説苑 / 指武
王孫厲謂楚文王曰:「徐偃王好行仁義之道,漢東諸侯三十二國盡服矣!王若不伐,楚必事徐。」王曰:「若信有道,不可伐也。」對曰:「大之伐小,強之伐弱,猶大魚之吞小魚也,若虎之食豚也,惡有其不得理?」文王興師伐徐,殘之。徐偃王將死,曰:「吾賴於文德而不明武備,好行仁義之道而不知詐人之心,以至於此。」夫古之王者其有備乎?
新字:王孫厲謂楚文王曰:「徐偃王好行仁義之道,漢東諸侯三十二国尽服矣!王若不伐,楚必事徐。」王曰:「若信有道,不可伐也。」対曰:「大之伐小,強之伐弱,猶大魚之吞小魚也,若虎之食豚也,悪有其不得理?」文王興師伐徐,残之。徐偃王将死,曰:「吾頼於文徳而不明武備,好行仁義之道而不知詐人之心,以至於此。」夫古之王者其有備乎?
書き下し
王孫厲楚の文王に謂いて曰く、「徐偃王仁義の道を行うを好み、漢東の諸侯三十二國盡く服せり。王若し伐たずんば、楚必ず徐に事えん」と。王曰く、「若し信に道有らば、伐つべからざるなり」と。對えて曰く、「大の小を伐ち、強の弱を伐つは、猶お大魚の小魚を吞むがごとく、虎の豚を食らうがごとし、惡んぞ其の理を得ざる有らんや」と。文王師を興して徐を伐ち、之を殘う。徐偃王將に死せんとして曰く、「吾文德に賴りて武備を明らかにせず、仁義の道を行うを好みて詐人の心を知らず、以て此に至れり」と。夫れ古の王者其れ備え有るか。
現代語訳
王孫厲が楚の文王に言った、「徐の偃王は仁義の道を行うことを好み、漢水東方の諸侯三十二か国がみなこれに服従しています。王がもしこれを討伐なさらなければ、楚もきっと徐に服従することになるでしょう」と。王は「もし本当に道を備えているなら、討伐すべきではあるまい」と言った。王孫厲は答えた、「大国が小国を討ち、強国が弱国を討つのは、大魚が小魚を呑み込むようなもの、虎が豚を食らうようなものです。どうしてそこに道理が通じないことがありましょうか」と。文王は軍を興して徐を討伐し、これを滅ぼした。徐の偃王は死に際して言った、「私は文徳に頼って武備を明らかにせず、仁義の道を行うことを好んで人を欺く者の心を知らなかった。それでこのような結末に至ったのだ」と。そもそも昔の王者には、それゆえの備えがあったのだろうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『淮南子』人間訓王孫厲 楚の莊王に謂いて曰く「王 徐を伐たずんば、必ず反って徐に朝せん」と。王曰く「偃王は、有道の君なり。仁義を行うを好む。伐つ可からず」と。王孫厲曰く「臣 之を聞く、大の小に與する、強の弱に與するは、猶お石の卵に投ずる、虎の豚を啗らうがごとし。又た何ぞ焉を疑わんや。且つ夫れ文を爲して其の德を達する能わず、武を爲して其の力に任ずる能わざるは、亂 焉より大なるは莫し」と。楚王曰く「善し」と。乃ち兵を舉げて徐を伐ち、遂に之を滅す。仁義を知りて世變を知らざる者なり。
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『塩鉄論』和親篇大夫曰く、昔、徐の偃王は義を行いて滅び、魯の哀公は儒を好みて削らる。文を知りて武を知らず、一を知りて二を知らざればなり。故に君子は仁に篤くして行う。然れども必ず城を築きて以て自ら守り、械を設けて以て自ら備う。不仁者の己を害するが為なり。是を以て古者、搜狝振旅して軍實を數う。民の愉佚して難に戒むるを亡うるを恐るればなり。故に兵革は國の用、城壘は國の固なり。而るに之を罷めんと欲するは、是れ表を去りて裏を見し、匈奴に心腹を示すなり。匈奴輕々しく舉がりて潛かに進み、以て空虛を襲わば、是れ猶お介せずして矢石の蹊に當たるがごとし。禍い必ず振わず。此れ邊境の懼るる所にして、有司の憂うる所なり。
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説苑・指武司馬法に曰く、「國大なりと雖も、戰を好めば必ず亡ぶ。天下安しと雖も、戰を忘るれば必ず危うし」と。易に曰く、「君子は以て戎器を除め、不虞を戒む」と。夫れ兵は玩ぶべからず、玩べば則ち威無し。兵は廢すべからず、廢すれば則ち寇を召く。昔呉王夫差戰を好みて亡び、徐偃王武無くして亦た滅ぶ。故に明王の國を制するや、上兵を玩ばず、下武を廢せず。易に曰く、「存して亡を忘れず、是を以て身安くして國家保つべきなり」と。
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説苑・指武五帝三王仁義を以て教えて天下變ずるなり、孔子亦た仁義を以て教うるも天下從わざる者は、何ぞや。昔明王紱冕有りて以て賢を尊び、斧鉞有りて以て惡を誅す、故に其の賞至って重く、而して刑至って深く、而して天下變ず。孔子顏淵を賢とすれども、以て之を賞する無く、孺悲を賤しめども、以て之を罰する無し、故に天下從わざるなり。是の故に道は權に非ずんば立たず、勢に非ずんば行われず、是れ道尊くして然る後に行わる。
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『帝範』閲武第十一夫(そ)れ兵甲(へいこう)は、國(くに)の凶器(きょうき)なり。土地(とち)廣(ひろ)しと雖(いへど)も、戰(たたか)ひを好(この)めば則(すなは)ち人(ひと)彫(おとろ)へ、邦國(ほうこく)安(やす)しと雖(いへど)も、亟(しばしば)戰(たたか)へば則(すなは)ち人(ひと)殆(あや)ふし。彫(おとろ)ふるは保全(ほぜん)の術(じゅつ)に非(あら)ず、殆(あや)ふきは寇(あだ)に擬(そな)ふるの方(ほう)に非(あら)ず。以(も)って全(まった)く除(のぞ)く可(べ)からず、以(も)って常(つね)に用(もち)ゐる可(べ)からず。故(ゆゑ)に農隙(のうげき)に武(ぶ)を講(こう)じ、威儀(いぎ)を習(なら)ふなり。是(ここ)を以(も)って勾踐(こうせん)は蛙(かへる)に軾(しょく)して、卒(つひ)に霸業(はぎょう)を成(な)し、徐偃(じょえん)は武(ぶ)を棄(す)てて、遂(つひ)に以(も)って邦(くに)を䘮(うしな)ふ。何(なん)となれば則(すなは)ち、越(えつ)は其(そ)の威(い)を習(なら)ひ、徐(じょ)は其(そ)の備(そな)へを忘(わす)る。孔子(こうし)曰(いは)く、人(ひと)を教(をし)へずして戰(たたか)はしむ、是(こ)れを之(これ)棄(す)つと謂(い)ふと。故(ゆゑ)に知(し)る、弧矢(こし)の威(い)、以(も)って天下(てんか)を利(り)すと。此(こ)れ用兵(ようへい)の機(き)なり。