韓非子 / 五蠹第四十九
古者文王處豐、鎬之間,地方百里,行仁義而懷西戎,遂王天下。徐偃王處漢東,地方五百里,行仁義,割地而朝者三十有六國。荆文王恐其害己也,舉兵伐徐,遂滅之。故文王行仁義而王天下,偃王行仁義而喪其國,是仁義用於古不用於今也。
新字:古者文王処豊、鎬之間,地方百里,行仁義而懐西戎,遂王天下。徐偃王処漢東,地方五百里,行仁義,割地而朝者三十有六国。荆文王恐其害己也,舉兵伐徐,遂滅之。故文王行仁義而王天下,偃王行仁義而喪其国,是仁義用於古不用於今也。
書き下し
古者文王豐・鎬の間に處り、地方百里、仁義を行ひて西戎を懷け、遂に天下に王たり。徐の偃王漢東に處り、地方五百里、仁義を行ひ、地を割きて朝する者三十有六國。荆の文王其の己を害せんことを恐れ、兵を舉げて徐を伐ち、遂に之を滅ぼす。故に文王は仁義を行ひて天下に王たり、偃王は仁義を行ひて其の國を喪ふ、是れ仁義古に用ひられて今に用ひられざるなり。
現代語訳
昔、周の文王は豊と鎬の間にいて、領地は百里四方にすぎなかったが、仁義を行って西方の異民族を手なずけ、ついに天下の王となった。徐の偃王は漢水の東にいて、領地は五百里四方あり、仁義を行ったので、土地を割いて朝貢してくる国が三十六か国にのぼった。楚の文王は自分が害されるのを恐れ、兵を挙げて徐を討ち、ついに滅ぼした。つまり文王は仁義を行って天下の王となり、偃王は仁義を行って国を失った。これは仁義が昔には通用したが、今には通用しないということである。
解説
五蠹篇で、同じ仁義を行っても時代によって結果が正反対になることを、周の文王と徐の偃王の対比で示す一段です。文王は百里の小国から仁義で天下を取ったが、五百里を持つ偃王は仁義で諸国を集めたために楚に警戒され滅ぼされた。偃王の話は他の古書にも伝わる説話で、仁義そのものが悪いのではなく、力の争いの時代には仁義だけでは身を守れないというのが韓非の論点です。今の組織でも、誠実さや思いやりは大切ですが、競争環境の中で自分を守る実力の裏付けがなければ、かえって狙われる、という厳しい現実を思い出させてくれます。
関連する章句
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『淮南子』人間訓王孫厲 楚の莊王に謂いて曰く「王 徐を伐たずんば、必ず反って徐に朝せん」と。王曰く「偃王は、有道の君なり。仁義を行うを好む。伐つ可からず」と。王孫厲曰く「臣 之を聞く、大の小に與する、強の弱に與するは、猶お石の卵に投ずる、虎の豚を啗らうがごとし。又た何ぞ焉を疑わんや。且つ夫れ文を爲して其の德を達する能わず、武を爲して其の力に任ずる能わざるは、亂 焉より大なるは莫し」と。楚王曰く「善し」と。乃ち兵を舉げて徐を伐ち、遂に之を滅す。仁義を知りて世變を知らざる者なり。
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説苑・指武王孫厲楚の文王に謂いて曰く、「徐偃王仁義の道を行うを好み、漢東の諸侯三十二國盡く服せり。王若し伐たずんば、楚必ず徐に事えん」と。王曰く、「若し信に道有らば、伐つべからざるなり」と。對えて曰く、「大の小を伐ち、強の弱を伐つは、猶お大魚の小魚を吞むがごとく、虎の豚を食らうがごとし、惡んぞ其の理を得ざる有らんや」と。文王師を興して徐を伐ち、之を殘う。徐偃王將に死せんとして曰く、「吾文德に賴りて武備を明らかにせず、仁義の道を行うを好みて詐人の心を知らず、以て此に至れり」と。夫れ古の王者其れ備え有るか。
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『韓非子』五蠹第四十九上古は道德に競ひ、中世は智謀を逐ひ、當今は氣力を爭ふ。齊将に魯を攻めんとす、魯子貢をして之に說かしむ。齊人曰く、「子の言辯ならざるに非ざるなり、吾が欲する所の者は土地なり、斯の言の謂ふ所に非ざるなり」と。遂に兵を舉げて魯を伐ち、門を去ること十里にして以て界と爲す。故に偃王は仁義にして徐亡び、子貢は辯智にして魯削らる。是を以て之を言へば、夫れ仁義辯智は、國を持する所以に非ざるなり。偃王の仁を去り、子貢の智を息め、徐・魯の力に循ひて萬乘に敵せしめば、則ち齊・荆の欲二國に行はるるを得ざらん。夫れ古今俗を異にし、新故備へを異にす。如し寛緩の政を以て、急世の民を治めんと欲するは、猶ほ轡策無くして駻馬を御するがごとし、此れ知らざるの患なり。今儒・墨皆先王天下を兼愛すと稱す、則ち民を視ること父母の如し。何を以て其の然るを明らかにするや。曰く、「司寇刑を行へば、君之が爲に樂を舉げず。死刑の報を聞けば、君爲に流涕す」と。此れ舉ぐる所の先王なり。夫れ君臣を以て父子の如しと爲せば則ち必ず治まるとせば、是を推して之を言へば、是れ亂るる父子無きなり。人の情性は父母より先なるは莫し、皆愛を見るも未だ必ずしも治まらざるなり、厚く愛すと雖も、奚ぞ遽かに亂れざらんや。今先王の民を愛するは、父母の子を愛するに過ぎず、子も未だ必ずしも亂れずんばあらず、則ち民奚ぞ遽かに治まらんや。且つ夫れ法を以て刑を行ひて、君之が爲に流涕するは、此れ以て仁を效すなり、以て治を爲すに非ざるなり。夫れ垂泣して刑を欲せざる者は、仁なり。然れども刑せざるべからざる者は、法なり。先王其の法に勝ちて、其の泣に聽かず、則ち仁の以て治を爲すべからざること亦明らかなり。
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『淮南子』人間訓仁なる者は、百姓の慕う所なり。義なる者は、眾庶の高しとする所なり。人の慕う所を爲し、人の高しとする所を行うは、此れ嚴父の子を教うる所以にして、忠臣の君に事うる所以なり。然れども世 或いは之を用いて身 死し國 亡ぶる者は、時を同じくせざればなり。昔 徐の偃王 仁義を行うを好み、陸地の朝する者 三十二國。
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荀子・仲尼篇彼の王者は則ち然らず。賢を致して能く以て不肖を救い、彊を致して能く以て弱を寛くし、戦えば必ず能く之を殆うくするも、之と鬥うを羞ず。委然として文を成し、以て之を天下に示せば、暴国も安んじて自ら化す。災繆なる者有らば、然る後に之を誅す。故に聖王の誅や綦めて省なり。文王は四を誅し、武王は二を誅す。周公業を卒え、成王に至れば、則ち安んじて誅する無し。故に道豈に行なわれざらんや。文王は百里の地に載りて、天下一なり。桀・紂は之を舎て、天下を有つの埶に厚きも、匹夫として老ゆるを得ず。故に善く之を用うれば、則ち百里の国も以て独立するに足る。善く之を用いざれば、則ち楚は六千里なるも讎人の役と為る。故に人主、道を得るを務めずして、広く其の埶を有つは、是れ其の危うき所以なり。
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