肝要工夫録 / 学問とは実学
學問といふは、詩作文章を以て務とするにあらず、人は天より受け得し本心は誰々も善なれども、氣質のためにくらみたるを、聖人敎を立て、人倫の道を明かにし給ふ、その敎を學ぶことなり。(人倫といふは、後の個條にいふ五倫のことなり。)されば、日夜、孝弟忠信を身に行ひ、人倫を辨ふることを以て、實學とはいふなり。此所を、はじめより篤と合點せざれば、いたづらに書を多く讀みて、みづから誇り高ぶるやうになり、果は大なる謬說をなして、夫をみづから得たりとし、聖人の道とは背き果てる樣に成り行くこと、淺ましき事なり。又世間に學問を窮屈なる事のやうにおもふて學ばざる人あり、其人は遊里に沈姪するを至極の樂と思ふか、または守錢の奴となりて樂と思ふか、其外いろ〱の遊藝をもて樂とするかの內を出でず。是等の徒は、聖人の大道を知らざるゆゑに、學問の樂あることを知らぬも、尤の事なり。
新字:学問といふは、詩作文章を以て務とするにあらず、人は天より受け得し本心は誰々も善なれども、気質のためにくらみたるを、聖人教を立て、人倫の道を明かにし給ふ、その教を学ぶことなり。(人倫といふは、後の個条にいふ五倫のことなり。)されば、日夜、孝弟忠信を身に行ひ、人倫を弁ふることを以て、実学とはいふなり。此所を、はじめより篤と合点せざれば、いたづらに書を多く読みて、みづから誇り高ぶるやうになり、果は大なる謬説をなして、夫をみづから得たりとし、聖人の道とは背き果てる様に成り行くこと、浅ましき事なり。又世間に学問を窮屈なる事のやうにおもふて学ばざる人あり、其人は遊里に沈姪するを至極の楽と思ふか、または守銭の奴となりて楽と思ふか、其外いろ〱の遊芸をもて楽とするかの内を出でず。是等の徒は、聖人の大道を知らざるゆゑに、学問の楽あることを知らぬも、尤の事なり。
書き下し
學問といふは、詩作文章を以て務とするにあらず、人は天より受け得し本心は誰々も善なれども、氣質のためにくらみたるを、聖人敎を立て、人倫の道を明かにし給ふ、その敎を學ぶことなり。(人倫といふは、後の個條にいふ五倫のことなり。)されば、日夜、孝弟忠信を身に行ひ、人倫を辨ふることを以て、實學とはいふなり。此所を、はじめより篤と合點せざれば、いたづらに書を多く讀みて、みづから誇り高ぶるやうになり、果は大なる謬說をなして、夫をみづから得たりとし、聖人の道とは背き果てる樣に成り行くこと、淺ましき事なり。又世間に學問を窮屈なる事のやうにおもふて學ばざる人あり、其人は遊里に沈姪するを至極の樂と思ふか、または守錢の奴となりて樂と思ふか、其外いろ〱の遊藝をもて樂とするかの內を出でず。是等の徒は、聖人の大道を知らざるゆゑに、學問の樂あることを知らぬも、尤の事なり。
現代語訳
学問とは、詩や文章を作ることを務めとするものではありません。人が天から受けた本心は誰でも善なのに、気質のために曇っているのを、聖人が教えを立て、人倫の道を明らかにされました。その教えを学ぶことが学問です。(人倫とは、後の条でいう五倫のことです。)ですから、日夜、孝弟忠信を身に行い、人倫をわきまえることを、実学というのです。ここを最初からよく納得しないと、むやみに書を多く読んで自ら誇り高ぶるようになり、ついには大きな誤った説を立てて、それを自分は会得したと思い、聖人の道とすっかり背く有様になります。これは嘆かわしいことです。また、世間には学問を窮屈なものと思って学ばない人がいます。その人は、遊里に溺れるのを最上の楽しみと思うか、金を守る奴になるのを楽しみと思うか、そのほかさまざまな遊芸を楽しみとするか、そのうちを出ません。こうした者は聖人の大道を知らないので、学問に楽しみがあることを知らないのも、もっともなことです。
解説
この章句が説くこと
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『講孟余話』附尾 讀保建大記一條跋。講孟劄記成る。因りて復た瀏覧すること一周、遂に名を講孟余話と改む。蓋し劄は鍼刺なり。凡そ其の記す所、精義を発し、文藻を摛ぶること、鍼の膚を刺して鮮血迸り出づるが如く、鍼の衣を刺して彩線絺繍するが如くにして、而る後以て称名と為すに足るのみ。而して余の此の著、豈に其れ然らんや。余の獄に在るや、囚徒胥ひ居り、其の已に家に帰るや、親戚盍簪す。時に乃ち孟子を把りて之れを講ず。其の訓詁を精しくするに非ず、其の文字を喜ぶに非ず、唯だ其の一憂一楽、一喜一怒、尽く諸を孟子に寓するのみ。故に其の喜楽に当りてや、孟子を講じて、復た益々喜楽し、其の憂怒に当りてや、孟子を講じて、復た益々憂怒す。憂怒の抑ふべからず、喜楽の歇むべからず、話に随ひ話に随ひ、稍積みて巻を成す者、即ち此の著なり。然らば則ち是れ特に講孟の余話のみ、何ぞ劄記と為すことを得んや。余已に囚徒親戚と、其の憂楽を同じくし、其の喜怒を共にす、亦已に足れり。而るに又之れを録して巻を成し以て世に問ふ、太だ贅ならずや。且つ此れを持して経学先生に問はんか、経学先生将に其の雑駁麁豪を罵らんとす。此れを持して文章博士に問はんか、文章博士将に其の鄙俚蕪陋を笑はんとす。然らば則ち当今の世、孰れか問ひ孰れか答へんや。噫、是れ吾が余話の録に已む能はざる所以なり。夫れ天下経学文章を以て教へと為す、蓋し亦久しいかな。経学益々明らかに、文章益々美にして、国威日に細く、外夷日に熾んなり。斯の道の道たる所以の者は、果して何くにか在る。則ち天下吾と憂楽を同じくし喜怒を共にする者、亦何ぞ独り一二の囚徒親戚のみならんや。而るに余屏居して世を謝す、世其の人有りと雖も、相従ひて晤言するに由なし。則ち余話の録、吾益々已む能はざるなり。噫、天下の士、其れ何を以て之れを教へん。安政三年、歳丙辰に次る、季夏の日、二十一回猛士藤寅、諸を松陰の囚室に書す。此の編、業を去年六月十三日に起し、今年六月十三日に卒る。中間或は作り或は輟め、居処已に変じ、会する者又異なり、而して正に期月に当りて、方に乃ち編を成す、亦奇ならずや。寅重ねて書す。
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うひ山ぶみ・本文上ノ件ところどころ、圏の内に、かたかなをもてしるししたるは、いはゆる相じるしにて、その件リ々にいへることの、然る子細を、又奥に別にくはしく論ひさとしたるを、そこはこゝと、たづねとめて、しらしめん料のしるし也、世に物まなびのすぢしなじな有て云々、物学とは、皇朝の学問をいふ、そもそもむかしより、たゞ学問とのみいへば、漢学のことなる故に、その学と分むために、皇国の事の学をば、和学或は国学などいふならひなれども、そはいたくわろきいひざま也、みづからの国のことなれば、皇国の学をこそ、たゞ学問とはいひて、漢学をこそ、分て漢学といふべきことなれ、それももし漢学のこととまじへいひて、まぎるゝところにては、皇朝学などはいひもすべきを、うちまかせてつねに、和学国学などいふは、皇国を外にしたるいひやう也、もろこし朝鮮於蘭陀などの異国よりこそ、さやうにもいふべきことなれ、みづから吾国のことを、然いふべきよしなし、すべてもろこしは、外の国にて、かの国の事は、何事もみな外の国の事なれば、
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