剣徴 / ためらいは蜂蠆に劣る
漢書蒯通傳、猛虎之猶與、不如蠭蠆之致螫、孟賁之狐疑、不如童子之必死、虎狼猛からざるに非ず、孟賁勇ならざるに非ず、然れども猶與とためらひ、狐疑とあやぶみ、驀直に進取せざれば懼に足ぬぞ、反て蜂蠆の赤肉をさし、童子の短刀にて突のをそろしき者は、進と不進とに在り、武人玆にて悟べし、今死生の塲に立て、槍を合せ、劍を接するの時に至て、遷延却退し、或は回顧【踟躅/蹰躇】するは皆玆に坐する者也、故に我が殺心氣燄曾て發せず、精彩神元敵心に透徹せず、既に阿修羅界に在て、猶須臾の命根を保せんとを幸として、短き刀の陰に身をちゞめ、細き槍の柄に掩はれんとを欲す、其心の賤劣卑怯、喙を置に所無し、是以坐ながら敗亡をとりて、屍上猶羞辱を餘すに至る、吾黨之士、請脫出此魔界、超然として神武の域に入らんことを、司馬法曰、刄上果以敏、
新字:漢書蒯通伝、猛虎之猶与、不如蠭蠆之致螫、孟賁之狐疑、不如童子之必死、虎狼猛からざるに非ず、孟賁勇ならざるに非ず、然れども猶与とためらひ、狐疑とあやぶみ、驀直に進取せざれば懼に足ぬぞ、反て蜂蠆の赤肉をさし、童子の短刀にて突のをそろしき者は、進と不進とに在り、武人玆にて悟べし、今死生の塲に立て、槍を合せ、剣を接するの時に至て、遷延却退し、或は回顧【踟躅/蹰躇】するは皆玆に坐する者也、故に我が殺心気焔曽て発せず、精彩神元敵心に透徹せず、既に阿修羅界に在て、猶須臾の命根を保せんとを幸として、短き刀の陰に身をちゞめ、細き槍の柄に掩はれんとを欲す、其心の賤劣卑怯、喙を置に所無し、是以坐ながら敗亡をとりて、屍上猶羞辱を余すに至る、吾党之士、請脱出此魔界、超然として神武の域に入らんことを、司馬法曰、刄上果以敏、
書き下し
漢書蒯通伝に「猛虎の猶与するは、蜂蠆の螫を致すに如かず。孟賁の狐疑するは、童子の必死するに如かず」とあり、虎狼猛からざるに非ず、孟賁勇ならざるに非ず、然れども猶与とためらひ、狐疑とあやぶみ、驀直に進取せざれば懼に足ぬぞ、反て蜂蠆の赤肉をさし、童子の短刀にて突のをそろしき者は、進と不進とに在り、武人玆にて悟べし、今死生の塲に立て、槍を合せ、剣を接するの時に至て、遷延却退し、或は回顧踟蹰するは皆玆に坐する者也、故に我が殺心気燄曾て発せず、精彩神元敵心に透徹せず、既に阿修羅界に在て、猶須臾の命根を保せんとを幸として、短き刀の陰に身をちゞめ、細き槍の柄に掩はれんとを欲す、其心の賤劣卑怯、喙を置に所無し、是以坐ながら敗亡をとりて、屍上猶羞辱を餘すに至る、吾党之士、請ふ此魔界を脱出し、超然として神武の域に入らんことを、司馬法に曰く、「刃上は果にして以て敏なり」、
現代語訳
『漢書』蒯通伝に「猛虎がためらうのは、蜂やさそりが刺すことには及ばない。孟賁(古代の勇者)が疑い迷うのは、子どもが必死になることには及ばない」とあります。虎や狼が猛くないわけではなく、孟賁が勇敢でないわけでもありません。しかしためらい、疑い、危ぶんで、まっすぐ進まなければ、恐れるに足りないのです。逆に、蜂やさそりが赤い肉を刺し、子どもが短刀で突くのが恐ろしいのは、進むか進まないかにかかっています。武人はここで悟るべきです。いま生死の場に立ち、槍を合わせ剣を交える時になって、ぐずぐず後退したり、振り返ってためらったりするのは、みなこの類いです。だから自分の殺気や気迫はまるで発せず、生き生きした精神も敵の心に通りません。すでに阿修羅の世界にありながら、なお束の間の命を保つことを幸いとして、短い刀の陰に身を縮め、細い槍の柄に隠れようとします。その心の卑しさ、卑怯さは、口を挟む余地もありません。だから座したまま敗亡を招き、屍の上にまで恥辱を残すことになります。私たち仲間の士よ、どうかこの魔界を脱し、超然として神武の域に入ってください。『司馬法』に「刃を交える際は果断で、それによって敏速である」とあります。
解説
この章句が説くこと
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