初学訓 / 巻之五
又、非禮を以て神に祈り、人にへつらひ求めて、福祿を得る者まれにあり。それは、生れつきたる福の内にて得たるなり、へつらひ求めて得たるにはあらず。もし、百人に一人も、へつらひ求めて、其生れつきたる福を得る者あれば、愚人は、それに迷ひて、へつらへる故に得たりと心得そこなひて、へつらひ求む。愚にして此理を知らざればなり。
新字:又、非礼を以て神に祈り、人にへつらひ求めて、福禄を得る者まれにあり。それは、生れつきたる福の内にて得たるなり、へつらひ求めて得たるにはあらず。もし、百人に一人も、へつらひ求めて、其生れつきたる福を得る者あれば、愚人は、それに迷ひて、へつらへる故に得たりと心得そこなひて、へつらひ求む。愚にして此理を知らざればなり。
書き下し
又、非礼を以て神に祈り、人にへつらひ求めて、福禄を得る者まれにあり。それは、生れつきたる福の内にて得たるなり、へつらひ求めて得たるにはあらず。もし、百人に一人も、へつらひ求めて、其生れつきたる福を得る者あれば、愚人は、それに迷ひて、へつらへる故に得たりと心得そこなひて、へつらひ求む。愚にして此理を知らざればなり。
現代語訳
また、非礼によって神に祈り、人にへつらい求めて、福禄を得る者もまれにはいます。それは生まれつきの福の中で得たのであって、へつらい求めて得たのではありません。もし百人に一人でも、へつらい求めて、その生まれつきの福を得る者があれば、愚かな人はそれに迷って、へつらったから得たのだと心得違いをして、へつらい求めます。愚かでこの理を知らないからです。
解説
へつらいで成功したように見える人がいても、それは生まれつきの福によるもので、へつらいの効果ではないと益軒は説きます。百人に一人の例外を見て、それが正しいやり方だと思い込むのは愚かだというのです。現代風にいえば、たまたまうまくいった事例を一般化する誤りです。賭け事で当てた人や、不正をしても見つからなかった人の話を聞いて、自分もと思うのは危険です。成功の本当の原因を見極める目を持つことが大切なのです。
この章句が説くこと
へつらい天命誤解愚か因果
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