韓非子 / 難二第三十七
昔者吾先君獻公并國十七,服國三十八,戰十有二勝,是民之用也。獻公沒,惠公即位,淫衍暴乱,身好玉女,秦人恣侵,去絳十七里,亦是人之用也。惠公沒,文公授之,圍衛,取鄴,城濮之戰,五敗荆人,取尊名於天下,亦此人之用也。亦有君不能耳,士無弊也。」簡子乃去楯、櫓,立矢石之所及,鼓之而士乘之,戰大勝。簡子曰:「與吾得革車千乘,不如聞行人燭過之一言也。」或曰:行人未有以說也,乃道惠公以此人是敗,文公以此人是霸,未見所以用人也。簡子未可以速去盾、櫓也。嚴親在圍,輕犯矢石,孝子之所以愛親也。孝子愛親,百數之一也。今以爲身處危而人尚可戰,是以百族之子於上皆若孝子之愛親也,是行人之誣也。好利惡害,夫人之所有也。
新字:昔者吾先君献公并国十七,服国三十八,戦十有二勝,是民之用也。献公没,恵公即位,淫衍暴乱,身好玉女,秦人恣侵,去絳十七里,亦是人之用也。恵公没,文公授之,囲衛,取鄴,城濮之戦,五敗荆人,取尊名於天下,亦此人之用也。亦有君不能耳,士無弊也。」簡子乃去楯、櫓,立矢石之所及,鼓之而士乗之,戦大勝。簡子曰:「与吾得革車千乗,不如聞行人燭過之一言也。」或曰:行人未有以説也,乃道恵公以此人是敗,文公以此人是覇,未見所以用人也。簡子未可以速去盾、櫓也。厳親在囲,軽犯矢石,孝子之所以愛親也。孝子愛親,百数之一也。今以為身処危而人尚可戦,是以百族之子於上皆若孝子之愛親也,是行人之誣也。好利悪害,夫人之所有也。
書き下し
昔者吾が先君献公国を并すこと十七、国を服すること三十八、戦ひて十有二勝つ、是れ民の用なり。献公没し、恵公位に即く、淫衍暴乱にして、身は玉女を好み、秦人恣に侵し、絳を去ること十七里、亦是れ人の用なり。恵公没し、文公之を授かり、衛を囲み、鄴を取り、城濮の戦ひに、五たび荊人を敗り、尊名を天下に取る、亦此の人の用なり。亦君能はざる有るのみ、士に弊無きなり」と。簡子乃ち楯・櫓を去り、矢石の及ぶ所に立ち、之に鼓して士之に乗じ、戦ひて大いに勝つ。簡子曰く、「吾革車千乗を得んよりは、行人燭過の一言を聞くに如かず」と。或ひと曰く、行人未だ以て説くこと有らざるなり、乃ち恵公は此の人を以て是れ敗れ、文公は此の人を以て是れ霸たりと道ふ、未だ人を用ふる所以を見さざるなり。簡子未だ速やかに盾・櫓を去る可からざるなり。厳親囲みに在りて、軽く矢石を犯すは、孝子の親を愛する所以なり。孝子の親を愛するは、百数の一なり。今以て身危きに処りて人尚ほ戦ふ可しと為すは、是れ百族の子の上に於けるを以て皆孝子の親を愛するが若しとするなり、是れ行人の誣なり。利を好み害を悪むは、夫の人の有する所なり。
現代語訳
(使者の燭過の言葉)「昔、わが先君の献公は十七の国を併合し、三十八の国を服従させ、十二度戦って勝ちました。これはこの民を用いたからです。献公が亡くなり、恵公が位につくと、淫らで乱暴なふるまいが多く、自らは美女を好み、秦の軍がほしいままに攻め込み、都の絳から十七里のところまで迫りました。これもまた同じ民を用いたのです。恵公が亡くなり、文公が位を継ぐと、衛を包囲し、鄴を取り、城濮の戦いでは五度も荊(楚)の軍を破り、天下に尊い名声を得ました。これもまた同じ民を用いたのです。ただ君主に用いる力がないことがあるだけで、兵士が疲れ果てているわけではありません」。簡子はそこで盾と大盾を捨て、矢や石の届くところに立って太鼓を打つと、兵士たちは勢いに乗って戦い、大勝した。簡子は言った。「革張りの戦車千台を得るよりも、使者の燭過の一言を聞くほうがよい」。ある人が言う。使者の燭過はまだ説くべきことを説いていない。ただ恵公はこの民で敗れ、文公はこの民で覇者となったと言っただけで、人を用いる方法を示していない。簡子もすぐに盾や大盾を捨てるべきではなかった。厳しい親が包囲されているときに、軽々しく矢や石の中に飛び込むのは、孝行な子が親を愛するからである。しかし親を愛する孝行な子は、百人に一人である。いま自分が危険な場所に身を置けば人はなお戦うと考えるのは、あらゆる家の子が上に対して、みな孝行な子が親を愛するように思っているとみなすことであり、これは使者の燭過の偽りである。利を好み害を嫌うのは、人が誰でも持っているものである。
解説
関連する章句
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呂氏春秋・貴直④趙簡子、衛の附郭を攻むるに、自ら兵を將う。戰うに及びて、且に遠くに立たんとし、又犀蔽屏櫓の下に居る、之に鼓すれども士起たず。簡子、桴を投じて歎じて曰く、「鳴呼、士の遬弊すること一に此の若きか。」行人燭過、冑を免き戈を横たえて進みて曰く、「亦君の不能有るのみ。士何の弊することか之れ有らん。」簡子艴然として色を作して曰く、「寡人の使う無くして、身自ら是の衆を将いるや、子親しく寡人の無能を謂う。說有らば則ち可なるも、說無くんば則ち死せん。」對えて曰く、「昔吾が先君獻公は位に即きて五年、國を兼ぬること十九、此の士を用いたるなり。惠公は位に即きて二年、淫色暴慢にして、身は玉女を好む。秦人我を襲い、絳を遜去すること七十、此の士を用いたるなり。文公位に即きて二年、之を底すに勇を以てす。故に三年にして士盡く果敢なり。城濮の戰い、五たび荊人を敗り、衛を圍み曹を取り、石社を抜き、天子の位を定め、尊名を天下に成す。此の士を用いたるなり。亦だ君の不能有るのみ。士何の弊することか之れ有らん。」簡子乃ち犀蔽屏櫓を去りて、矢石の及ぶ所に立ち、一鼓して士畢く之に乘ず。簡子曰く、「吾、革車千乘を得ん與りは、行人燭過の一言を聞くに如かず。」行人燭過は能く其の君を諫めたりと謂う可し。戰鬭の上、枹鼓方に用いらる。賞は厚きを加えず、罰は重きを加えざるに、一言にして士皆其の上の為に死するを樂しむ。
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『韓非子』難二第三十七趙簡子衛の郛郭を囲む、犀楯・犀櫓もて、矢石の及ばざる所に立ち、之に鼓すれども士起たず。
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『韓非子』難二第三十七簡子抱を投げて曰く、「烏乎、吾の士數弊す。」燭過冑を免ぎて對えて曰く、「亦た君の能わざる有るのみ。士弊れたる者無し。」
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『韓非子』難一第三十六晋の文公将に楚人と戦はんとし、舅犯を召して之に問ひて、曰く、「吾将に楚人と戦はんとす、彼は衆く我は寡し、之を為すこと奈何」と。舅犯曰く、「臣之を聞く、繁礼の君子は、忠信を厭はず。戦陣の間は、詐偽を厭はず。君其れ之を詐らんのみ」と。文公舅犯を辞し、因りて雍季を召して之に問ひて、曰く、「我将に楚人と戦はんとす、彼は衆く我は寡し、之を為すこと奈何」と。雍季対へて曰く、「林を焚きて田すれば、偸に多くの獣を取るも、後必ず獣無し。詐を以て民に遇へば、偸に一時を取るも、後必ず復び無し」と。文公曰く、「善し」と。雍季を辞し、舅犯の謀を以て楚人と戦ひて以て之を敗る。帰りて爵を行ふに、雍季を先にして舅犯を後にす。羣臣曰く、「城濮の事は、舅犯の謀なり。夫れ其の言を用ひて其の身を後にするは、可ならんや」と。文公曰く、「此れ若が知る所に非ざるなり。
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『韓非子』外儲説右上第三十四文公曰く、「吾が民の喪資有る者は、寡人親ら郎中をして事を視しめ、罪有る者は之を赦し、貧窮にして足らざる者は之に与ふ、其れ以て民を戦はしむるに足るか」と。狐子対へて曰く、「足らず。此れ皆産を慎む所以なり。而して之を戦はしむるは、之を殺すなり。民の公に従ふや、産を慎むが為なり、公因りて迎へて之を殺さば、公に従ふを為す所以を失はん」と。曰く、「然らば則ち何如にして以て民を戦はしむるに足るか」と。狐子対へて曰く、「戦はざるを得ること無からしめよ」と。公曰く、「戦はざるを得ること無きは奈何」と。狐子対へて曰く、「信賞必罰、其れ以て戦はしむるに足る」と。公曰く、「刑罰の極は安くにか至る」と。対へて曰く、「親貴を辟けず、法愛する所に行はる」と。文公曰く、「善し」と。明日令して圃陸に田し、期するに日中を以て期と為し、期に後るる者は軍法を行はんとす。是に於て公の愛する所の者有り顛頡と曰ふ、期に後る、吏其の罪を請ふ、文公涕を隕して憂ふ。吏曰く、「請ふ事を用ひん」と。遂に顛頡の脊を斬りて、以て百姓に徇へ、以て法の信を明らかにするなり。而る後百姓皆懼れて曰く、「君顛頡の貴重に於けること彼の如く甚だしきなり、而るに君猶ほ法を行ふ、況んや我に於てをや則ち何か有らん」と。文公民の戦はしむ可きを見るや、是に於て遂に兵を興して原を伐ち、之に克つ。衛を伐ち、其の畝を東にし、五鹿を取る。陽を攻め、虢に勝つ。曹を伐ち、南のかた鄭を囲み、之が陴を反す。宋の囲みを罷む。還りて荊人と城濮に戦ひ、大いに荊人を敗り、返りて践土の盟を為し、遂に衡雍の義を成す。一挙にして八たび攻有り。然る所以の者は、他の故異物無し、狐偃の謀に従ひ、顛頡の脊を仮るなり。夫れ痤疽の痛みや、骨髄を刺すに非ざれば、則ち煩心支ふ可からざるなり。是の如くに非ざれば、人をして半寸の砥石を以て之を弾せしむる能はず。今人主の治に於けるも亦然り、苦有れば則ち安きを知らざるに非ず、其の国を治めんと欲するも、是の如くに非ざれば聖知を聴きて乱臣を誅する能はず。
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『淮南子』人間訓何を以て之を明らかにせん。昔 晉の文公 將に楚と城濮に戰わんとし、咎犯に問いて曰く「奈何と爲さん」と。咎犯曰く「仁義の事は、君子 忠信を厭わず。戰陳の事は、詐偽を厭わず。君 其れ之を詐かんのみ」と。咎犯を辭して、雍季に問う。雍季 對えて曰く「林を焚きて獵すれば、愈々多く獸を得るも、後 必ず獸無し。詐偽を以て人に遇わば、愈々利ありと雖も、後 復たすること無し。君 其れ之を正しくせんのみ」と。是に於いて雍季の計を聽かずして、咎犯の謀を用い、楚人と戰いて、大いに之を破る。還り歸りて功有る者を賞するに、雍季を先にして咎犯を後にす。左右曰く「城濮の戰いは、咎犯の謀なり。君 賞を行うに雍季を先にするは、何ぞや」と。文公曰く「咎犯の言は、一時の權なり。雍季の言は、萬世の利なり。吾 豈に一時の權を先にして、萬世の利を後にす可けんや」と。