韓非子 / 六反第四十六
今家人之治産也,相忍以饑寒,相強以勞苦,雖犯軍旅之難,饑饉之患,温衣美食者,必是家也;相憐以衣食,相惠以佚樂,天饑歲荒,嫁妻賣子者,必是家也。故法之爲道,
新字:今家人之治産也,相忍以饑寒,相強以労苦,雖犯軍旅之難,饑饉之患,温衣美食者,必是家也;相憐以衣食,相恵以佚楽,天饑歳荒,嫁妻売子者,必是家也。故法之為道,
書き下し
今家人の産を治むるや、相忍ぶに饑寒を以てし、相強ふるに労苦を以てすれば、軍旅の難、饑饉の患を犯すと雖も、温衣美食する者は、必ず是の家なり。相憐れむに衣食を以てし、相恵むに佚楽を以てすれば、天饑ゑ歳荒るるに、妻を嫁し子を売る者は、必ず是の家なり。故に法の道為る、
現代語訳
今、家の者が家業を営むのに、互いに飢えや寒さを耐え忍び、互いに苦労を強いあえば、戦争の難や飢饉の患いに遭っても、暖かい服を着てうまいものを食べられるのは、必ずこういう家である。互いに衣食で憐れみ合い、互いに安楽を与え合えば、天候不順で凶作の年に、妻を嫁に出し子を売るのは、必ずこういう家である。だから法の道というものは、
解説
六反篇で、家計のたとえによって法の道を説く一節です。互いに飢えや寒さを耐え、苦労を強いる家は、戦争や飢饉が来ても暖かい服とよい食事を保てる。逆に、互いに衣食を惜しまず安楽を与え合う家は、凶作の年には妻を手放し子を売るはめになる。目先の我慢と厳しさが長い目で見た豊かさを生み、目先の優しさと安楽がやがて破滅を招くというのです。この単位は「故に法の道為る」で切れ、続く句で「前は苦しくして長く利あり、仁の道は偸楽にして後に窮す」と結ばれます。今の組織でも、厳しい時期に備えて蓄え、規律を保つことが、危機のときに人を守ることにつながります。優しさの時間軸を問う話です。
関連する章句
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『韓非子』六反第四十六前は苦しくして長く利あり。仁の道為る、偸楽にして後に窮す。聖人其の軽重を権り、其の大利を出だす、故に法の相忍ぶを用ひて、仁人の相憐れむを弃つるなり。
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