肝要工夫録 / 道を行う楽しみ
道を行ふとは、前にいふ聖人の立て置かれたる人倫の道を身に行ふことなり。この道、行ふ時は行ひやすし。行はざる時は行ひがたし。たとへば、毎日歩行する人は、その歩行を安樂なりとして喜び、休息するを却つて厭ふが如し。又道路を行くが如きは、其道に目を放たず行く時は、あやまつことなく、勞少くして其志すところの地に至るべし。扨て又此道を踏み違ふ者を近くいはば、道の左に千尋嶮岨の谷あり、其內に魑魅の類、變化をなして、宮殿樓閣を現じ、金銀珠玉を彫ばめ、美女の形をあらはし、妓樂を奏するあらむに、是に心を奪はるゝ時は、思はずも、左の谷へ至るが如く、はなはだ危く、終には谷に落ち入りて、死するにも及ぶなり。
新字:道を行ふとは、前にいふ聖人の立て置かれたる人倫の道を身に行ふことなり。この道、行ふ時は行ひやすし。行はざる時は行ひがたし。たとへば、毎日歩行する人は、その歩行を安楽なりとして喜び、休息するを却つて厭ふが如し。又道路を行くが如きは、其道に目を放たず行く時は、あやまつことなく、労少くして其志すところの地に至るべし。扨て又此道を踏み違ふ者を近くいはば、道の左に千尋嶮岨の谷あり、其内に魑魅の類、変化をなして、宮殿楼閣を現じ、金銀珠玉を彫ばめ、美女の形をあらはし、妓楽を奏するあらむに、是に心を奪はるゝ時は、思はずも、左の谷へ至るが如く、はなはだ危く、終には谷に落ち入りて、死するにも及ぶなり。
書き下し
道を行ふとは、前にいふ聖人の立て置かれたる人倫の道を身に行ふことなり。この道、行ふ時は行ひやすし。行はざる時は行ひがたし。たとへば、毎日歩行する人は、その歩行を安樂なりとして喜び、休息するを却つて厭ふが如し。又道路を行くが如きは、其道に目を放たず行く時は、あやまつことなく、勞少くして其志すところの地に至るべし。扨て又此道を踏み違ふ者を近くいはば、道の左に千尋嶮岨の谷あり、其內に魑魅の類、變化をなして、宮殿樓閣を現じ、金銀珠玉を彫ばめ、美女の形をあらはし、妓樂を奏するあらむに、是に心を奪はるゝ時は、思はずも、左の谷へ至るが如く、はなはだ危く、終には谷に落ち入りて、死するにも及ぶなり。
現代語訳
道を行うとは、先にいった聖人が立て置かれた人倫の道を、身に行うことです。この道は、行っているときは行いやすく、行わないときは行いにくいものです。たとえば、毎日歩く人は、その歩行を楽なものとして喜び、休むことをかえって嫌がるようなものです。また、道路を行くときも、その道から目を離さずに行けば、あやまつことなく、労も少なく、志す土地に至ることができます。さて、この道を踏み違える者を身近なものでいえば、道の左に千尋もの険しい谷があり、その中に魑魅の類が化けて、宮殿や楼閣を現し、金銀や珠玉を散りばめ、美女の姿を現して、妓楽を奏でたとします。これに心を奪われるときは、思わず左の谷へ踏み入るようなもので、非常に危うく、ついには谷に落ち込んで死ぬことにもなるのです。
解説
この章句が説くこと
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