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啓発録 / 振氣

然ル處太平久敷打續キ士風柔弱佞媚ニ陷リ武門ニ生レナガラ武道ヲ忘却致シ位ヲ望ミ女色ヲ好ミ利ニ走リ勢ニ附ク事ノミニフケリ候處ヨリ右ノ人ニ負ヌ恥辱ノコトハ堪ヘズト申ス雄々シキ丈夫ノ心クダケナマリテ腰ニコソ兩刀ヲ帶スレ太物包ヲカツギタル商人樽ヲ荷セタル、樽ヒロイヨリモオトリテ纔ニ雷ノ聲ヲ聞キ犬ノ吠ユルヲ聞テモ卻歩スル事トハ成ニケリ偖々可嘆之至ニコソ

新字:然ル処太平久敷打続キ士風柔弱佞媚ニ陥リ武門ニ生レナガラ武道ヲ忘却致シ位ヲ望ミ女色ヲ好ミ利ニ走リ勢ニ附ク事ノミニフケリ候処ヨリ右ノ人ニ負ヌ恥辱ノコトハ堪ヘズト申ス雄々シキ丈夫ノ心クダケナマリテ腰ニコソ両刀ヲ帯スレ太物包ヲカツギタル商人樽ヲ荷セタル、樽ヒロイヨリモオトリテ纔ニ雷ノ声ヲ聞キ犬ノ吠ユルヲ聞テモ却歩スル事トハ成ニケリ偖々可嘆之至ニコソ

書き下し

然る処、太平久敷打続き、士風柔弱佞媚に陥り、武門に生れながら武道を忘却致し、位を望み、女色を好み、利に走り、勢に附く事のみにふけり候処より、右の人に負ぬ恥辱のことは堪へずと申す雄々しき丈夫の心くだけなまりて、腰にこそ両刀を帯すれ、太物包をかつぎたる商人、樽を荷せたる、樽ひろいよりもおとりて、纔に雷の声を聞き、犬の吠ゆるを聞ても、却歩する事とは成にけり。偖々可嘆之至にこそ。

現代語訳

ところが、太平が久しく続き、士風が柔弱になって媚びへつらいに陥り、武家に生まれながら武道を忘れ、地位を望み、女色を好み、利に走り、勢いに付くことばかりにふけったために、人に負けない、恥辱には堪えられないという雄々しい男子の心が砕けて鈍りました。腰にこそ両刀を帯びていますが、太物の包みを担いだ商人や、樽を背負わされた樽拾いよりも劣って、わずかに雷の音を聞き、犬の吠えるのを聞いても後ずさりするようになってしまいました。まことに嘆かわしいかぎりです。

解説

左内が同時代の武士を最も厳しく批判する段です。太平が続くうちに、地位、女色、利、勢いへの執着が武士の気を鈍らせたと診断します。両刀を帯びていながら雷や犬の声にあとずさる、という描写は誇張を含みますが、形だけ残って中身が抜けた姿を言い当てています。十五歳の少年が世の風潮をここまで言い切るのは驚きです。ただ言葉の鋭さは、自分もそうなるのを恐れる気持ちの裏返しとも読めます。長く安定した組織ほど、役職という刀は腰にあっても決断の気は鈍ります。肩書きと実力のずれを点検するときの鏡になる文です。

この章句が説くこと

太平柔弱士風利と勢形骸化啓発録

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