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韓非子 / 六反第四十六

霸王者,人主之大利也。人主挾大利以聽治,故其任官者當能,其賞罰無私。使士民明焉,盡力致死,則功伐可立而爵禄可致,爵禄致而富貴之業成矣。富貴者,人臣之大利也。人臣挾大利以從事,故其行危至死,其力盡而不望。此謂君不仁,臣不忠,則可以霸王矣。夫姦必知則備,必誅則止;不知則肆,不誅則行。夫陳輕貨於幽隱,雖曾、史可疑也;懸百金於市,雖大盜不取也。不知,則曾、史可疑於幽隱;必知,則大盜不取懸金於市。故明主之治國也,衆其守而重其罪,使民以法禁而不以廉止。母之愛子也倍父,父令之行於子者十母;吏之於民無愛,令之行於民也萬父。母積愛而令窮,吏用威嚴而民聽從,嚴愛之筴亦可決矣。且父母之所以求於子也,動作則欲其安利也,行身則欲其遠罪也。君上之於民也,有難則用其死,安平則盡其力。親以厚愛關子於安利而不聽,君以無愛利求民之死力而令行。明主知之,故不養恩愛之心而增威嚴之勢。故母厚愛處,子多敗,推愛也;父薄愛教笞,子多善,用嚴也。

新字:覇王者,人主之大利也。人主挟大利以聴治,故其任官者当能,其賞罰無私。使士民明焉,尽力致死,則功伐可立而爵禄可致,爵禄致而富貴之業成矣。富貴者,人臣之大利也。人臣挟大利以従事,故其行危至死,其力尽而不望。此謂君不仁,臣不忠,則可以覇王矣。夫姦必知則備,必誅則止;不知則肆,不誅則行。夫陳軽貨於幽隠,雖曽、史可疑也;懸百金於市,雖大盗不取也。不知,則曽、史可疑於幽隠;必知,則大盗不取懸金於市。故明主之治国也,衆其守而重其罪,使民以法禁而不以廉止。母之愛子也倍父,父令之行於子者十母;吏之於民無愛,令之行於民也万父。母積愛而令窮,吏用威厳而民聴従,厳愛之筴亦可決矣。且父母之所以求於子也,動作則欲其安利也,行身則欲其遠罪也。君上之於民也,有難則用其死,安平則尽其力。親以厚愛関子於安利而不聴,君以無愛利求民之死力而令行。明主知之,故不養恩愛之心而增威厳之勢。故母厚愛処,子多敗,推愛也;父薄愛教笞,子多善,用厳也。

書き下し

霸王なる者は、人主の大利なり。人主大利を挟みて以て治を聴く、故に其の官に任ずる者は能に当たり、其の賞罰は私無し。士民をして明らかならしめば、力を尽くし死を致し、則ち功伐立つべくして爵禄致すべし、爵禄致りて富貴の業成る。富貴なる者は、人臣の大利なり。人臣大利を挟みて以て事に従ふ、故に其の行危ふくして死に至り、其の力尽くして望まず。此れを君仁ならず、臣忠ならずして、則ち以て霸王たるべしと謂ふ。夫れ姦は必ず知らるれば則ち備へ、必ず誅せらるれば則ち止む。知られざれば則ち肆にし、誅せられざれば則ち行ふ。夫れ軽貨を幽隠に陳ぬれば、曾・史と雖も疑ふべし。百金を市に懸くれば、大盗と雖も取らず。知られざれば、則ち曾・史も幽隠に疑ふべし。必ず知らるれば、則ち大盗も懸金を市に取らず。故に明主の国を治むるや、其の守を衆くして其の罪を重くし、民をして法を以て禁ぜしめて廉を以て止めしめず。母の子を愛するや父に倍す、父の令の子に行はるるは母に十す。吏の民に於けるや愛無し、令の民に行はるるは父に万す。母は愛を積みて令窮し、吏は威厳を用ひて民聴従す、厳愛の筴も亦決すべし。且つ父母の子に求むる所以や、動作すれば則ち其の安利を欲し、身を行へば則ち其の罪に遠ざからんことを欲す。君上の民に於けるや、難有れば則ち其の死を用ひ、安平なれば則ち其の力を尽くさしむ。親は厚愛を以て子を安利に関はらしめんとして聴かれず、君は無愛利を以て民の死力を求めて令行はる。明主之を知る、故に恩愛の心を養はずして威厳の勢を増す。故に母厚愛に処りて、子多く敗るるは、愛を推せばなり。父薄愛にして教笞して、子多く善なるは、厳を用ふればなり。

現代語訳

覇王の業は、君主にとっての大きな利益である。君主はその大きな利益を抱いて政治を執るので、官に任じる者は能力にふさわしく、賞罰には私心がない。士や民にそれをはっきり示せば、彼らは力を尽くし命を捧げ、功績を立てることができ、爵位と禄を得ることができる。爵位と禄を得れば、富貴の事業が成る。富貴は臣下にとっての大きな利益である。臣下はその大きな利益を抱いて仕事に従うので、その行いは危険で死に至るほどであり、力を尽くしても不平を言わない。これを、君主が仁でなく臣下が忠でなくても、覇王となることができるという。姦は必ず知られるとなれば慎み、必ず誅されるとなれば止む。知られなければほしいままにし、誅されなければ行う。軽くて価値のある品を人目につかない所に置いておけば、曾参や史鰌のような行いの正しい人でさえ疑われかねない。百金を市場に吊るしておけば、大泥棒でも取らない。知られないなら、曾参や史鰌でも人目のない所では疑われうる。必ず知られるなら、大泥棒でも市場に吊るした金を取らない。だから明主が国を治めるには、見張りを多くして罪を重くし、民を法によって禁じ、廉潔の心によって止めることに頼らない。母が子を愛する心は父の倍であるが、父の命令が子に行われるのは母の十倍である。役人は民に愛情を持たないが、その命令が民に行われるのは父の一万倍である。母は愛を積み重ねても命令は行き詰まり、役人は威厳を用いて民が聞き従う。厳しさと愛のどちらの策がよいかは、これで決められる。しかも父母が子に求めるものは、行動すれば安全で利のあること、身を処すれば罪から遠ざかることである。君主が民に求めるものは、難があれば命を捧げること、平時には力を尽くすことである。親は厚い愛によって子を安全と利益に向かわせようとしても聞かれず、君主は愛も利もないのに民に命がけの力を求めて命令が行われる。明主はこれを知っているので、恩愛の心を養わずに威厳の勢いを増す。だから母が厚い愛で接すると子の多くは身を持ち崩す。愛を押し広げすぎるからである。父が愛薄く教え鞭打つと子の多くは善くなる。厳しさを用いるからである。

解説

六反篇で、君臣を利害の一致で結ぶ韓非の統治論が展開される一段です。君主は覇王の業という大利を求め、臣下は富貴という大利を求める。両者の利が一致すれば、君が仁でなく臣が忠でなくても覇王になれると言い切ります。さらに、軽い宝を隠れた所に置けば聖人も疑われ、百金を市場に吊るせば大泥棒も取らないというたとえで、人を動かすのは廉潔の心ではなく「必ず知られる」仕組みだと説きます。母の愛は父の倍でも、命令の通りは父が母の十倍、役人は父の万倍だという比較も印象的です。愛情だけで人を育てようとすると甘えを生み、明確な基準と厳しさが人を育てることもある。その緊張関係を考えさせる一節です。

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