剣徴 / 迷いを断つ疾雷の決
楚辭、九歌、首雖離分、心不懲、懲は創也、と註す、又創は傷也、又與憎同悲也、然ればひとりこる事のみに非ず、言心は、首と胴體と離れ離れになるとも、精神は曾て畏懼創傷せざると也、如此に武人精神を引立置に非ずんば、奈ぞ矢石鋒刄の間に立て我が本分を盡す事を得ん哉、龍韜軍勢篇、功者一決而不猶豫、是以疾雷不及掩耳、迅電不及瞑目、赴之若驚、用之若狂、當之者破、近之者亡、闘戰の道は、如此に見すゑた所有れば、猶豫とためらひ、狐疑とうたがひ、逡巡顧望と跡へすさりたり、見合せたりする樣にてはならざる也、夜狐引歌に、「逸物は追かけあとへふりむけば、其まゝとると云傳へ兔」、「鈍物は追かけあとへふりむけば、をちてとらねば手こそ多けれ」、此歌の心にて會得すべし、劍技者流の太刀からかひ、業けらへば、皆猶豫狐疑の病となる、識者請灑脫せよ、
新字:楚辞、九歌、首雖離分、心不懲、懲は創也、と註す、又創は傷也、又与憎同悲也、然ればひとりこる事のみに非ず、言心は、首と胴体と離れ離れになるとも、精神は曽て畏懼創傷せざると也、如此に武人精神を引立置に非ずんば、奈ぞ矢石鋒刄の間に立て我が本分を尽す事を得ん哉、竜韜軍勢篇、功者一決而不猶予、是以疾雷不及掩耳、迅電不及瞑目、赴之若驚、用之若狂、当之者破、近之者亡、闘戦の道は、如此に見すゑた所有れば、猶予とためらひ、狐疑とうたがひ、逡巡顧望と跡へすさりたり、見合せたりする様にてはならざる也、夜狐引歌に、「逸物は追かけあとへふりむけば、其まゝとると云伝へ兔」、「鈍物は追かけあとへふりむけば、をちてとらねば手こそ多けれ」、此歌の心にて会得すべし、剣技者流の太刀からかひ、業けらへば、皆猶予狐疑の病となる、識者請灑脱せよ、
書き下し
楚辞九歌に「首は離れ分るるも、心は懲りず」とあり、懲は創也、と注す、又創は傷也、又憎と同じく悲也、然ればひとりこる事のみに非ず、言心は、首と胴体と離れ離れになるとも、精神は曾て畏懼創傷せざると也、如此に武人精神を引立置に非ずんば、奈ぞ矢石鋒刃の間に立て我が本分を尽す事を得ん哉、竜韜軍勢篇に「功ある者は一決して猶予せず、是を以て疾雷も耳を掩ふに及ばず、迅電も目を瞑るに及ばず、之に赴くこと驚くが若く、之を用ふること狂ふが若し、之に当たる者は破れ、之に近づく者は亡ぶ」とあり、闘戦の道は、如此に見すゑた所有れば、猶予とためらひ、狐疑とうたがひ、逡巡顧望と跡へすさりたり、見合せたりする様にてはならざる也、夜狐引歌に、「逸物は追かけあとへふりむけば、其まゝとると云伝へ兎」、「鈍物は追かけあとへふりむけば、をちてとらねば手こそ多けれ」、此歌の心にて会得すべし、剣技者流の太刀からかひ、業けらへば、皆猶予狐疑の病となる、識者請ふ灑脱せよ、
現代語訳
『楚辞』九歌に「首は離れ分かれても、心は懲りない」とあり、懲は創(きず)の意だと注されています。また創は傷、さらに憎と同じく悲しみの意とも言います。つまり、ただ懲りないというだけではありません。首と胴体が離れ離れになっても、精神はまったく恐れず傷つかない、という意味です。このように武人が精神を奮い立たせておかなければ、どうして矢や石や刃の間に立って本分を尽くせるでしょうか。『六韜』竜韜軍勢篇に「功を成す者は、一度決めて迷わない。だから激しい雷も耳を覆う暇がなく、速い稲妻も目をつぶる暇がない。赴くときは驚いたようで、用いるときは狂ったようだ。当たる者は破れ、近づく者は滅びる」とあります。戦いの道は、このように見据えたところがあるもので、ためらい、疑い、尻込みして後ずさりしたり、様子見をしたりしてはなりません。夜狐引歌に、「すぐれた犬は追いかけて後ろを振り向けば、そのまま獲物を取ると言い伝える兎」、「鈍い犬は追いかけて後ろを振り向けば、落ちて取り逃すので手がかかる」とあります。この歌の心で会得すべきです。剣技を行う者が太刀さばきや技の細工に走れば、みなためらいと疑いの病になります。識者よ、どうかさっぱりと脱してください。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『剣徴』・ためらいは蜂蠆に劣る漢書蒯通伝に「猛虎の猶与するは、蜂蠆の螫を致すに如かず。孟賁の狐疑するは、童子の必死するに如かず」とあり、虎狼猛からざるに非ず、孟賁勇ならざるに非ず、然れども猶与とためらひ、狐疑とあやぶみ、驀直に進取せざれば懼に足ぬぞ、反て蜂蠆の赤肉をさし、童子の短刀にて突のをそろしき者は、進と不進とに在り、武人玆にて悟べし、今死生の塲に立て、槍を合せ、剣を接するの時に至て、遷延却退し、或は回顧踟蹰するは皆玆に坐する者也、故に我が殺心気燄曾て発せず、精彩神元敵心に透徹せず、既に阿修羅界に在て、猶須臾の命根を保せんとを幸として、短き刀の陰に身をちゞめ、細き槍の柄に掩はれんとを欲す、其心の賤劣卑怯、喙を置に所無し、是以坐ながら敗亡をとりて、屍上猶羞辱を餘すに至る、吾党之士、請ふ此魔界を脱出し、超然として神武の域に入らんことを、司馬法に曰く、「刃上は果にして以て敏なり」、
-
『剣徴』・果敢敏捷、進退の義茅元儀云ふ、「兵刃相接するの上は、当に果敢敏捷なるべし」と、夫既に兵刃を交に及で遅回逡巡するは、畏縮退怯の私心ぞ、此私心を打破するときは、則果敢敏捷の勇断勃起す、恰も飢鷹の鳥を撃ち、餒虎の獣を搏するに似たり、此に至て其勢自ら止むること不能、殆んど峻坂に円石を転するが如し、孫兵聖云ふ、「兵は拙速を聞くも、未だ巧の久しきを覩ざるなり」と、又此之謂也、又曰く、「慮既に定まれば、心乃ち強く、進退疑ひ無し」と、必死に覚悟を決定すれば、畏懼の念頭竭尽して、勇猛剛強の心自ら生ず、是に於て、進も退も皆節に当り機に会し、我より為得て独断の妙境に在り、焉ぞ疑惑の累有んや、進とは敵に向て進を云、退とは敵を殺して帰るを云、進で敵を打殺して、後へ帰り退より外は無き也、是進退の義也、若し敵強くして、進退けらるると云はゞ、吾より進退するに非ず、甚だ其義を失せり、
-
『剣徴』・巧拙に勝負は論ぜられず同じく、「両人刃を接し、巧拙異ならずして、勇士必ず勝つ者は何ぞや。其の行ふこと誠なればなり」と、勝負は巧拙に在らず、勇怯径庭をなす、夫勇者不懼、故によく純一無雑也、是其勝を制する所以也、今世の武技を講ずる者は是に異也、巧拙を以て勝敗をなす、然れば我より劣れる者には勝ち、我より勝れる者には負け、我と同き者には同殺死に定む、如此は歳月の力を労し生涯の切を尽も亦何の効験か有ん、是みな者流の陋見のみ、五雑組に、正統己巳の変、(此は明の英宗北狩の時をさす)、天下の勇士を招募す、山西の李通なる者、京師に行教し、其の技芸を試むるに、十八般皆能くし、与に敵を為すべき者無し、遂に首選に応ず、然れども通は後に卒に勲業を以て顕れず、何ぞや、是に由て観之、巧拙にて勝負は論ぜられぬことぞ、左れば古より剣槍の上手、名人と称せらるゝ者、
-
『剣徴』・精神は剣より鋭し淮南子主術訓に「兵は心より憯きは莫く、而して莫邪は下と為す」とあり、原注に云ふ、憯は利也、志意精誠を以て人を伐つを利と為す、言心は、我精神を以て敵の心魂を砕くほどするどなることは無し、鏌鋣の名剣も及ぶ所に非ずと也、是は蜀の馬稷が心攻心戦の説也、敵の根本を摧きて見れば、枝葉は捨置ても破るゝと云こと也、手先のわざは枝葉也、魂は根本也、敵の魂を挫けば、手先の業は自ら用に達ぬことになり行と也、我純一無雑必死三昧の境に立ち、身を肉醤になして敵を殺死せんと願欲する念慮気魄、驀直端的に敵の心に透徹とつらぬき、感動とひゞけば、巧手上工のわざも用にたゝぬぞ、此に至て干将莫邪の鋭利も論ずるに足らざる也、是ひとり其理致有のみに非ず、既に事実の徴となすべき者有り、因て附載して以て互に原文の意を相発するもの爾り、必しも博考を衒に非ず、唯学者の考索に便りす、搜神記に「楚の熊渠子、夜行きて寝石を見、以て伏虎と為し、弓を彎きて之を射るに、金を没し羽を鍛す。下り視て其の石なるを知る。因りて後に之を射れば、矢摧けて迹無し。漢の世に復た李広有り、右北平の大守たりしとき、虎を射て石を得ること亦之の如し。劉向曰く、誠の至りなり。而して金石も之が為に開く。況や人に於いてをや。夫れ唱へて和せず、動きて随はざるは、中に以て全からざる者有ればなり」
-
呉子・治兵篇呉子曰く、「凡そ兵戦の場は、屍を立つるの地なり。必死なれば則ち生き、生を幸えば則ち死す。其の善く将たる者は、漏船の中に坐し、焼屋の下に伏すがごとし。智者をして謀るに及ばず、勇者をして怒るに及ばざらしめ、敵を受くるも可なり。故に曰く、兵を用うるの害は、猶予最も大なり。三軍の災いは、狐疑より生ず、と」。
-
『剣徴』・必死三昧と感応の機荀子礼論に「生を之れ見と為せば、若き者は必ず死す」とあり、呉子の「生を幸ひとすれば則ち死す」と義同じ、勝負の塲に立て、必死三昧に入る者は、生を求ずして生を得べし、荘子刻意篇に「感じて而る後に応じ、迫られて而る後に動く」とあり、感は感動也、敵の殺気我が心胆に透徹する也、応は取合する也、言心は、敵の殺気我が心に響て取合すれば、未萌を制する事を得る也、迫は切迫也、動は働也、敵の刀剣我身にとどきて初て刀を打出す也、故に気の終に乗ずる事を得る也、説苑指武篇に「魯石公の剣は、進めば則ち能く応じ、感ずれば則ち能く動き、沕穏として窮まり無く、変じて形像無し」とあるも、亦此の義也、

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る