肝要工夫録 / 善悪が禍福を呼ぶ
人たる者、一寸の善事を行へば、一寸の福を命じ、一寸の惡事を行へば、一寸の禍を命ず。是れ人々の行ふ處に依つて、天より禍福を命じ給ふ筈にて、譬へば童の手習するが如し、能く出來ると惡く出來るとは、習ふ者の出精不精にあることにて、天命は手習師匠の點をかけたり、直したりするが如し。世人富貴を願はざるものはなし。然れども、之を願ふのみにて、人たるの道を行はず、恣にするは、孟子の所謂木によつて魚を求めむことを欲し、又素を喰ふて病を愈さむとするが如し、何ぞ天より是に福を與へむや。こゝを以て、天命を知ること肝要なるべし。
新字:人たる者、一寸の善事を行へば、一寸の福を命じ、一寸の悪事を行へば、一寸の禍を命ず。是れ人々の行ふ処に依つて、天より禍福を命じ給ふ筈にて、譬へば童の手習するが如し、能く出来ると悪く出来るとは、習ふ者の出精不精にあることにて、天命は手習師匠の点をかけたり、直したりするが如し。世人富貴を願はざるものはなし。然れども、之を願ふのみにて、人たるの道を行はず、恣にするは、孟子の所謂木によつて魚を求めむことを欲し、又素を喰ふて病を愈さむとするが如し、何ぞ天より是に福を与へむや。こゝを以て、天命を知ること肝要なるべし。
書き下し
人たる者、一寸の善事を行へば、一寸の福を命じ、一寸の惡事を行へば、一寸の禍を命ず。是れ人々の行ふ處に依つて、天より禍福を命じ給ふ筈にて、譬へば童の手習するが如し、能く出來ると惡く出來るとは、習ふ者の出精不精にあることにて、天命は手習師匠の點をかけたり、直したりするが如し。世人富貴を願はざるものはなし。然れども、之を願ふのみにて、人たるの道を行はず、恣にするは、孟子の所謂木によつて魚を求めむことを欲し、又素を喰ふて病を愈さむとするが如し、何ぞ天より是に福を與へむや。こゝを以て、天命を知ること肝要なるべし。
現代語訳
人たる者、一寸の善事を行えば、一寸の福を命じられ、一寸の悪事を行えば、一寸の禍を命じられます。これは、人々の行うところによって、天が禍福を命じられるはずのことで、たとえば子どもが習字をするようなものです。よく書けるか悪く書けるかは、習う者が精を出すか出さないかによることで、天命は手習いの師匠が点をつけたり直したりするようなものです。世の人で富貴を願わない者はいません。しかし、それを願うだけで、人たる道を行わず、勝手気ままにするのは、孟子のいう、木に登って魚を求めようとし、また素食をして病を治そうとするようなものです。どうして天がこれに福を与えるでしょうか。こうしたわけで、天命を知ることが肝要です。
解説
この章句が説くこと
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『十善法語』巻第十・不邪見戒之上古人モ死生命アリ。富貴天ニ在ト云フ。風ノ吹テ来ル如トハ云ハヌ。伯牛カ手ヲ執テ。斯人ニシテ此病アル。命ナルカナト云。風ニ吹カルル如クトハナイ。此等ヲ以テ看ヨ。人間一生ノ貴賤貧富。患難逸楽。時ノ拍子トバカリハ云ハヌ。命ヲ受ル所有ルヘキシヤ。此者カ又神滅論ト云書ヲ著シテ云。形ハコレ神ノ質。神ト云者ハ形ノ用。利ノ刀ニ在ル如ク。刀没シテ利ノ留ルコト無ニ由テ。形滅シテ神ノ残ル理ナシト。此モ一往ハサモアルベキナレトモ。再三思惟セハ。ソノ大ニ相違セルコトヲ知ルヘシ。
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尚書・大禹謨告ぐる無きを虐げず、困窮を廃せざるは、惟れ帝のみ時(これ)克(よ)くす」と。益曰く、「都(ああ)、帝の徳は広く運(めぐ)り、乃ち聖に乃ち神に、乃ち武に乃ち文なり。皇天眷命(けんめい)し、奄(あまね)く四海を有(たも)ちて天下の君と為る」と。禹曰く、「迪(みち)に恵(したが)へば吉、逆に従へば凶、惟れ影響のごとし」と。益曰く、「吁(ああ)、戒めんかな。
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『十善法語』巻第五・不綺語戒此財利ト云モノハ。天命ノアル処。宝蔵神ノ守護スル処。妄リニ得ベカラスジヤ。本ヲ推シテ云ハハ。法性等流。十善ノ余慶シヤ。土地ノ利ヲ度ルニ。地ノ理ニ順セハ其利堅固ナルベシ。天ノ時ヲ量ルハ。天命ニ順セハ其利広大ナルヘシ。天ニ違ヒ理ニ違ヒ。他ヲ損シテ己ヲ利スルハ。実ニ灾害ノ伏スル処シヤ。例ヲ挙テ言ハハ。卓王孫カ居ヲ臨印ニ定ル。呂不韋カ秦公子子楚ヲ見テ奇貨オクヘシト云。此二途鑑ムヘキシヤ。
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『了凡四訓』立命之學・禍福は自己より之を求む師曰く「善心真切なれば、即ち一行も萬善に當るべし。況んや合縣の減糧、萬民の福を受くるをや」と。吾、即ち俸銀を捐て、其れに請ひて五臺山に就きて僧一萬を齋して之を回向せしむ。 孔公、予を算して五十三歲に厄有りとす。余、未だ嘗て壽を祈らず。是の歲竟に恙無く、今六十九なり。書に曰く「天は諶とし難く、命は常靡し」と。又た云ふ「惟れ命は常に於いてせず」と。皆な誑語に非ず。吾、是に於いて知る、凡そ禍福は自己より之を求むと稱する者は、乃ち聖賢の言なり。若し禍福は惟だ天の命ずる所と謂はば、則ち世俗の論なり。
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『初学訓』巻之五又、非礼を以て神に祈り、人にへつらひ求めて、福禄を得る者まれにあり。それは、生れつきたる福の内にて得たるなり、へつらひ求めて得たるにはあらず。もし、百人に一人も、へつらひ求めて、其生れつきたる福を得る者あれば、愚人は、それに迷ひて、へつらへる故に得たりと心得そこなひて、へつらひ求む。愚にして此理を知らざればなり。
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『直毘霊』吉凶き万事は神の御所為古の大御代に、その道を借らずて、いとよく治まりしを思え。そもそもこの天地の間に、有りとある事は、悉皆に神の御心なる中に。およそこの世の中の事は、春秋の行き変わり、雨降り風吹くたぐい、また国の上人の上の、吉凶き万事、みなことごとに神の御所為なり。さて神には、善きもあり悪しきもありて、所行もそれに従うなれば、大方尋常の理をもては、測りがたきわざなりかし。然るを世人、賢きも愚かなるもおしなべて、外国の道々の説にのみ惑い果てて、この意をえ知らず。皇国の学問する人などは、古書を見て、必ず知るべきわざなるを、さる人どもだに、え弁え知らざるは、いかにぞや。抑吉凶き万の事を、あだし国にて、仏の道には因果とし、漢の道々には天命と言いて、天のなすわざと思えり。これらみな僻事なり。そが中に仏道の説は、多く世の学者の、よく弁えつることなれば、今言わず。漢国の天命の説は、賢き人もみな惑いて、いまだ僻事なることを悟れる人なければ、今これを論い悟さむ。

人生を、一行の式にしてみた。
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