韓非子 / 顯學第五十
宋榮子之議,設不鬬爭,取不随仇,不羞囹圄,見侮不辱,世主以爲寛而禮之。夫是漆雕之廉,將非宋榮之恕也;是宋榮之寛,將非漆雕之暴也。今寛、廉、恕、暴俱在二子,人主兼而禮之。自愚誣之學、雜反之辭爭,而人主俱聽之,故海内之士,言無定術,行無常議。
新字:宋栄子之議,設不闘争,取不随仇,不羞囹圄,見侮不辱,世主以為寛而礼之。夫是漆雕之廉,将非宋栄之恕也;是宋栄之寛,将非漆雕之暴也。今寛、廉、恕、暴倶在二子,人主兼而礼之。自愚誣之学、雑反之辞争,而人主倶聴之,故海内之士,言無定術,行無常議。
書き下し
宋榮子の議は、鬬爭せざるを設け、仇に随はざるを取り、囹圄を羞ぢず、侮らるるも辱とせず、世主以て寛と爲して之を禮す。夫れ漆雕の廉を是とすれば、將に宋榮の恕を非とせんとす。宋榮の寛を是とすれば、將に漆雕の暴を非とせんとす。今寛・廉・恕・暴俱に二子に在りて、人主兼ねて之を禮す。愚誣の學、雜反の辭爭ひてより、而して人主俱に之を聽く、故に海内の士、言に定術無く、行に常議無し。
現代語訳
宋栄子の主張は、争わないことを掲げ、仇討ちをしないことを取り、牢獄に入れられても恥じず、侮られても辱めと思わないというもので、世の君主はこれを寛大として礼遇する。漆雕氏の廉直を正しいとすれば、宋栄子の寛恕を否定することになる。宋栄子の寛大を正しいとすれば、漆雕氏の荒々しさを否定することになる。今、寛大と廉直、寛恕と荒々しさがともにこの二人にあるのに、君主はその両方を礼遇している。愚かで偽りの学問、雑多で相反する議論が争うようになってから、君主はそのどれをも聞き入れる。だから天下の士は、言葉に定まった方法がなく、行いに一定の基準がないのである。
解説
顕学篇で、前の段の漆雕氏と対になる宋栄子(宋鈃)を取り上げ、正反対の主張を君主がともに礼遇する矛盾を指摘する一段です。漆雕氏は侮辱されれば諸侯にも怒る剛直の人、宋栄子は侮られても恥とせず争わない非戦の思想家で、『荘子』や『荀子』にもその説が見えます。どちらを正しいとしても他方は否定されるはずなのに、君主が両方を褒めれば、人々は何を基準に行動すればよいか分からなくなります。今の組織でも、「挑戦せよ」と「失敗するな」、「主張せよ」と「和を乱すな」を同時に言えば、社員は迷うばかりです。価値基準を一つにそろえる大切さを教えてくれます。
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