韓非子 / 五蠹第四十九
上古競於道德,中世逐於智謀,當今爭於氣力。齊将攻魯,魯使子貢說之。齊人曰:「子言非不辯也,吾所欲者土地也,非斯言所謂也。」遂舉兵伐魯,去門十里以爲界。故偃王仁義而徐亡,子貢辯智而魯削。以是言之,夫仁義辯智,非所以持國也。去偃王之仁,息子貢之智,循徐、魯之力使敵萬乘,則齊、荆之欲不得行於二國矣。夫古今異俗,新故異備。如欲以寛緩之政,治急世之民,猶無轡策而御駻馬,此不知之患也。今儒、墨皆稱先王兼愛天下,則視民如父母。何以明其然也?曰:「司寇行刑,君爲之不舉樂;聞死刑之報,君爲流涕。」此所舉先王也。夫以君臣爲如父子則必治,推是言之,是無亂父子也。人之情性莫先於父母,皆見愛而未必治也,雖厚愛矣,奚遽不亂?今先王之愛民,不過父母之愛子,子未必不亂也,則民奚遽治哉?且夫以法行刑,而君爲之流涕,此以效仁,非以爲治也。夫垂泣不欲刑者,仁也;然而不可不刑者,法也。先王勝其法,不聽其泣,則仁之不可以爲治亦明矣。
新字:上古競於道徳,中世逐於智謀,当今争於気力。斉将攻魯,魯使子貢説之。斉人曰:「子言非不弁也,吾所欲者土地也,非斯言所謂也。」遂舉兵伐魯,去門十里以為界。故偃王仁義而徐亡,子貢弁智而魯削。以是言之,夫仁義弁智,非所以持国也。去偃王之仁,息子貢之智,循徐、魯之力使敵万乗,則斉、荆之欲不得行於二国矣。夫古今異俗,新故異備。如欲以寛緩之政,治急世之民,猶無轡策而御駻馬,此不知之患也。今儒、墨皆称先王兼愛天下,則視民如父母。何以明其然也?曰:「司寇行刑,君為之不舉楽;聞死刑之報,君為流涕。」此所舉先王也。夫以君臣為如父子則必治,推是言之,是無乱父子也。人之情性莫先於父母,皆見愛而未必治也,雖厚愛矣,奚遽不乱?今先王之愛民,不過父母之愛子,子未必不乱也,則民奚遽治哉?且夫以法行刑,而君為之流涕,此以効仁,非以為治也。夫垂泣不欲刑者,仁也;然而不可不刑者,法也。先王勝其法,不聴其泣,則仁之不可以為治亦明矣。
書き下し
上古は道德に競ひ、中世は智謀を逐ひ、當今は氣力を爭ふ。齊将に魯を攻めんとす、魯子貢をして之に說かしむ。齊人曰く、「子の言辯ならざるに非ざるなり、吾が欲する所の者は土地なり、斯の言の謂ふ所に非ざるなり」と。遂に兵を舉げて魯を伐ち、門を去ること十里にして以て界と爲す。故に偃王は仁義にして徐亡び、子貢は辯智にして魯削らる。是を以て之を言へば、夫れ仁義辯智は、國を持する所以に非ざるなり。偃王の仁を去り、子貢の智を息め、徐・魯の力に循ひて萬乘に敵せしめば、則ち齊・荆の欲二國に行はるるを得ざらん。夫れ古今俗を異にし、新故備へを異にす。如し寛緩の政を以て、急世の民を治めんと欲するは、猶ほ轡策無くして駻馬を御するがごとし、此れ知らざるの患なり。今儒・墨皆先王天下を兼愛すと稱す、則ち民を視ること父母の如し。何を以て其の然るを明らかにするや。曰く、「司寇刑を行へば、君之が爲に樂を舉げず。死刑の報を聞けば、君爲に流涕す」と。此れ舉ぐる所の先王なり。夫れ君臣を以て父子の如しと爲せば則ち必ず治まるとせば、是を推して之を言へば、是れ亂るる父子無きなり。人の情性は父母より先なるは莫し、皆愛を見るも未だ必ずしも治まらざるなり、厚く愛すと雖も、奚ぞ遽かに亂れざらんや。今先王の民を愛するは、父母の子を愛するに過ぎず、子も未だ必ずしも亂れずんばあらず、則ち民奚ぞ遽かに治まらんや。且つ夫れ法を以て刑を行ひて、君之が爲に流涕するは、此れ以て仁を效すなり、以て治を爲すに非ざるなり。夫れ垂泣して刑を欲せざる者は、仁なり。然れども刑せざるべからざる者は、法なり。先王其の法に勝ちて、其の泣に聽かず、則ち仁の以て治を爲すべからざること亦明らかなり。
現代語訳
大昔は道徳を競い、中ほどの世は智謀を追い、今の世は力を争う。斉が魯を攻めようとしたとき、魯は孔子の弟子の子貢を遣わして斉を説得させた。斉の人は「あなたの言葉が弁舌に優れていないわけではない。だが我々が欲しいのは土地であって、あなたの言う理屈ではない」と言い、ついに兵を挙げて魯を討ち、魯の都の城門から十里のところを国境とした。つまり偃王は仁義を行って徐が滅び、子貢は弁舌と智恵を尽くして魯は領土を削られた。こう考えると、仁義や弁舌は国を保つ手段ではない。偃王の仁をやめ、子貢の智恵を用いず、徐や魯の力を充実させて大国に対抗させていれば、斉や楚の野望はこの二国に及ばなかっただろう。昔と今とでは風俗が違い、新旧で備えが違う。ゆるやかな政治で、差し迫った時代の民を治めようとするのは、手綱も鞭もなしに荒馬を御するようなもので、これは時代を知らないことの害である。今、儒家も墨家も、先王は天下の民を分け隔てなく愛し、民を見ることは父母が子を見るようだったと言う。どうしてそうだと分かるのかと問えば、「司法長官が刑を執行すれば、君主はそのために音楽を奏でさせず、死刑の報告を聞けば、君主はそのために涙を流した」と言う。これが彼らの持ち出す先王である。君臣の関係を父子のようにすれば必ず治まるというなら、これを推し進めれば、乱れた父子などいないことになる。人の情のうち、父母の子への情より先立つものはないが、どの子も親に愛されながら必ずしも治まってはいない。いくら厚く愛しても、どうして乱れないと言えようか。今、先王が民を愛したといっても、父母が子を愛する以上ではなく、その子でさえ乱れないとは限らないのだから、民がどうしてそれで治まろうか。そもそも法によって刑を行いながら君主がそのために涙を流すのは、仁を示しているのであって、統治をしているのではない。涙を流して刑を望まないのは仁であり、それでも刑を行わねばならないのは法である。先王が法を優先し、自分の涙に従わなかったのなら、仁によって統治できないこともまた明らかである。
解説
関連する章句
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『韓非子』五蠹第四十九古者文王豐・鎬の間に處り、地方百里、仁義を行ひて西戎を懷け、遂に天下に王たり。徐の偃王漢東に處り、地方五百里、仁義を行ひ、地を割きて朝する者三十有六國。荆の文王其の己を害せんことを恐れ、兵を舉げて徐を伐ち、遂に之を滅ぼす。故に文王は仁義を行ひて天下に王たり、偃王は仁義を行ひて其の國を喪ふ、是れ仁義古に用ひられて今に用ひられざるなり。
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『韓非子』顯學第五十今或ひと人に謂ひて曰く「子をして必ず智にして壽ならしめん」と、則ち世必ず以て狂と爲す。夫れ智は、性なり。壽は、命なり。性命なる者は、人に學ぶ所に非ざるなり、而るに人の能くせざる所を以て人に說く、此れ世の之を謂ひて狂と爲す所以なり。之を謂ひて然る能はずとすれば、則ち是れ諭なり、夫れ諭は性なり。仁義を以て人に教ふるは、是れ智と壽とを以て說くなり、有度の主は受けざるなり。故に毛嗇・西施の美を善しとするも、吾が面に益無し。脂澤粉黛を用ふれば、則ち其の初めに倍す。先王の仁義を言ふは、治に益無し。吾が法度を明らかにし、吾が賞罰を必にする者も、亦國の脂澤粉黛なり。故に明主は其の助を急にして其の頌を緩くす、故に仁義を道はず。今巫祝の人を祝して曰く、「若をして千秋萬歲ならしめん」と。千秋萬歲の聲耳に括すれども、一日の壽も人に徵無し、此れ人の巫祝を簡る所以なり。今世の儒者の人主に說くや、今の治を爲す所以を善しとせずして、已に治まるの功を語り、官法の事を審らかにせず、姦邪の情を察せずして、皆上古の傳譽、先王の成功を道ふ。儒者辝を飾りて曰く、「吾が言を聽かば、則ち以て霸王たるべし」と。此れ說者の巫祝にして、有度の主は受けざるなり。故に明主は實事を舉げ、無用を去り、仁義を道はざる者は故なり、學者の言を聽かず。今治を知らざる者は必ず曰く、「民の心を得よ」と。民の心を得んと欲して以て治を爲すべくんば、則ち是れ伊尹・管仲も用ふる所無きなり、將に民に聽かんとするのみ。民智の用ふべからざるは、猶ほ嬰兒の心のごときなり。夫れ嬰兒は首を剔らざれば則ち腹痛み、痤を㨽かざれば則ち寖く益す。首を剔り、痤を揊くは、必ず一人之を抱き、慈母之を治む、然れども猶ほ啼呼して止まず、嬰兒子は其の小苦する所を犯して、其の大利する所を致すを知らざればなり。
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『韓非子』五蠹第四十九古者丈夫耕さずとも、草木の實食ふに足る。婦人織らずとも、禽獸の皮衣るに足る。力を事とせずして養足り、人民少なくして財餘り有り、故に民爭はず。是を以て厚賞行はず、重罰用ひずして、民自ら治まる。今人五子有るも多しと爲さず、子又五子有り、大父未だ死せずして二十五孫有り。是を以て人民衆くして貨財寡く、力を事とすること勞にして供養薄し、故に民爭ふ、賞を倍し罰を累ぬと雖も亂を免れず。堯の天下に王たるや、茅茨翦らず、采椽斵らず。糲粢の食、䔧藿の羹。冬日は麑裘、夏日は葛衣、監門の服養と雖も、此れより虧けず。禹の天下に王たるや、身ら耒臿を執りて以て民の先と爲り、股に胈無く、脛に毛生ぜず、臣虜の勞と雖も、此れより苦しからず。是を以て之を言へば、夫れ古の天子を讓る者は、是れ監門の養を去りて臣虜の勞を離るるなり、古天下を傳ふるも多とするに足らざるなり。今の縣令は、一日身死すれども、子孫累世駕を絜ぐ、故に人之を重んず。是を以て人の讓るに於けるや、古の天子を辭するを輕んじ、今の縣令を去るを難しとするは、薄厚の實異なればなり。夫れ山居して谷汲する者は、膢臘に相遺るに水を以てす。澤居して水に苦しむ者は、庸を買ひて竇を決す。故に饑歲の春は、幼弟も饟はず。穰歲の秋は、䟽客も必ず食はしむ。骨肉を疏んじ過客を愛するに非ず、多少の實異なればなり。是を以て古の財を易んずるは、仁に非ず、財多ければなり。今の爭奪は、鄙に非ず、財寡ければなり。輕がろしく天子を辭するは、高きに非ず、勢薄ければなり。士槖を爭ふは、下に非ず、權重ければなり。故に聖人は多少を議し、薄厚を論じて之が政を爲す。故に罰薄きも慈と爲さず、誅嚴なるも戾と爲さず、俗に稱ひて行ふなり。故に事は世に因りて、備へは事に適ふ。
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『韓非子』五蠹第四十九民は固より勢いに服す、能く義に懐くもの寡し。・・・民固より愛に驕り、威に聴くけばなり。
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『韓非子』八説第四十七慈母の弱子に於けるや、愛前を爲すべからず。然れども弱子に僻行有れば、之をして師に随はしめ、惡病有れば、之をして醫に事へしむ。師に随はざれば則ち刑に陷り、醫に事へざれば則ち死に疑し。慈母愛すと雖も、刑を振ひ死を救ふに益無ければ、則ち子を存する者は愛に非ざるなり。子母の性は、愛なり。臣主の權は、筴なり。母も愛を以て家を存する能はず、君安んぞ能く愛を以て國を持せんや。明主なる者は富强に通ずれば、則ち以て欲を得べし。故に聽治に謹むは、富强の法なり。其の法禁を明らかにし、其の謀計を察す。法明らかなれば則ち内に變亂の患無く、計得れば則ち外に死虜の禍無し。故に國を存する者は、仁義に非ざるなり。仁者は、慈惠にして財を輕んずる者なり。暴者は、心毅にして誅を易くする者なり。慈惠なれば則ち忍びず、財を輕んずれば則ち與ふるを好む。心毅なれば則ち憎心下に見はれ、誅を易くすれば則ち妄殺人に加はる。忍びざれば則ち罰に宥赦多く、與ふるを好めば則ち賞に功無きもの多し。憎心見はるれば則ち下其の上を怨み、妄りに誅すれば則ち民將に背叛せんとす。故に仁人位に在れば、下肆にして輕がろしく禁法を犯し、偷幸して上に望む。暴人位に在れば、則ち法令妄りにして臣主乖き、民怨みて亂心生ず。故に曰く、仁暴は、皆國を亡ぼす者なり、と。美食を具ふる能はずして餓人に飯を勸むるは、能く餓者を活かすと爲さざるなり。草を辟き粟を生ずる能はずして貸施賞賜を勸むるは、能く民を富ます者と爲さざるなり。今學者の言や、本作を務めずして末事を好み、虚聖を道ふを知りて以て民に說く、此れ飯を勸むるの說なり。飯を勸むるの說は、明主受けざるなり。書約なれば弟子辯じ、法省けば民の訟簡なり。是を以て聖人の書は必ず論を著し、明主の法は必ず詳らかに事を盡くす。思慮を盡くし、得失を揣るは、智者の難しとする所なり。思ふ無く慮る無く、前言を挈りて後功を責むるは、愚者の易しとする所なり。
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『淮南子』人間訓王孫厲 楚の莊王に謂いて曰く「王 徐を伐たずんば、必ず反って徐に朝せん」と。王曰く「偃王は、有道の君なり。仁義を行うを好む。伐つ可からず」と。王孫厲曰く「臣 之を聞く、大の小に與する、強の弱に與するは、猶お石の卵に投ずる、虎の豚を啗らうがごとし。又た何ぞ焉を疑わんや。且つ夫れ文を爲して其の德を達する能わず、武を爲して其の力に任ずる能わざるは、亂 焉より大なるは莫し」と。楚王曰く「善し」と。乃ち兵を舉げて徐を伐ち、遂に之を滅す。仁義を知りて世變を知らざる者なり。