肝要工夫録 / 道理を目当てに
道理を目當にして、たとへ子が惡しくとも、子に目を付けず、ただ父たるの道理を以て敎育し、臣が不忠なればとても、君は君たるの道理を以て臣を使ふべし、友が不信切なればとても、此方からは、いかにも信を以て交るべし。別して、朋友は、他人と思ふ心より、我が信を盡くしても、向から不信切なるときは、その返報にも我も不信切をなさむとするは、人の爲に、己れが操を亂すといふべし。是れ小人の常にして、淺ましき事なり。向より朋友の道にそむき、我が難儀ともなるべきことをするとも、必ず向の不信切にならひて、眞似することなく、堪忍の二字をおもひ出し、少しも恨み怒ることあるべからず。その人の不信切へは、天より、よさほどに罪ありて、我より咎むるには及ばぬ事なり。(古人の言葉に、舌柔にして存し、歯かたくして亡ぶとありて、舌はやはらかなれども一生存し、歯はかたけれどもぬけかけるの憂あり。人も其如くにて、堪忍の二字を重んじて、柔和なる時は過なし、向の不義を咎め、すこしのことに、大に理屈などいふものは、俠者にして、かけ損ずるの憂あり。)此所をよく〱合點して、父は子を愛し敎育すべき筈、子は孝行すべき筈、朋友には信を盡すべき筈といふ道理に力をつくして、くれ〱も肉身を目當となして、己れが操を亂すべからざるこそ、肝要の工夫なるべけれ。
新字:道理を目当にして、たとへ子が悪しくとも、子に目を付けず、ただ父たるの道理を以て教育し、臣が不忠なればとても、君は君たるの道理を以て臣を使ふべし、友が不信切なればとても、此方からは、いかにも信を以て交るべし。別して、朋友は、他人と思ふ心より、我が信を尽くしても、向から不信切なるときは、その返報にも我も不信切をなさむとするは、人の為に、己れが操を乱すといふべし。是れ小人の常にして、浅ましき事なり。向より朋友の道にそむき、我が難儀ともなるべきことをするとも、必ず向の不信切にならひて、真似することなく、堪忍の二字をおもひ出し、少しも恨み怒ることあるべからず。その人の不信切へは、天より、よさほどに罪ありて、我より咎むるには及ばぬ事なり。(古人の言葉に、舌柔にして存し、歯かたくして亡ぶとありて、舌はやはらかなれども一生存し、歯はかたけれどもぬけかけるの憂あり。人も其如くにて、堪忍の二字を重んじて、柔和なる時は過なし、向の不義を咎め、すこしのことに、大に理屈などいふものは、侠者にして、かけ損ずるの憂あり。)此所をよく〱合点して、父は子を愛し教育すべき筈、子は孝行すべき筈、朋友には信を尽すべき筈といふ道理に力をつくして、くれ〱も肉身を目当となして、己れが操を乱すべからざるこそ、肝要の工夫なるべけれ。
書き下し
道理を目當にして、たとへ子が惡しくとも、子に目を付けず、ただ父たるの道理を以て敎育し、臣が不忠なればとても、君は君たるの道理を以て臣を使ふべし、友が不信切なればとても、此方からは、いかにも信を以て交るべし。別して、朋友は、他人と思ふ心より、我が信を盡くしても、向から不信切なるときは、その返報にも我も不信切をなさむとするは、人の爲に、己れが操を亂すといふべし。是れ小人の常にして、淺ましき事なり。向より朋友の道にそむき、我が難儀ともなるべきことをするとも、必ず向の不信切にならひて、眞似することなく、堪忍の二字をおもひ出し、少しも恨み怒ることあるべからず。その人の不信切へは、天より、よさほどに罪ありて、我より咎むるには及ばぬ事なり。(古人の言葉に、舌柔にして存し、歯かたくして亡ぶとありて、舌はやはらかなれども一生存し、歯はかたけれどもぬけかけるの憂あり。人も其如くにて、堪忍の二字を重んじて、柔和なる時は過なし、向の不義を咎め、すこしのことに、大に理屈などいふものは、俠者にして、かけ損ずるの憂あり。)此所をよく〱合點して、父は子を愛し敎育すべき筈、子は孝行すべき筈、朋友には信を盡すべき筈といふ道理に力をつくして、くれ〱も肉身を目當となして、己れが操を亂すべからざるこそ、肝要の工夫なるべけれ。
現代語訳
道理を目当てにして、たとえ子が悪くても子に目を付けず、ただ父たる道理をもって教育し、臣が不忠でも、君は君たる道理をもって臣を使うべきです。友が不親切でも、こちらはあくまで信をもって交わるべきです。とりわけ朋友は他人と思う心から、自分が信を尽くしても向こうが不親切なときは、その返報に自分も不親切をしようとしますが、これは人のために自分の操を乱すというものです。これは小人の常で、嘆かわしいことです。向こうが朋友の道にそむき、自分の難儀ともなることをしても、決して向こうの不親切にならって真似をせず、堪忍の二字を思い出し、少しも恨み怒ってはいけません。その人の不親切には、天から相応の罪があって、自分から咎めるには及びません。(古人の言葉に、「舌は柔らかいから残り、歯は硬いから亡びる」とあります。舌は柔らかくても一生残り、歯は硬くても抜け落ちる憂いがあるということです。人もそのようで、堪忍の二字を重んじて柔和であれば過ちはなく、相手の不義を咎めて、少しのことに大いに理屈を言うのは侠者で、失敗する憂いがあります。)ここをよくよく納得して、父は子を愛し教育するはず、子は孝行するはず、朋友には信を尽くすはずという道理に力を尽くし、くれぐれも相手の肉身を目当てにして自分の操を乱してはならないというのが、肝要の工夫です。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『五常訓』巻之五・信一子曰く、人にして信無くんば其の可なるを知らざるなり。人の心信実なるは、万事の基にして、人にまじはるの道なり。若信なければ、万事すべて、偽なれば、人にまじはりて、如何ぞ善なるべき。たとへば大車の荷車に輗なければ、牛の首に車をかくる事ならず。小車の乗車に軏なければ、車を馬にかくる事ならず。車と牛馬とは別の物なれど、輗と軏とあれば、是を以て牛馬に車をかけて引かしむべし。若此ものなくんば、何を以てか車をやるべきや。人にまじはるに信ならざるも、亦かくの如し。人と我とは、二物なり。信実を以て交はれば、互に感通して、道行はる。若信なくして人と交はらば、我人にまことなく、人我を信ぜず。彼と我と感通せず。何を以てか道行はれんや。
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『五常訓』巻之五・信一朱子曰、人の誠ならざる所、多くは言の上にありと。信をまもるに、言語の上に心を用ひて、実を以てすべし。一朋友に交るには、もとより愛敬を用ふべし。然れども、信なければ、愛敬も偽より出て、誠の愛敬にあらず。顔色をやはらげ、容貌をうやうやしくするも、偽りかざれるは、愛敬とすべからず。
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『十善法語』巻第十一・不邪見戒之中総シテ心ノアル処ハ形ノアル処。形ノ生スル処ニ其心生スルシヤ。此女人自ノ眉目鼻口ノソナヘニ自執着セシ故。一息截断ノ時。其着セル心還テ己カ面上ニ生シ。虫ト為テ暫モ離レ得ヌシヤ。摩訶羅ト云ハ梵語デ。此ニハ老ナリ愚ナリト翻スル。愚人ノ年ヲ重ネタル者ノ名シヤ。看ヨ。正法ハ智愚ヲ択ハヌ。唯信アル処ニ此縁起実相ハ顕ルルシヤ。今日ノ者モ純一ニ心ヲ寄セハ。仮令摩訶羅ナリトモ。甚深ノ法ニ通達スヘキシヤ。
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『五常訓』巻之一・総論又孟子はじめて仁義礼智の四徳をつらねて説き給へり。是又仁義の外、礼智あるにあらず。礼は仁よりいで、智は義の内にあり。朱子の、礼は仁の著るるなり。智は義の蔵るるなりといへるが如し。仁義をわかちて四徳を説くは、陰陽をわかてば、春夏秋冬の四時となるに本づけり。前漢の董仲舒曰く。仁義礼智信五常の道は、王者の当に修飾すべき所なりといへり。是四徳に信を加へて、五常と説ける始なり。四徳の外、別に信あるにあらず。四徳のまことありて偽無きは、即信なり。信なければ仁義礼智にあらず。たとへば四時の内に土用ありて、木火金水の気行はるるが如し。木火金水も、土なければ生ぜず。是董仲舒のはじめて説き出せるにもあらず。上代よりすでに此説あればなり。
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『韓非子』外儲說左下第三十三魯の哀公孔子に問ひて曰く、「吾聞く古者夔一足有りと、其れ果して信に一足有るか。」孔子対へて曰く、「不なり、夔は一足に非ざるなり。夔は忿戾悪心にして、人多く説喜せざるなり。然りと雖も、其の以て人の害を免るるを得る所以の者は、其の信を以てなり。人皆曰く、独り此の一あれば、足れり、と。夔は一足に非ざるなり、一にして足るなり。」哀公曰く、「審かに而り、固より足れり。」一に曰く、哀公孔子に問ひて曰く、「吾聞く夔は一足なりと、信か。」曰く、「夔は、人なり、何の故に一足ならん。彼其れ他に異なること無し、而して独り声に通ず。堯曰く、夔は一にして足れり、と。楽正と為さしむ。故に君子曰く、夔は一有り、足れり、と。一足に非ざるなり。」三。文王崇を伐ち、鳳黄の虚に至る、韈の係解く、因りて自ら結ぶ。太公望曰く、「何為れぞや。」王曰く、「上は、君と処るもの皆其の師なり。中は、皆其の友なり。下は、尽く其の使なり。今皆先君の臣なり、故に使ふべきもの無きなり。」一に曰く、晋の文公楚と戦ひ、黄鳳の陵に至る、履の係解く、因りて自ら之を結ぶ。左右曰く、「以て人を使ふべからざるか。」公曰く、「吾聞く、上は、君の与に居る所、皆其の畏るる所なり。中は、君の与に居る所、皆其の愛する所なり。下は、君の与に居る所、皆其の侮る所なり。寡人不肖なりと雖も、先君の人皆在り、是を以て之を難るなり。」季孫士を好み、終身荘にして、居処衣服常に朝廷の如し。而して季孫適ま懈り、過失有り、而して長く為すこと能はざるなり。故に客以て己を厭易すと為し、相与に之を怨み、遂に季孫を殺す。故に君子は泰を去り甚を去る。一に曰く、南宮敬子顔涿聚に問ひて曰く、「季孫孔子の徒を養ひ、朝服して与に坐する所の者十を以て数ふるに賊に遇ふは、何ぞや。」
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『春秋左氏伝』成公十七年 郤至、乱を作さず「季子、余を欺けり」と。厲公將に難を作さんとす。胥童曰く、「必ず三郤を先にせよ。族大にして怨み多し。大族を去れば偪(せま)られず、怨み多きに敵すれば庸(こう)有り」と。公曰く、「然り」と。郤氏之を聞く。郤錡、公を攻めんと欲して曰く、「死すと雖も、君必ず危からん」と。郤至曰く、「人の立つ所以は、信・知・勇なり。信は君に叛かず、知は民を害せず、勇は亂を作さず。茲の三者を失はば、其れ誰か我に與(くみ)せん。死して怨み多くば、將た安(いづ)くにか之を用ゐん。君實に臣有りて之を殺す、其れ君を何とか謂はん。我の罪有るや、吾が死するは後(おそ)し。若し不辜を殺さば、將に其の民を失はんとす。安きを得んと欲するも得んや。命を待つのみ。君の祿を受け、是を以て黨を聚む。黨有りて命を爭ふは、罪孰(いづ)れか焉(これ)より大ならん」と。壬午、胥童・夷羊五、甲八百を帥ゐて、將に郤氏を攻めんとす。長魚矯、眾を用ゐること無からんことを請ふ。公、清沸魋(せいふつたい)をして之を助けしむ。戈を抽き衽(じん)を結びて、偽りて訟ふる者となる。三郤將に榭に謀らんとす。矯、戈を以て駒伯・苦成叔を其の位に殺す。溫季曰く、「威を逃れん」と。遂に趨る。矯、諸を其の車に及び、戈を以て之を殺す。皆諸を朝に尸(さら)す。胥童、甲を以て欒書・中行偃を朝に劫(おびや)かす。矯曰く、「二子を殺さずんば、憂ひ必ず君に及ばん」と。公曰く、

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