肝要工夫録 / 倹約と借金の立て直し
儉約といふは、無益の金銀米錢を費さず、何事もつゞまやかにするの名にて、國を治め、家をとゝのへ、身を修むるの基なり。しかれども、人情のならひ、儉約は守りがたく、驕奢には流れ易し。たとへば、百石の身代は、隨分無益の費をはぶき、諸事に勘辨して、一年七八十石にて、家內を賄ひ、二三十石づゝ毎年殘し置き不慮の物入に備ふべき事なり。むかし、本所邊に小倉無鄰といふ學者あり、同鄕に一士あり、その人、百石の祿をもちて、夫婦かけ向の身上なるが、困窮にして借金五拾兩あり、自害をもせむとまでに及び、立て直すべき其術を、かの無鄰に尋ねしに、無鄰之に告げて曰、朝暮飯と鹽とを食し、汁と菜と酒と茶と烟草とを禁じ見られよと敎へしに、此人正直に、この術を行ひけるに、三年の內に、借財を濟して、後には子三人下男下女七八口になりて、目出度榮へたりとぞ。昔は百石の祿にて、五十兩の借財に堪へかね、すでに自害をもせむとはかりし程の事故、人の敎も正直に守り、よく儉約を守りし事なれども、今は驕奢に慕りて、己が祿の倍も其餘も借財あれど、格別に苦とも思はす、
新字:倹約といふは、無益の金銀米銭を費さず、何事もつゞまやかにするの名にて、国を治め、家をとゝのへ、身を修むるの基なり。しかれども、人情のならひ、倹約は守りがたく、驕奢には流れ易し。たとへば、百石の身代は、随分無益の費をはぶき、諸事に勘弁して、一年七八十石にて、家内を賄ひ、二三十石づゝ毎年残し置き不慮の物入に備ふべき事なり。むかし、本所辺に小倉無鄰といふ学者あり、同郷に一士あり、その人、百石の禄をもちて、夫婦かけ向の身上なるが、困窮にして借金五拾両あり、自害をもせむとまでに及び、立て直すべき其術を、かの無鄰に尋ねしに、無鄰之に告げて曰、朝暮飯と塩とを食し、汁と菜と酒と茶と烟草とを禁じ見られよと教へしに、此人正直に、この術を行ひけるに、三年の内に、借財を済して、後には子三人下男下女七八口になりて、目出度栄へたりとぞ。昔は百石の禄にて、五十両の借財に堪へかね、すでに自害をもせむとはかりし程の事故、人の教も正直に守り、よく倹約を守りし事なれども、今は驕奢に慕りて、己が禄の倍も其余も借財あれど、格別に苦とも思はす、
書き下し
儉約といふは、無益の金銀米錢を費さず、何事もつゞまやかにするの名にて、國を治め、家をとゝのへ、身を修むるの基なり。しかれども、人情のならひ、儉約は守りがたく、驕奢には流れ易し。たとへば、百石の身代は、隨分無益の費をはぶき、諸事に勘辨して、一年七八十石にて、家內を賄ひ、二三十石づゝ毎年殘し置き不慮の物入に備ふべき事なり。むかし、本所邊に小倉無鄰といふ學者あり、同鄕に一士あり、その人、百石の祿をもちて、夫婦かけ向の身上なるが、困窮にして借金五拾兩あり、自害をもせむとまでに及び、立て直すべき其術を、かの無鄰に尋ねしに、無鄰之に告げて曰、朝暮飯と鹽とを食し、汁と菜と酒と茶と烟草とを禁じ見られよと敎へしに、此人正直に、この術を行ひけるに、三年の內に、借財を濟して、後には子三人下男下女七八口になりて、目出度榮へたりとぞ。昔は百石の祿にて、五十兩の借財に堪へかね、すでに自害をもせむとはかりし程の事故、人の敎も正直に守り、よく儉約を守りし事なれども、今は驕奢に慕りて、己が祿の倍も其餘も借財あれど、格別に苦とも思はす、
現代語訳
倹約とは、無益な金銀米銭を費やさず、何事もつつましくすることをいい、国を治め、家を整え、身を修める基本です。しかし、人情の習いで、倹約は守りがたく、驕り奢りには流れやすいものです。たとえば、百石の身代なら、できるだけ無益な出費を省き、諸事に勘弁して、一年に七、八十石で家内を賄い、毎年二、三十石ずつ残しておき、不慮の物入りに備えるべきです。昔、本所辺りに小倉無鄰という学者がいました。同じ郷に一人の武士がいて、百石の禄で、夫婦で食うや食わずの身上でしたが、困窮して借金が五十両あり、自害までしようとし、立て直す術を無鄰に尋ねました。無鄰はこれに告げて言うには、「朝夕、飯と塩を食べ、汁と菜と酒と茶と煙草を禁じてみなさい」と教えました。この人は正直にこの術を行ったところ、三年のうちに借財を済ませ、後には子が三人、下男下女など七、八人になって、めでたく栄えたとのことです。昔は百石の禄で五十両の借財に耐えかね、すでに自害まではかったほどなので、人の教えも正直に守り、倹約もよく守ったのですが、今は驕り奢りに流れ、自分の禄の倍もそれ以上も借金があっても、格別に苦とも思わず、
解説
この章句が説くこと
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『後世への最大遺物』第二回・己の信ずることを実行する者己の信ずることを実行するものが真面目なる信者です。ただただ壮言大語することは誰にもできます。いくら神学を研究しても、いくら哲学書を読みても、われわれの信じた主義を真面目に実行するところの精神がありませぬあいだは、神はわれわれにとって異邦人であります。それゆえに、われわれは神がわれわれに知らしたことをそのまま実行いたさなければなりません。こういたさねばならぬと思うたことは、われわれはことごとく実行しなければならない。もしわれわれが、正義はついに勝つものにして不義はついに負けるものであるということを世間に発表するものであるならば、そのとおりにわれわれは実行しなければならない。これを称して真面目なる信徒と申すのです。
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『呻吟語』内篇・應務・空言何ぞ益あらん為さんと欲せば便ち為せ、空言何ぞ益あらん。為さずんば便ち為さざれ、空言何ぞ益あらん。
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論語・子罕篇子曰く、之に語げて惰らざる者は、其れ回なるか。

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