剣徴 / 後れて先んずる
莊子說劍篇、夫爲劍者、後之以發、先之以至、言心は、此五尺軀殼を敵の餌にして、じり〱と仕掛れば、いやとも敵より刀を打出さねばならぬぞ、夫に乘じて我刀を打出す故、敵の末勢を受て、一ひしぎにする故、後れども先だつに同じ、此趣意筆舌に述難し、躬行實踐して自得すべし、惡く心得ぬれば、七分三分で打の或は四分六分の所にて打のと云、是は勘定算盤のつもり也、一足切斷の塲に立て豈此事有んや、
新字:荘子説剣篇、夫為剣者、後之以発、先之以至、言心は、此五尺躯殼を敵の餌にして、じり〱と仕掛れば、いやとも敵より刀を打出さねばならぬぞ、夫に乗じて我刀を打出す故、敵の末勢を受て、一ひしぎにする故、後れども先だつに同じ、此趣意筆舌に述難し、躬行実践して自得すべし、悪く心得ぬれば、七分三分で打の或は四分六分の所にて打のと云、是は勘定算盤のつもり也、一足切断の塲に立て豈此事有んや、
書き下し
荘子説剣篇に「夫れ剣を為む者は、之に後れて以て発し、之に先んじて以て至る」とあり、言心は、此五尺の軀殻を敵の餌にして、じり〱と仕掛れば、いやとも敵より刀を打出さねばならぬぞ、夫に乗じて我刀を打出す故、敵の末勢を受て、一ひしぎにする故、後れども先だつに同じ、此趣意筆舌に述難し、躬行実践して自得すべし、悪く心得ぬれば、七分三分で打の或は四分六分の所にて打のと云、是は勘定算盤のつもり也、一足切断の塲に立て豈此事有んや、
現代語訳
『荘子』説剣篇に「剣を修める者は、相手より遅れて発し、相手より先に到達する」とあります。この心は、この五尺の身を敵の餌にして、じりじりと仕掛ければ、敵はいやでも刀を打ち出さねばならなくなる、ということです。そこに乗じて自分の刀を打ち出すので、敵の勢いの末を受けて一気に打ち砕くことになり、遅れても先んじたのと同じになります。この趣旨は筆や言葉では述べにくく、自分で実践して体得すべきです。悪く心得ると、七分三分で打つとか四分六分の所で打つとか言いますが、これは勘定や算盤の勘定のようなものです。一足の踏み込みで斬られるかどうかの場に立って、どうしてそんなことがあるでしょうか。
解説
この章句が説くこと
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