剣徴 / 刀剣は風雨、精神は寒暑
淮南兵略訓、風雨可障蔽、而寒暑不可開閉、以其無形也、風雨の形有て至る者は、障たり蔽たりすべし、寒暑の形無して至る者は、閉て入れぬことならず、開て出すことならぬと也、夫刀劍は人の風雨也、敵能遮攔とさるゑざり、架隔とうけて身體に當らぬ樣にすべし、精神は人の寒暑也、安ぞ敵の心膽をつらぬき、氣魄を碎て、防閑することを得んや、猶龍氏云、無有入無間、又此之義也、
新字:淮南兵略訓、風雨可障蔽、而寒暑不可開閉、以其無形也、風雨の形有て至る者は、障たり蔽たりすべし、寒暑の形無して至る者は、閉て入れぬことならず、開て出すことならぬと也、夫刀剣は人の風雨也、敵能遮攔とさるゑざり、架隔とうけて身体に当らぬ様にすべし、精神は人の寒暑也、安ぞ敵の心胆をつらぬき、気魄を砕て、防閑することを得んや、猶竜氏云、無有入無間、又此之義也、
書き下し
淮南兵略訓に「風雨は障蔽すべくして、寒暑は開閉すべからず。其の無形なるを以てなり」とあり、風雨の形有て至る者は、障たり蔽たりすべし、寒暑の形無して至る者は、閉て入れぬことならず、開て出すことならぬと也、夫刀剣は人の風雨也、敵能遮攔とさるゑざり、架隔とうけて身体に当らぬ様にすべし、精神は人の寒暑也、安ぞ敵の心胆をつらぬき、気魄を砕て、防閑することを得んや、猶龍氏云ふ、「無有は無間に入る」と、又此之義也、
現代語訳
『淮南子』兵略訓に「風雨は遮り防ぐことができるが、寒さ暑さは開け閉めして防ぐことができない。それは形がないからである」とあります。風雨のように形があって来るものは、遮ったり覆ったりできます。寒暑のように形がなくて来るものは、閉めて入れないことも、開けて出すこともできないという意味です。刀剣は人にとっての風雨であり、敵はそれをさえぎったり、受け止めたりして、身体に当たらないようにできます。精神は人にとっての寒暑です。どうして敵の心胆を貫き、気魄を砕くものを、防ぎ止めることができましょう。猶龍氏(老子)が言う「形のないものは隙間のないところにも入る」というのも、この意味です。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『淮南子』兵略訓諸の象有る者は、勝つ可からざる莫し。諸の形有る者は、應ず可からざる莫し。是を以て聖人は形を無に藏して、心を虛に游ばす。風雨は障蔽す可くして、寒暑は開閉す可からず。其の無形なるを以ての故なり。夫れ能く滑淖精微にして、金石を貫き、至遠を窮め、九天の上に放り、黃盧の下に蟠るは、唯だ無形なる者のみなり。善く兵を用うる者は、當に其の亂を擊ちて、其の治を攻めざるべし。是れ堂堂の寇を襲わず、填填の旗を擊たざるなり。容 未だ見る可からざれば、數を以て相い持す。彼に死形有らば、因りて之を制す。敵人 數を執らば、動けば則ち陰に就く。虛を以て實に應ずれば、必ず之が禽と爲る。虎豹 動かざれば、陷阱に入らず。麋鹿 動かざれば、罝罘を離れず。飛鳥 動かざれば、網羅に絓からず。魚鱉 動かざれば、蜃喙を擐かず。物 未だ動くを以て制せられざる者有らざるなり。
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『剣徴』・精神は剣より鋭し淮南子主術訓に「兵は心より憯きは莫く、而して莫邪は下と為す」とあり、原注に云ふ、憯は利也、志意精誠を以て人を伐つを利と為す、言心は、我精神を以て敵の心魂を砕くほどするどなることは無し、鏌鋣の名剣も及ぶ所に非ずと也、是は蜀の馬稷が心攻心戦の説也、敵の根本を摧きて見れば、枝葉は捨置ても破るゝと云こと也、手先のわざは枝葉也、魂は根本也、敵の魂を挫けば、手先の業は自ら用に達ぬことになり行と也、我純一無雑必死三昧の境に立ち、身を肉醤になして敵を殺死せんと願欲する念慮気魄、驀直端的に敵の心に透徹とつらぬき、感動とひゞけば、巧手上工のわざも用にたゝぬぞ、此に至て干将莫邪の鋭利も論ずるに足らざる也、是ひとり其理致有のみに非ず、既に事実の徴となすべき者有り、因て附載して以て互に原文の意を相発するもの爾り、必しも博考を衒に非ず、唯学者の考索に便りす、搜神記に「楚の熊渠子、夜行きて寝石を見、以て伏虎と為し、弓を彎きて之を射るに、金を没し羽を鍛す。下り視て其の石なるを知る。因りて後に之を射れば、矢摧けて迹無し。漢の世に復た李広有り、右北平の大守たりしとき、虎を射て石を得ること亦之の如し。劉向曰く、誠の至りなり。而して金石も之が為に開く。況や人に於いてをや。夫れ唱へて和せず、動きて随はざるは、中に以て全からざる者有ればなり」
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『淮南子』兵略訓夫れ形埒有る者は、天下 訟く之を見る。篇籍有る者は、世人 之を傳え學ぶ。此れ皆な形を以て相い勝つ者なり。善く形する者は法らざるなり。道を貴ぶ所以の者は、其の無形を貴べばなり。無形なれば則ち制迫す可からず、度量す可からず、巧詐す可からず、規慮す可からず。智 見わるれば、人 之が謀を爲す。形 見わるれば、人 之が功を爲す。眾 見わるれば、人 之が伏を爲す。器 見わるれば、人 之が備を爲す。動作周還、倨句詘伸、巧詐す可き者は、皆な善き者に非ざるなり。
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『剣徴』・水の純一、虚発の誠又博物志史補篇に出づ、同上、「楚王苑に遊ぶ。白猿焉に在り。王、善く射る者をして之を射しむ。矢数ば発すれども、猿は矢を搏ちて笑ふ。乃ち由基に命ず。由基弓を撫すれば、猿即ち木を抱きて号ぶ。六国の時に及び、更羸魏王に謂ひて曰く、臣能く虚発して鳥を下さん。魏王曰く、然らば則ち射は此に至るべきか。嬴曰く、可なり。有頃にして雁の東方より来たるを聞く。更嬴虚発して鳥下る」と、又淮南子及博物志に見ゆ、みな精神貫沖の説也、学者玩味せよ、尉繚子十二陵篇に「勝兵は水に似たり。夫れ水は至って柔弱なる者なり。然れども触るる所の丘陵は必ず之が為に崩る。異なること無し。性専らにして触るること誠なればなり」とあり、言心は、敵に打勝ところの軍は水に似たり、触れ当る所みな砕け破るゝと也、その水と云者は至て柔弱なる者なれども、その触れ干す所は、丘陵のをかも之が為に崩るゝ者は、水の性が一途なる者にして、触るゝこと又純一なる故也となり、武人是に於て感悟すべし、今の技芸をなす者、敵に対するや否や、右と見せて左を打ち、裾と見せて首を打つ、一切みなだましたり、すかしたりすることにかゝつて居る故、吾が殺気かつて敵の胴腹に透徹とつらぬかず、由て敵も何とも思はず居るが故に、又自由自在なることをするぞ、悲哉悲哉、如此にして、生涯霜辛雪苦すと云とも、畢竟酔生夢死の塲にして、うだつのあがることは無き也、冀は、水の性専にして触るること誠なれば、丘陵これが為に崩潰するの義に由て、脱然として醒悟し、実心を以て実事を行ひ、独立自在の妙境に至らば、眼光所射、敵人不能対面、殆んど朝日の人目を眩耀するが如ならんと云、
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『淮南子』要略精神なる者は、人の由りて生ずる所を原本して、其の形骸九竅を曉寤し、象を天に取り、其の血氣を合同し、雷霆風雨と其の喜怒を比類し、晝宵寒暑と並び明らかにし、死生の分を審らかにし、同異の跡を別かち、動靜の機を節し、以て其の性命の宗に反る所以なり。人をして其の精神を愛養し、其の魂魄を撫靜し、物を以て己を易えず、虛無の宅を緊守せしむる所以の者なり。
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『淮南子』兵略訓今 兩人をして刃を接せしむるに、巧詘 異ならずして、勇士 必ず勝つ者は、何ぞや。其の行うこと之れ誠なればなり。夫れ巨斧を以て桐薪を擊つに、利時良日を待ちて而る後に之を破らず。巨斧を桐薪の上に加えて、人力の奉ずる無ければ、招搖に順い、刑德を挾むと雖も、而も破る能わざる者は、其の勢無きを以てなり。故に水 激すれば則ち悍く、矢 激すれば則ち遠し。夫れ栝淇衛箘簵、載するに銀錫を以てするも、薄縞の幨、腐荷の矰有りと雖も、然れども猶お獨り射る能わざるなり。之に筋角の力、弓弩の勢を假れば、則ち兕甲を貫きて革盾を徑るなり。夫れ風の疾きは、屋を飛ばし木を折るに至る。虛舉の下は大いに遲し。高丘より上るは、人の推す所有ればなり。是の故に善く兵を用うる者は、勢 積水を千仞の堤に決するが如く、員石を萬丈の溪に轉ずるが若し。天下 吾が兵の必ず用いらるるを見れば、則ち孰か敢えて我と戰わん者あらんや。故に百人の必死は、萬人の必北に賢る。況んや三軍の眾を以て、水火に赴きて踵を還さざるをや。天下に誂いて刃を合わすと雖も、誰か敢えて上に在らんや。

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