卦の上九に不事王侯高尚其事と云へるは則此事にて、王侯の爲に取扱せずして其事は互に天より命ぜられたる事といふべき也、禮の表記にも此語を臣たる道に合せて是を引けるに、後世の儒說には德者の事の樣に說たるは謬說なり、士たるの道如此なる道ゆへに全躰の道理を以ておしていへばいつまでも浪人して仕へぬといふ事はなき筈也、されども是は時と勢とも有事なれば或は一槪にも言難かるべし、扨士たるものゝ子孫世々士たるは農工たるものゝ子孫の世々農工たる如きものなれば、志をば其父祖の業を繼ぎて勉强せざれば叶はぬ事也、其先代の士の道はかゝるものなりとしらざりしは是非もなき事なり、かゝるものとしりたる士にも其非を改めざるは不義の至りなり、不義の至りなる所に身を處する事どもの咎もおそろしき事と可被思召候、

新字:天子には天子の任あり諸侯には諸侯の任あり大夫には大夫の任あるをば其別とす、中にも天子は至尊、諸侯は其次なり、天の命を得給ふにあらざれば其位に居る事を不得、大夫は政をとりて民人を安んずるの任にてしかも其材徳を以て其位に進むるを得べきを以て、士は常に大夫の位に居る事を得べきの徳を其身になすことを道として是を学ぶ、其徳は則所謂君子の徳也、君子の徳の事はなを易論語孟子等にて御考ひ可被成候事也、扨右の如く士は天子諸侯大夫と同じ志の木地なれども、人倫の道には別に大義といふものありて、天命のある所の天子諸侯により仕へて君とせざれば其義を失ふものとなる事なる故に、子路の語に不仕不義といへり、されば義あるに依て君臣たれども其君に命ぜられて取扱ふ所の官事は則其身に付たる天分の事也、易の蠱の卦の上九に不事王侯高尚其事と云へるは則此事にて、王侯の為に取扱せずして其事は互に天より命ぜられたる事といふべき也、礼の表記にも此語を臣たる道に合せて是を引けるに、後世の儒説には徳者の事の様に説たるは謬説なり、士たるの道如此なる道ゆへに全体の道理を以ておしていへばいつまでも浪人して仕へぬといふ事はなき筈也、されども是は時と勢とも有事なれば或は一槪にも言難かるべし、扨士たるものゝ子孫世々士たるは農工たるものゝ子孫の世々農工たる如きものなれば、志をば其父祖の業を継ぎて勉強せざれば叶はぬ事也、其先代の士の道はかゝるものなりとしらざりしは是非もなき事なり、かゝるものとしりたる士にも其非を改めざるは不義の至りなり、不義の至りなる所に身を処する事どもの咎もおそろしき事と可被思召候、

書き下し

天子には天子の任あり諸侯には諸侯の任あり大夫には大夫の任あるをば其別とす、中にも天子は至尊、諸侯は其次なり、天の命を得給ふにあらざれば其位に居る事を不得、大夫は政をとりて民人を安んずるの任にてしかも其材德を以て其位に進むるを得べきを以て、士は常に大夫の位に居る事を得べきの德を其身になすことを道として是を學ぶ、其德は則所謂君子の德也、君子の德の事はなを易論語孟子等にて御考ひ可被成候事也、扨右の如く士は天子諸侯大夫と同じ志の木地なれども、人倫の道には別に大義といふものありて、天命のある所の天子諸侯により仕へて君とせざれば其義を失ふものとなる事なる故に、子路の語に不仕不義といへり、されば義あるに依て君臣たれども其君に命ぜられて取扱ふ所の官事は則其身に付たる天分の事也、易の蠱の卦の上九に不事王侯高尚其事と云へるは則此事にて、王侯の爲に取扱せずして其事は互に天より命ぜられたる事といふべき也、禮の表記にも此語を臣たる道に合せて是を引けるに、後世の儒說には德者の事の樣に說たるは謬說なり、士たるの道如此なる道ゆへに全躰の道理を以ておしていへばいつまでも浪人して仕へぬといふ事はなき筈也、されども是は時と勢とも有事なれば或は一槪にも言難かるべし、扨士たるものゝ子孫世々士たるは農工たるものゝ子孫の世々農工たる如きものなれば、志をば其父祖の業を繼ぎて勉强せざれば叶はぬ事也、其先代の士の道はかゝるものなりとしらざりしは是非もなき事なり、かゝるものとしりたる士にも其非を改めざるは不義の至りなり、不義の至りなる所に身を處する事どもの咎もおそろしき事と可被思召候、

現代語訳

天子には天子の任があり、諸侯には諸侯の任があり、大夫には大夫の任があるという違いがあります。その中でも天子は至尊、諸侯はその次です。天の命を得なければその位に居ることはできません。大夫は政をとって民を安んじる任であり、しかもその才徳によってその位に進むことができますから、士は常に大夫の位に居ることができるだけの徳を身につけることを道として、これを学びます。その徳とはいわゆる君子の徳です。君子の徳のことは、さらに『易』『論語』『孟子』などでお考えくださるべきことです。さて、右のように士は天子・諸侯・大夫と同じ志の素地ですが、人倫の道には別に大義というものがあり、天命のある天子・諸侯に仕えて君としなければ、その義を失うことになります。だから子路の語に「仕えないのは不義である」とあります。そうであれば、義によって君臣となっているのですが、その君に命じられて取り扱う官事は、その身に付いた天分の事なのです。『易』蠱の卦の上九に「王侯に事えず、その事を高尚にす」とあるのはこのことで、王侯のために取り扱うのではなく、その事は互いに天から命じられた事だと言うべきです。『礼記』表記にもこの語を臣たる道に合わせて引いていますが、後世の儒説に徳者(徳のある人)の事のように説くのは誤った説です。士たる道がこのようなものですから、全体の道理で押して言えば、いつまでも浪人して仕えないということはないはずです。けれども、これは時と勢いもあることですから、一概には言いにくいでしょう。さて、士たる者の子孫が世々士であるのは、農工の子孫が世々農工であるようなものですから、志をその父祖の業を継いで勉強しなければなりません。その先代の士の道がこのようなものだと知らなかったのは仕方のないことです。このようなものだと知った士でも、その非を改めないのは不義の至りです。不義の至りの所に身を置くことの咎も恐ろしいことと、お思いくださるべきです。

解説

士は天子・諸侯・大夫と同じ志を素地にしながら、それぞれに任があり、士は大夫の位にふさわしい君子の徳を学ぶことを道とすると説かれます。官職は君から命じられたものですが、その仕事の中身は天から授かった自分の分でもあるという見方です。そして先祖の道を知らなかったのは仕方がなくても、知った後に非を改めないことを不義の至りと戒めます。管理職にとっても、与えられた役割を自分の使命として引き受けることと、誤りに気づいたら過去の慣行でも改めることが、信頼の土台になります。

この章句が説くこと

『淇園答要抄録』皆川淇園君子の徳大夫不義蠱の卦

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