肝要工夫録 / 里と友を選ぶ
されば、人たるもの、よき里に居り、善友を擇みて、之と親めば、芝蘭の室に入るが如く、久しくして、その香きを知らず、また風俗あしき所に居り、惡人と交れば、鮑魚の肆に入るが如く、久しくして、その臭きことを知らざるが如くなれば、まづ里をゑらび、友を擇んで、常に古人の書をよみ、天より受け得し本の性善に立かへらむことこそ肝要の工夫なるべし、これを以て、古人の敎を和らげ、我人日々の行に手近きことどもを思ひはかりて、善道に導くの一助ともならむかと、拙き辭をかへりみず、その一端を記す。且つ古しへより、忠孝義烈の事を擧げむには、棟木にも滿つべし。その他、善行美事の如きも、記さむと欲すれども、是またかへつて見るにわづらはしかるべきことなれば、ただその要を述ぶるのみ。この書、誤れる事の多かるべければ、見る人、かならずさみすることなくして、改竄を加へて、予が恥かしめを補ひ給へかし。是れもとよりの願なれば、偏へに敎を希ふ而已。
新字:されば、人たるもの、よき里に居り、善友を択みて、之と親めば、芝蘭の室に入るが如く、久しくして、その香きを知らず、また風俗あしき所に居り、悪人と交れば、鮑魚の肆に入るが如く、久しくして、その臭きことを知らざるが如くなれば、まづ里をゑらび、友を択んで、常に古人の書をよみ、天より受け得し本の性善に立かへらむことこそ肝要の工夫なるべし、これを以て、古人の教を和らげ、我人日々の行に手近きことどもを思ひはかりて、善道に導くの一助ともならむかと、拙き辞をかへりみず、その一端を記す。且つ古しへより、忠孝義烈の事を挙げむには、棟木にも満つべし。その他、善行美事の如きも、記さむと欲すれども、是またかへつて見るにわづらはしかるべきことなれば、ただその要を述ぶるのみ。この書、誤れる事の多かるべければ、見る人、かならずさみすることなくして、改竄を加へて、予が恥かしめを補ひ給へかし。是れもとよりの願なれば、偏へに教を希ふ而已。
書き下し
されば、人たるもの、よき里に居り、善友を擇みて、之と親めば、芝蘭の室に入るが如く、久しくして、その香きを知らず、また風俗あしき所に居り、惡人と交れば、鮑魚の肆に入るが如く、久しくして、その臭きことを知らざるが如くなれば、まづ里をゑらび、友を擇んで、常に古人の書をよみ、天より受け得し本の性善に立かへらむことこそ肝要の工夫なるべし、これを以て、古人の敎を和らげ、我人日々の行に手近きことどもを思ひはかりて、善道に導くの一助ともならむかと、拙き辭をかへりみず、その一端を記す。且つ古しへより、忠孝義烈の事を擧げむには、棟木にも滿つべし。その他、善行美事の如きも、記さむと欲すれども、是またかへつて見るにわづらはしかるべきことなれば、ただその要を述ぶるのみ。この書、誤れる事の多かるべければ、見る人、かならずさみすることなくして、改竄を加へて、予が恥かしめを補ひ給へかし。是れもとよりの願なれば、偏へに敎を希ふ而已。
現代語訳
そこで、人たるもの、よい里に住み、善い友を選んで親しめば、芝や蘭の香る部屋に入ったようで、久しくなるとその香りに気づかなくなります。逆に風俗の悪い所に住み悪人と交われば、塩漬けの魚を売る店に入ったようで、久しくなるとその臭さに気づかなくなります。ですから、まず住む里を選び友を選んで、常に古人の書を読み、天から受けた本来の善なる性に立ち返ることが、肝要の工夫です。この書は、古人の教えを和らげ、私たちが日々行うことのうち手近なことを考えて、善い道に導く一助にもなればと、拙い言葉も顧みず、その一端を記したものです。また、昔から忠孝義烈の事を挙げれば、棟木に満ちるほど多くあります。そのほか善行や美事も記したいのですが、かえって読むのが煩わしくなるでしょうから、ただ要点だけを述べます。この書は誤りが多いでしょうから、読む人は決して軽んじることなく、改め正して私の恥を補ってください。これはもとよりの願いで、ひとえに教えを請うばかりです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『呻吟語』外篇・品藻・至此不為君子、真小人なり君子事に當たれば、則ち小人も皆な君子と為る。此に至りて君子と為らざるは、真の小人なり。小人事に當たれば、則ち中人も皆な小人と為る。此に至りて小人と為らざるは、真の君子なり。
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『墨子』所染子墨子、染絲する者を見て歎じて言いて曰く、「蒼に染むれば則ち蒼く、黄に染むれば則ち黄なり。入るる所の者變ずれば、其の色も亦た變ず。五たび入れて已に五色と為る。故に染は慎まざる可からざるなり」と。
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『新書』保傅秦に及びて然らず、其の俗は固より辞譲を貴ぶに非ず、上ぶ所は告訏なり。固より礼義を貴ぶに非ず、上ぶ所は刑罰なり。趙高をして胡亥に傅きて之に獄を教えしめ、習う所は人を斬劓するに非ざれば、則ち人の三族を夷するなり。故に今日位に即き、明日人を射、忠諫する者は之を誹謗と謂い、深く之が為に計る者は之を妖言と謂い、其の人を殺すを視ること艾草菅の若く然り。豈に胡亥の性悪ならんや。其の之を集め道く所以の者、理に非ざる故なり。
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『講孟余話』滕文公下 第六章「一薛居州、独り宋王を如何せん」。此の章の義極めて明白、比喩極めて的切、而して到底又此の一句に帰す。然れども是れ独り人君の知るべきのみに非ず。卿大夫士に至るまで、争臣争友少なくては、善をなすこと甚だ難し。更に一転して思ふに、心の存する所、身の行ふ所、接する所の事、翫ぶ所の芸、皆善に非ざることなくば、何を以て不善の人たらんや。故に云ふ、「小人間居して不善をなす」と。不善の萌しは必ず無事による者なれば、是れを思ひて、身を孝悌文武の内に漸漬して、他念を生ずるに暇なくすべし。是れ亦荘嶽に置くの意なり。
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『呻吟語』内篇・修身・入る所を慎み、接する所を慎む廟に入れば敬を期せずして自ら敬し、朝に入れば肅を期せずして自ら肅たり。是を以て君子は入る所を慎むなり。嚴師を見れば則ち收斂し、狎友を見れば則ち放恣なり。是を以て君子は接する所を慎むなり。
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孟子・滕文公章句下孟子、戴不勝に謂いて曰く、「子は子の王の善ならんことを欲するか。我明らかに子に告げん。此に楚の大夫有らんに、其の子の齊語せんことを欲すれば、則ち齊人をして諸に傅たらしめんか。楚人をして諸に傅たらしめんか。」曰く、「齊人をして之に傅たらしめん。」曰く、「一齊人之に傅たるも、衆楚人之を咻せば、雖日に撻(むちうつ)ちて其の齊たらんことを求むと雖も、得可からず。引いて之を莊嶽の間に置くこと數年ならば、日に撻ちて其の楚たらんことを求むと雖も、亦た得可からず。子、薛居州を善士と謂い、之をして王の所に居らしむ。王の所に在る者、長幼卑尊、皆薛居州ならば、王は誰と與にか不善を為さん。王の所に在る者、長幼卑尊、皆薛居州に非ざれば、王は誰と與にか善を為さん。一薛居州、獨り宋王を如何せん。」 <語釈> ○「咻」、音はキュウ、義はかまびすしくすること。○「莊嶽」、顧炎武云う、莊は是れ街の名、嶽は是れ里の名。

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