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韓非子 / 五蠹第四十九

無私劒之捍,以斬首爲勇。是境内之民,其言談者必軌於法,動作者歸之於功,爲勇者尽之於軍。是故無事則國富,有事則兵强,此之謂王資。既畜王資而承敵國之舋,超五帝、侔三王者,必此法也。今則不然,士民縱恣於内,言談者爲勢於外,外内稱惡,以待强敵,不亦殆乎!故羣臣之言外事者,非有分於從衡之黨,則有仇讎之忠,而借力於國也。從者,合衆弱以攻一强也;而衡者,事一强以攻衆弱也,皆非所以持國也。今人臣之言衡者,皆曰:「不事大,則遇敵受禍矣。」事大未必有實,則舉圖而委,效璽而請兵矣。獻圖則地削,效璽則名卑,地削則國削,名卑則政乱矣。事大爲衡,未見其利也,而亡地乱政矣。人臣之言從者,皆曰:「不救小而伐大,則失天下,失天下則國危,國危而主卑。」救小未必有實,則起兵而敵大矣。救小未必能存,而伐大未必不有䟽,有䟽則爲强國制矣。出兵則軍敗,退守則城拔。救小爲從,未見其利,而亡地敗軍矣。是故事强,則以外權士官於内;救小,則以内重求利於外。國利未立,封土厚禄至矣;主上雖卑,人臣尊矣;國地雖削,私家富矣。事成則以權長重,事敗則以富退處。

新字:無私劒之捍,以斬首為勇。是境内之民,其言談者必軌於法,動作者帰之於功,為勇者尽之於軍。是故無事則国富,有事則兵強,此之謂王資。既畜王資而承敵国之舋,超五帝、侔三王者,必此法也。今則不然,士民縦恣於内,言談者為勢於外,外内称悪,以待強敵,不亦殆乎!故羣臣之言外事者,非有分於従衡之党,則有仇讎之忠,而借力於国也。従者,合衆弱以攻一強也;而衡者,事一強以攻衆弱也,皆非所以持国也。今人臣之言衡者,皆曰:「不事大,則遇敵受禍矣。」事大未必有実,則舉図而委,効璽而請兵矣。献図則地削,効璽則名卑,地削則国削,名卑則政乱矣。事大為衡,未見其利也,而亡地乱政矣。人臣之言従者,皆曰:「不救小而伐大,則失天下,失天下則国危,国危而主卑。」救小未必有実,則起兵而敵大矣。救小未必能存,而伐大未必不有䟽,有䟽則為強国制矣。出兵則軍敗,退守則城抜。救小為従,未見其利,而亡地敗軍矣。是故事強,則以外権士官於内;救小,則以内重求利於外。国利未立,封土厚禄至矣;主上雖卑,人臣尊矣;国地雖削,私家富矣。事成則以権長重,事敗則以富退処。

書き下し

私劒の捍無く、斬首を以て勇と爲す。是れ境内の民、其の言談する者は必ず法に軌り、動作する者は之を功に歸し、勇を爲す者は之を軍に尽くす。是の故に事無ければ則ち國富み、事有れば則ち兵强し、此れを之れ王資と謂ふ。既に王資を畜へて敵國の舋に承じ、五帝を超え、三王に侔しき者は、必ず此の法なり。今則ち然らず、士民内に縱恣し、言談する者外に勢を爲し、外内惡を稱へて、以て强敵を待つ、亦殆からずや。故に羣臣の外事を言ふ者は、從衡の黨に分有るに非ずんば、則ち仇讎の忠有りて、力を國に借るなり。從なる者は、衆弱を合はせて以て一强を攻むるなり。而して衡なる者は、一强に事へて以て衆弱を攻むるなり、皆國を持する所以に非ざるなり。今人臣の衡を言ふ者は、皆曰く、「大に事へずんば、則ち敵に遇ひて禍を受けん」と。大に事ふるも未だ必ずしも實有らず、則ち圖を舉げて委ね、璽を效して兵を請ふ。圖を獻ずれば則ち地削られ、璽を效せば則ち名卑し、地削らるれば則ち國削られ、名卑しければ則ち政乱る。大に事へて衡を爲すも、未だ其の利を見ずして、地を亡ひ政を乱る。人臣の從を言ふ者は、皆曰く、「小を救ひて大を伐たずんば、則ち天下を失ひ、天下を失へば則ち國危ふく、國危ふくして主卑し」と。小を救ふも未だ必ずしも實有らず、則ち兵を起こして大に敵す。小を救ふも未だ必ずしも能く存せず、而して大を伐つも未だ必ずしも䟽有らずんばあらず、䟽有れば則ち强國の制する所と爲る。兵を出だせば則ち軍敗れ、退きて守れば則ち城拔かる。小を救ひて從を爲すも、未だ其の利を見ずして、地を亡ひ軍を敗る。是の故に强に事ふれば、則ち外權を以て内に士官し、小を救へば、則ち内重を以て利を外に求む。國利未だ立たずして、封土厚禄至る。主上卑しと雖も、人臣尊し。國地削らると雖も、私家富む。事成れば則ち權を以て長く重く、事敗るれば則ち富を以て退處す。

現代語訳

(明主の国では)私的な剣による用心棒はなく、敵の首を斬ることを勇とする。こうして国内の民は、議論する者は必ず法に従い、働く者はその成果を功績に結びつけ、勇を示す者はそれを軍で尽くす。だから平時には国が富み、有事には兵が強い。これを王者の元手という。王者の元手を蓄えたうえで敵国の隙に乗じ、五帝を超え三王に並ぶのは、必ずこの法による。ところが今はそうではない。士や民は国内で勝手気ままにふるまい、議論する者は国外で権勢をつくり、内外で悪を唱え合いながら強敵を待ち受けている。なんと危ういことか。だから群臣のうち外交を論じる者は、合従か連衡の一派に属しているか、そうでなければ仇敵への恨みを晴らそうとする私心があり、国の力を借りているのである。合従とは多くの弱国を合わせて一つの強国を攻めることであり、連衡とは一つの強国に仕えて多くの弱国を攻めることである。どちらも国を保つ手段ではない。今、連衡を説く臣下は皆「大国に仕えなければ、敵に遭って禍を受ける」と言う。だが大国に仕えても実益があるとは限らず、地図を差し出して領地を委ね、国璽を献じて援軍を請うことになる。地図を献じれば領地は削られ、国璽を献じれば名は卑しくなる。領地が削られれば国は小さくなり、名が卑しくなれば政治は乱れる。大国に仕えて連衡をしても、利益を見ないうちに領地を失い政治を乱す。合従を説く臣下は皆「小国を救って大国を討たなければ天下の信を失い、天下を失えば国は危うく、国が危うければ君主は卑しくなる」と言う。だが小国を救っても実益があるとは限らず、兵を起こして大国を敵に回すことになる。小国を救っても存続させられるとは限らず、大国を討っても手抜かりがないとは限らない。手抜かりがあれば強国に制される。兵を出せば軍は敗れ、退いて守れば城は落とされる。小国を救って合従をしても、利益を見ないうちに領地を失い軍を敗る。こうして、強国に仕えれば外国の権威を背に国内で官職を得、小国を救えば国内の重みを背に国外で利益を求める。国の利益はまだ立たないのに、臣下には封土や厚禄がもたらされる。君主は卑しくなっても臣下は尊くなり、国土は削られても私家は富む。事が成れば権力によって長く重んじられ、事が敗れれば蓄えた富を抱えて引退する。

解説

五蠹篇で、法と軍功だけを勇とする国を「王資」と呼び、それと対比して合従連衡の外交論者を批判する一段です。合従は弱国連合で強国に当たり、連衡は強国に付き従う策で、蘇秦・張儀に代表される縦横家の主張でした。韓非は、どちらも国に実益をもたらさず、成功すれば説いた臣下が権力を得、失敗しても臣下は富を抱えて退くだけだと喝破します。国の損失と個人の利益が切り離されている構造への批判です。今の組織でも、外部との提携や大型案件を強く推す人が、失敗しても責任を負わない仕組みになっていないかを点検させてくれます。

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