肝要工夫録 / 仁は身近な誠
仁といふこと、大にいふときは、天下を安んじ、人民を救ふ事なれども、手近くいふときは、慈悲の事にて、道理を以て、禽獸草木に至るまで、深くいつくしみ、惠むことなり。元來人心の德は天より受け得て、物を憐む心なき者は、一人もなし。されば、朱子も、仁は心の德、愛の理と說き玉ふ、又論語に、吾、仁を欲すれば、斯に仁至るとのたまひて、心に備はる德なれば、いかなる匹夫卑賤の者にても、仁を欲すれば、直に仁行はるゝ事なり。人々其家業々々にと、眞實にさへすれば、是れ皆仁を行ふと云ふ者なり。武士の其君に忠勤して、其國を安んじ、人民を安堵せしむるも、神主の神明に祈念して、人の福德をねぎ奉るも、浮屠の佛法を弘通して、人を善道にみちびくも、醫師の人の疾苦をすくふも、商人の賣買を出精して、家を富まし、親屬を安んじ、職人の其業を勉めて、家內を養ふも、みな仁を行ふといふべし。何人にもあれ、その人、その身の分々につきて、まことは【盡さるゝ/盡さゞる】ものなれば、唯だ日用に堪忍の二字をもつて、己の私欲に克ちて、本心の誠を盡くすこそ、仁を行ふ【肝/所】要の工夫なるべけれ、道歌に、
新字:仁といふこと、大にいふときは、天下を安んじ、人民を救ふ事なれども、手近くいふときは、慈悲の事にて、道理を以て、禽獣草木に至るまで、深くいつくしみ、恵むことなり。元来人心の徳は天より受け得て、物を憐む心なき者は、一人もなし。されば、朱子も、仁は心の徳、愛の理と説き玉ふ、又論語に、吾、仁を欲すれば、斯に仁至るとのたまひて、心に備はる徳なれば、いかなる匹夫卑賤の者にても、仁を欲すれば、直に仁行はるゝ事なり。人々其家業々々にと、真実にさへすれば、是れ皆仁を行ふと云ふ者なり。武士の其君に忠勤して、其国を安んじ、人民を安堵せしむるも、神主の神明に祈念して、人の福徳をねぎ奉るも、浮屠の仏法を弘通して、人を善道にみちびくも、医師の人の疾苦をすくふも、商人の売買を出精して、家を富まし、親属を安んじ、職人の其業を勉めて、家内を養ふも、みな仁を行ふといふべし。何人にもあれ、その人、その身の分々につきて、まことは【尽さるゝ/尽さゞる】ものなれば、唯だ日用に堪忍の二字をもつて、己の私欲に克ちて、本心の誠を尽くすこそ、仁を行ふ【肝/所】要の工夫なるべけれ、道歌に、
書き下し
仁といふこと、大にいふときは、天下を安んじ、人民を救ふ事なれども、手近くいふときは、慈悲の事にて、道理を以て、禽獸草木に至るまで、深くいつくしみ、惠むことなり。元來人心の德は天より受け得て、物を憐む心なき者は、一人もなし。されば、朱子も、仁は心の德、愛の理と說き玉ふ、又論語に、吾、仁を欲すれば、斯に仁至るとのたまひて、心に備はる德なれば、いかなる匹夫卑賤の者にても、仁を欲すれば、直に仁行はるゝ事なり。人々其家業々々にと、眞實にさへすれば、是れ皆仁を行ふと云ふ者なり。武士の其君に忠勤して、其國を安んじ、人民を安堵せしむるも、神主の神明に祈念して、人の福德をねぎ奉るも、浮屠の佛法を弘通して、人を善道にみちびくも、醫師の人の疾苦をすくふも、商人の賣買を出精して、家を富まし、親屬を安んじ、職人の其業を勉めて、家內を養ふも、みな仁を行ふといふべし。何人にもあれ、その人、その身の分々につきて、まことは盡さるゝものなれば、唯だ日用に堪忍の二字をもつて、己の私欲に克ちて、本心の誠を盡くすこそ、仁を行ふ肝要の工夫なるべけれ、道歌に、
現代語訳
仁というのは、大きく言えば、天下を安んじ人民を救うことですが、手近に言えば、慈悲のことで、道理をもって、禽獣草木に至るまで深くいつくしみ、恵むことです。もともと人の心の徳は天から受けたもので、物を憐れむ心のない者は一人もいません。ですから、朱子も「仁は心の徳、愛の理」と説かれ、また『論語』に「私が仁を欲すれば、ここに仁が至る」とおっしゃって、心に備わる徳ですから、どのような匹夫卑賤の者でも、仁を欲すれば直ちに仁が行われるのです。人々がそれぞれの家業を真実にさえ行えば、これはみな仁を行うというものです。武士がその君に忠勤して、その国を安んじ、人民を安堵させるのも、神主が神明に祈念して、人の福徳を祈るのも、僧が仏法を広めて、人を善道に導くのも、医師が人の疾苦を救うのも、商人が売買に精を出して、家を富ませ、親族を安んじるのも、職人がその業に励んで、家内を養うのも、みな仁を行うというべきです。どんな人でも、その人その身の分に応じて、誠は尽くされるものですから、ただ日常に堪忍の二字をもって、自分の私欲に克ち、本心の誠を尽くすことこそ、仁を行う肝要の工夫です。道歌に、
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『五常訓』巻之三・仁之下一程子の言に、聖賢の仁をいへる処をあつめて見ば、仁を知り得んといへり。今の学者、仁を知らんとならば、孔孟程朱の仁を説き給へる言を、数年の間、心をひそめて、求め味ふべし。急迫にすべからず。誠積み力久しくば、自然に其理を知るべし。若然らずば、聰明博学の人といへども、仁をば知りがたかるべし。
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『慎思録』巻之一仲虺の誥に曰く、克く寛に克く仁に、信を兆民に彰かにすと。六経の仁信を言ふは、此に始まる。又曰く、義を以て事を制し、礼を以て心を制すと。六経の義礼を言ふは、此に始まる。又曰く、天乃ち王に勇智を錫ふと。六経の智勇を言ふは、此に始まる。湯誥に曰く、惟れ皇いなる上帝、衷を下民に降す。恒の性有るに若ひ、克く厥の猷を綏んずるは、惟れ后なりと。六経の性を言ふは、此に始まる。太甲に曰く、鬼神は常に享くること無し、克く誠なるに享くと。六経の誠を言ふは、此に始まる。
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『童子問』卷上問ふ、先生既に仁を以て聖門の第一字と為し、而して又忠信を以て仁を行ふの地と為すは、何ぞや。曰く、有子曰く、「孝弟なる者は、其れ仁を為すの本か」と。孔子曰く、「忠信を主とす」と。夫れ孝弟は順徳、忠信は実心なり。人若し忠信ならざれば、則ち名は孝と為すと雖も実は孝に非ず、名は忠と為すと雖も実は忠に非ず。礼儀三百・威儀三千、節文度数粲然として観るべしと雖も、皆虚文末節にして、要するに観るに足らず。剪勝の華樹を観るが如し。目を悦ばしむるに足ると雖も、本真に非ず。奚ぞ以て貴しと為すに足らん。故に曰く、「誠ならざれば物無し」と。忠信を仁を行ふの地と為す、亦宜ならずや。
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『洗心洞箚記』卷下・第百十條又曰く、天地は虚を以て徳と為す、至善なる者は虚なり。虚なる者は、天地の祖なり、天地は虚中より来る、と。又曰く、虚なる者は、仁の原なり。忠恕なる者は、仁と俱に生ず。礼義なる者は、仁の用なり、と。又曰く、敦厚虚静は、仁の本なり。敬和接物は、仁の用なり、と。又曰く、虚心にして、然る後に能く心を尽くす、と。又曰く、虚なれば則ち仁を生ず、仁は理に在りて以て之を成す、と。又曰く、虚心なれば則ち外以て累と為す無し、と。又曰く、当に心を以て天の虚を求むべし。大人は其の赤子の心を失はず。赤子の心今知るべきなり、其の虚なるを以てなり、と。又曰く、静なる者は、善の本なり。虚なる者は、静の本なり。静は猶ほ動に対す、虚は則ち至一なり、と。右十有一条は、張子の人に太虚に帰するを教ふるの則なり。而して其の静なり、赤子の心なり、無累なり、仁なり、尽心なり、自然なり、敬和なり、礼義なり、忠恕なり、至善なり、実なり、誠なり、太虚より出づるに非ざれば、則ち善と雖も偽に流る。故に太虚に帰すれば、則ち皆其の徳なり。帝王の政、聖賢の学、此に外ならず。吾が党の学人、宜しく心を尽くすべき者なり。
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『大和俗訓』巻之七・躬行下一程子曰、財ををしみては、よく善を行ふことなり難し。誠なくしては、善をなす事はなり難しと。此言むべなるかな。財を用ひずして、ただ言を以て人をかたらふとも、人を救ひがたし。人もまた悦ばずして其人のために忠を尽さざれば功をなすこと成りがたし。項羽を婦人の仁といひしも是なり。又凡の事、いつはりを以て善を行へば、中心より出でざる故、善を行ふに専一ならずして、其事成就せず。誠の善とすべからず。人も亦信とせず。感通の理なし。
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『洗心洞箚記』卷下・第六十五條親の字は、父母の双称にして、義甚だ重し。夫れ父母の子に於けるや、唯だ其の疾を之れ憂ひ、心誠に之を求むれば、中らずと雖も遠からず。皆実心子を愛するの誠にして、擬議安排を仮りて然るに非ざるなり。然り而して子の父母を養ひ、臣の君に仕へ、婦の夫に順ひ、弟の兄を敬ひ、君の民を使ふ、欲有れば則ち彼此相隔たり、痛癢饑寒の身に切なるが如くなること能はず。皆是れ不仁にして、父母の心無き者なり。如し真に良知を致さば、則ち亦惟だ其の疾を之れ憂ひ、心誠に之を求むるの外、更に道無し。而して厚薄軽重を親疎遠近の間に存すと雖も、要するに天下皆吾が仁に帰するなり。故に陽明子曰く、親民は仁民なりと。人如し能く之を体貼すれば、則ち親の字決して新の字と作すべからず。是れ乃ち黙識すべし、心悟すべし。

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