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肝要工夫録 / 上智・下愚・中人

古語に曰く、上智と下愚はうつらずと。上智とは、生れながら智明かにして、惡人の中にありても、いさゝか惡に染まることなく、泥中の蓮の濁に染まず、いつも清淨なるが如し。又下愚とは、孟子の所謂自棄自暴の者にて、聖人と同じく居るといへども、敎にしたがはず、麻の中なる蓬は直きに、其麻はかへつて曲れるが如し、堯舜の代といへども、四凶の惡あり、桀紂の時といへども、湯武の聖あり、孔子の陽貨、儒悲、少正卯等、みな是れなり。しかれども、此等は稀にして、世人多くは上智にもあらず、下愚にもあらず、誰々も中人なれば、よく敎にしたがへば、善人となり、をしへにもとれば、惡人となるなり。人の天より受け得たる性は、みな善なれば、耳に聞き眼に見るにしたがひて、四端の善心、おこらずといふことなし。

新字:古語に曰く、上智と下愚はうつらずと。上智とは、生れながら智明かにして、悪人の中にありても、いさゝか悪に染まることなく、泥中の蓮の濁に染まず、いつも清浄なるが如し。又下愚とは、孟子の所謂自棄自暴の者にて、聖人と同じく居るといへども、教にしたがはず、麻の中なる蓬は直きに、其麻はかへつて曲れるが如し、堯舜の代といへども、四凶の悪あり、桀紂の時といへども、湯武の聖あり、孔子の陽貨、儒悲、少正卯等、みな是れなり。しかれども、此等は稀にして、世人多くは上智にもあらず、下愚にもあらず、誰々も中人なれば、よく教にしたがへば、善人となり、をしへにもとれば、悪人となるなり。人の天より受け得たる性は、みな善なれば、耳に聞き眼に見るにしたがひて、四端の善心、おこらずといふことなし。

書き下し

古語に曰く、上智と下愚はうつらずと。上智とは、生れながら智明かにして、惡人の中にありても、いさゝか惡に染まることなく、泥中の蓮の濁に染まず、いつも清淨なるが如し。又下愚とは、孟子の所謂自棄自暴の者にて、聖人と同じく居るといへども、敎にしたがはず、麻の中なる蓬は直きに、其麻はかへつて曲れるが如し、堯舜の代といへども、四凶の惡あり、桀紂の時といへども、湯武の聖あり、孔子の陽貨、儒悲、少正卯等、みな是れなり。しかれども、此等は稀にして、世人多くは上智にもあらず、下愚にもあらず、誰々も中人なれば、よく敎にしたがへば、善人となり、をしへにもとれば、惡人となるなり。人の天より受け得たる性は、みな善なれば、耳に聞き眼に見るにしたがひて、四端の善心、おこらずといふことなし。

現代語訳

古い言葉に「最上の知者と最低の愚者は変わらない」とあります。上智とは、生まれつき智が明らかで、悪人の中にいても少しも悪に染まらず、泥の中の蓮が濁りに染まらず常に清らかであるようなものです。下愚とは、孟子のいう自ら見限り自ら投げ出す者のことで、聖人と同じ場所にいても教えに従いません。麻の中の蓬はまっすぐ伸びるのに、その麻のほうがかえって曲がってしまうようなものです。堯舜の世にも四凶という悪人がおり、桀紂の時代にも湯王や武王という聖人が出ました。孔子に対する陽貨、儒悲、少正卯などもみなこの類です。しかしこうした者は稀で、世の人の多くは上智でも下愚でもなく、だれもが中程度の人ですから、よく教えに従えば善人になり、教えにそむけば悪人になります。人が天から受けた性質はみな善ですから、耳で聞き目で見るにつれて、四端の善い心が起こらないことはありません。

解説

著者は冒頭で、人を上智・下愚・中人に分け、大多数は中人だと述べます。中人は教えと環境しだいで善にも悪にも傾くという見方で、幕府に仕える武士向けの修身書の出発点となる人間観です。組織に置き換えると、生まれつきの資質で部下を決めつけず、どんな環境と教えを与えるかが成否を分けるという示唆になります。部下の多くは中人ですから、場を整えて手本を示すことが第一歩です。ただし、この分類を現代の人物評価に当てはめるのは慎み、育成の前提として読みましょう。

この章句が説くこと

人間観上智下愚中人性善教育

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