韓非子 / 顯學第五十
今上急耕田墾草以厚民産也,而以上爲酷;脩刑重罰以爲禁邪也,而以上爲嚴;徵賦錢粟以實倉庫,且以救飢饉、備軍旅也,而以上爲貪;境内必知介而無私解,并力疾闘,所以禽虜也,而以上爲暴。此四者,所以治安也,而民不知悅也。夫求聖通之士者,爲民知之不足師用。昔禹決江濬河,而民聚瓦石;子産開畝樹桑,鄭人謗訾。禹利天下,子産存鄭人,皆以受謗,夫民智之不足用亦明矣。
新字:今上急耕田墾草以厚民産也,而以上為酷;脩刑重罰以為禁邪也,而以上為厳;徴賦銭粟以実倉庫,且以救飢饉、備軍旅也,而以上為貪;境内必知介而無私解,并力疾闘,所以禽虜也,而以上為暴。此四者,所以治安也,而民不知悦也。夫求聖通之士者,為民知之不足師用。昔禹決江濬河,而民聚瓦石;子産開畝樹桑,鄭人謗訾。禹利天下,子産存鄭人,皆以受謗,夫民智之不足用亦明矣。
書き下し
今上耕田墾草を急にして以て民産を厚くするに、而も上を以て酷と爲す。刑を脩め罰を重くして以て邪を禁ずるを爲すに、而も上を以て嚴と爲す。錢粟を徵賦して以て倉庫を實たし、且つ以て飢饉を救ひ、軍旅に備ふるに、而も上を以て貪と爲す。境内必ず介を知りて私解無く、力を并せて疾く闘ふは、虜を禽にする所以なり、而も上を以て暴と爲す。此の四者は、治安する所以なり、而も民悅ぶを知らざるなり。夫れ聖通の士を求むる者は、民の知師用するに足らざるが爲なり。昔禹江を決し河を濬ひて、民瓦石を聚め、子産畝を開き桑を樹ゑて、鄭人謗訾す。禹は天下を利し、子産は鄭人を存す、皆以て謗を受く、夫れ民智の用ふるに足らざること亦明らかなり。
現代語訳
今、上が田の耕作と荒れ地の開墾を急がせて民の財産を厚くしようとしているのに、民は上を過酷だと言う。刑を整え罰を重くして悪事を禁じようとしているのに、民は上を厳しすぎると言う。銭や穀物を税として取り立てて倉庫を満たし、それで飢饉を救い軍備に備えようとしているのに、民は上を貪欲だと言う。国内の者に必ず武装を心得させて私的な兵役逃れを許さず、力を合わせて勇敢に戦わせるのは敵を捕らえるためなのに、民は上を乱暴だと言う。この四つは国を治め安んじるためのものなのに、民は喜ぶべきことだと分からない。そもそも聖人や物事に通じた士を求めるのは、民の智恵が手本として用いるに足りないからである。昔、禹が長江を切り開き黄河をさらったとき、民は瓦や石を集めて投げつけようとし、鄭の子産が田畑を区画し桑を植えさせたとき、鄭の人々はそしった。禹は天下に利益をもたらし、子産は鄭の人々を存続させたのに、どちらもそしりを受けた。民の智恵が用いるに足りないことは明らかである。
解説
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