剣徴 / 水の純一、虚発の誠
又出博物志史補篇、同上、楚王遊於苑、白猿在焉、王令善射者射之、矢數發、猿搏矢而笑、乃命由基、由基撫弓、猿即抱木而號、及六國時、更羸謂魏王曰、臣能爲虛發而下鳥、魏王曰、然則射可至於此乎、嬴曰、可、有頃聞雁從東方來、更嬴虛發而鳥下焉、又見淮南子及博物志、みな精神貫沖の說也、學者玩味せよ、尉繚子十二陵篇、勝兵似水、夫水至柔弱者也、然所觸丘陵必爲之崩、無異也、性專而觸誠也、言心は、敵に打勝ところの軍は水に似たり、觸れ當る所みな碎け破るゝと也、その水と云者は至て柔弱なる者なれども、その觸れ干す所は、丘陵のをかも之が爲に崩るゝ者は、水の性が一途なる者にして、觸るゝこと又純一なる故也となり、武人是に於て感悟すべし、今の技藝をなす者、敵に對するや否や、右と見せて左を打ち、裾と見せて首を打つ、一切みなだましたり、すかしたりすることにかゝつて居る故、吾が殺氣かつて敵の胴腹に透徹とつらぬかず、由て敵も何とも思はず居るが故に、又自由自在なることをするぞ、悲哉悲哉、如此にして、生涯霜辛雪苦すと云とも、畢竟醉生夢死の塲にして、うだつのあがることは無き也、冀は、水の性專にして觸るゝこと誠なれば、丘陵これが爲に崩潰するの義に由て、脫然として醒悟し、實心を以て實事を行ひ、獨立自在の妙境に至らば、眼光所射、敵人不能對面、殆んど朝日の人目を眩耀するが如ならんと云、
新字:又出博物志史補篇、同上、楚王遊於苑、白猿在焉、王令善射者射之、矢数発、猿搏矢而笑、乃命由基、由基撫弓、猿即抱木而号、及六国時、更羸謂魏王曰、臣能為虚発而下鳥、魏王曰、然則射可至於此乎、嬴曰、可、有頃聞雁従東方来、更嬴虚発而鳥下焉、又見淮南子及博物志、みな精神貫沖の説也、学者玩味せよ、尉繚子十二陵篇、勝兵似水、夫水至柔弱者也、然所触丘陵必為之崩、無異也、性専而触誠也、言心は、敵に打勝ところの軍は水に似たり、触れ当る所みな砕け破るゝと也、その水と云者は至て柔弱なる者なれども、その触れ干す所は、丘陵のをかも之が為に崩るゝ者は、水の性が一途なる者にして、触るゝこと又純一なる故也となり、武人是に於て感悟すべし、今の技芸をなす者、敵に対するや否や、右と見せて左を打ち、裾と見せて首を打つ、一切みなだましたり、すかしたりすることにかゝつて居る故、吾が殺気かつて敵の胴腹に透徹とつらぬかず、由て敵も何とも思はず居るが故に、又自由自在なることをするぞ、悲哉悲哉、如此にして、生涯霜辛雪苦すと云とも、畢竟酔生夢死の塲にして、うだつのあがることは無き也、冀は、水の性専にして触るゝこと誠なれば、丘陵これが為に崩潰するの義に由て、脱然として醒悟し、実心を以て実事を行ひ、独立自在の妙境に至らば、眼光所射、敵人不能対面、殆んど朝日の人目を眩耀するが如ならんと云、
書き下し
又博物志史補篇に出づ、同上、「楚王苑に遊ぶ。白猿焉に在り。王、善く射る者をして之を射しむ。矢数ば発すれども、猿は矢を搏ちて笑ふ。乃ち由基に命ず。由基弓を撫すれば、猿即ち木を抱きて号ぶ。六国の時に及び、更羸魏王に謂ひて曰く、臣能く虚発して鳥を下さん。魏王曰く、然らば則ち射は此に至るべきか。嬴曰く、可なり。有頃にして雁の東方より来たるを聞く。更嬴虚発して鳥下る」と、又淮南子及博物志に見ゆ、みな精神貫沖の説也、学者玩味せよ、尉繚子十二陵篇に「勝兵は水に似たり。夫れ水は至って柔弱なる者なり。然れども触るる所の丘陵は必ず之が為に崩る。異なること無し。性専らにして触るること誠なればなり」とあり、言心は、敵に打勝ところの軍は水に似たり、触れ当る所みな砕け破るゝと也、その水と云者は至て柔弱なる者なれども、その触れ干す所は、丘陵のをかも之が為に崩るゝ者は、水の性が一途なる者にして、触るゝこと又純一なる故也となり、武人是に於て感悟すべし、今の技芸をなす者、敵に対するや否や、右と見せて左を打ち、裾と見せて首を打つ、一切みなだましたり、すかしたりすることにかゝつて居る故、吾が殺気かつて敵の胴腹に透徹とつらぬかず、由て敵も何とも思はず居るが故に、又自由自在なることをするぞ、悲哉悲哉、如此にして、生涯霜辛雪苦すと云とも、畢竟酔生夢死の塲にして、うだつのあがることは無き也、冀は、水の性専にして触るること誠なれば、丘陵これが為に崩潰するの義に由て、脱然として醒悟し、実心を以て実事を行ひ、独立自在の妙境に至らば、眼光所射、敵人不能対面、殆んど朝日の人目を眩耀するが如ならんと云、
現代語訳
また『博物志』史補篇に出ています(同上)。「楚王が庭園に遊んだとき、白い猿がいました。王は弓の名手に射させました。矢を何本も射ましたが、猿は矢を打ち払って笑いました。そこで由基に命じました。由基が弓を撫でると、猿はすぐ木に抱きついて叫びました。六国の時代になって、更羸が魏王に言いました。私は空射ちで鳥を落とせます。魏王は、では射はここまで至れるのかと問います。更羸は、できますと答えました。しばらくして雁が東から来る声がしました。更羸が空射ちをすると鳥が落ちました」とあり、『淮南子』や『博物志』にも見えます。みな精神が貫き通る説であり、学ぶ者はよく味わってください。『尉繚子』十二陵篇に「勝つ軍は水に似ている。水はこの上なく柔らかく弱いものだ。しかし触れる丘や陵は必ず崩れる。それは他でもない。水の性質が専一で、触れ方が誠だからである」とあります。この心は、敵に打ち勝つ軍は水に似ていて、触れ当たるところは皆砕け破れる、ということです。水は柔弱なものですが、その触れる所では丘陵さえ崩れるのは、水の性質が一途で、触れ方が純一だからだといいます。武人はここで悟るべきです。今の技芸をする者は、敵に向かうやいなや、右と見せて左を打ち、裾と見せて首を打つなど、すべて欺いたり、すかしたりすることに頼っています。だから自分の殺気は敵の胴腹に通らず、敵も何とも思わずにいて、かえって敵が自由自在に動けるのです。悲しいことです。こうして生涯苦労しても、結局は酔生夢死の場にとどまり、うだつが上がることはありません。願わくは、水の性質が専一で、触れ方が誠であれば丘陵が崩れるという意味によって、さっぱりと目覚め、真心で実事を行い、独立自在の妙境に至ってほしい。そうなれば、眼光が射る所、敵は向き合うことができず、ほとんど朝日が人の目をくらませるようになるでしょう。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
言志四録・言志耋録 第三百三十四条 人道は誠敬のみ人道は只だ是れ誠敬のみ。生きては既に生を全うし、死しては乃ち死に安んず。敬よりして誠なり。生死は天より来る、順ひて之を受く。誠よりして敬なり。夫の短長を較べ、苦楽を説くに至りては、則ち竟に是れ男女親族の私情にして、死者に於ては此の遺念無きのみ。
-
『大和俗訓』巻之七・躬行下一程子曰、財ををしみては、よく善を行ふことなり難し。誠なくしては、善をなす事はなり難しと。此言むべなるかな。財を用ひずして、ただ言を以て人をかたらふとも、人を救ひがたし。人もまた悦ばずして其人のために忠を尽さざれば功をなすこと成りがたし。項羽を婦人の仁といひしも是なり。又凡の事、いつはりを以て善を行へば、中心より出でざる故、善を行ふに専一ならずして、其事成就せず。誠の善とすべからず。人も亦信とせず。感通の理なし。
-
『弁名』誠又た仁斎先生の無妄と無偽とを以て其の優劣を争ふが如きも、亦た朱子の意は虚妄無きを謂ふのみなるを知らず。其の所謂春当に温かなるべくして反つて寒く、夏当に熱かるべくして反つて冷え、夏に霜ふり、冬に雷なり、桃李華さき、五星逆行し、日月度を失ふの類、豈に虚妄と為すべけんや。東坡の所謂「人は至らざる所無し、惟だ天のみ偽を容れず」とは、其の人の偽を容れざるを謂ふのみ。天の偽らざるを謂ふに非ざるなり。嗚呼、天豈に偽不偽を以て言ふべけんや。是れ其の今言に於いて猶ほ未だ之を知らず。況んや古言に於いてをや。
-
『大和俗訓』巻之三・心術上一およそ人の一念の不善も、かならず天に通ずる理あり。天は高きに居て、ひききに聞くといへり。上天を欺くべからず。おそるべし。人をあざむけば、つひに其、偽あらはる。内に誠あれば、必外にあらはるといへり。下人をあざむくべからず。恥づべし。天を欺き、人をあざむくは、共に我が心を欺くによれり。我が心に不善と知りながら、これを行ふ、是自欺なり。我が心あざむくべからず。およそ、天と人と我が心と、皆あざむくべからず。唯一すぢに誠あるべし。ここを以て、君子の心は、つねに青天白日の如くなり。小人の心は、常に陰暗くしてはかりがたし。
-
『洗心洞箚記』卷下・第九十一條是の故に賢愚と無く、学に志せば、則ち断じて是を以て準的と為す。則ち康荘大道の上を行くの人にして、邪径曲路を踏む者に非ざるなり。而して其の成不成も亦命なるのみ。君子は命を云はず、只義を以て主と為す。則ち誠を以て準的と為す、義焉より大なるは莫し。陽明先生曰く、大学の要は、誠意のみと。此を以てなり。而して程朱居敬窮理の工も、要するに亦誠に帰するのみ。豈に他有らんや。而して其の学者静坐し、其の子陽辟して書を読み、其の勤惰を知らず、或いは冊子の上に放著して、心を治むるの工を知らず。是れ皆其の末学の弊なり。程朱の学にして安んぞ之有らんや。故に湯潜菴先生曰く、宋儒は主敬を言ふ。陽明は学者の一の敬の字を執著呆守するに過ぎて、反つて是れ不敬なるを恐る。故に人に教へて只良知を提醒せしむ。吾謂へらく、良知を昏まさざる者は、敬なり。敬の執著せざる所の者は、良知なりと。要するに誠に帰するを以て準的と為して問学すれば、則ち主敬と曰ふも亦可なり、致良知と曰ふも亦可なり。否ずんば則ち博学浩聞も、即ち門外の乞児なり。反観内省も、即ち葱嶺の髡徒なり。豈に道を学ぶと曰はんや。
-
言志四録・言志耋録 第百十条 一誠なれば陰陽の別無し己の陰事は、宜しく人の之を説くに任すべし。人の陰事は、我は則ち説くべからず。我の為す所、只だ是れ一誠ならば、則ち実に陰陽の別無きのみ。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る