韓非子 / 説疑第四十四
若夫周滑之、鄭王孫申、陳公孫寧、儀行父、荆芋尹申亥、随少師、越種干、吳王孫頟、晉陽成泄、齊竪刁、易牙,此十二人者之爲其臣也,皆思小利而忘法義,進則揜蔽賢良以陰闇其主,退則撓亂百官而爲禍難;皆輔其君,共其欲,苟得一說於王,雖破國殺衆,不難爲也。有臣如此,雖當聖王尚恐奪之,而況昏亂之君,其能無失乎?有臣如此者,皆身死國亡,爲天下笑。故周威公身殺,國分爲二;鄭子陽身殺,國分爲三;陳靈公身死於夏徵舒氏;荆靈王死於乾谿之上;随亡於荆;吳并於越;知伯滅於晉陽之下;桓公身死七日不收。故曰:諂諛之臣,唯聖王知之,而亂主近之,故至身死國亡。
新字:若夫周滑之、鄭王孫申、陳公孫寧、儀行父、荆芋尹申亥、随少師、越種干、呉王孫頟、晋陽成泄、斉竪刁、易牙,此十二人者之為其臣也,皆思小利而忘法義,進則揜蔽賢良以陰闇其主,退則撓乱百官而為禍難;皆輔其君,共其欲,苟得一説於王,雖破国殺衆,不難為也。有臣如此,雖当聖王尚恐奪之,而況昏乱之君,其能無失乎?有臣如此者,皆身死国亡,為天下笑。故周威公身殺,国分為二;鄭子陽身殺,国分為三;陳霊公身死於夏徴舒氏;荆霊王死於乾谿之上;随亡於荆;呉并於越;知伯滅於晋陽之下;桓公身死七日不収。故曰:諂諛之臣,唯聖王知之,而乱主近之,故至身死国亡。
書き下し
若し夫れ周の滑之・鄭の王孫申・陳の公孫寧・儀行父・荊の芋尹申亥・随の少師・越の種干・呉の王孫頟・晋の陽成泄・斉の竪刁・易牙、此の十二人の其の臣為るや、皆小利を思ひて法義を忘れ、進みては則ち賢良を揜蔽して以て其の主を陰闇にし、退きては則ち百官を撓乱して禍難を為す。皆其の君を輔け、其の欲を共にし、苟くも一説を王に得れば、国を破り衆を殺すと雖も、為すを難しとせざるなり。臣有ること此くの如くんば、聖王に当たると雖も尚ほ之を奪はれんことを恐る、而るを況んや昏乱の君、其れ能く失ふ無からんや。臣有ること此くの如き者は、皆身死し国亡び、天下の笑ひと為る。故に周の威公は身殺され、国分かれて二と為る。鄭の子陽は身殺され、国分かれて三と為る。陳の霊公は夏徴舒氏に身死す。荊の霊王は乾谿の上に死す。随は荊に亡ぼさる。呉は越に并せらる。知伯は晋陽の下に滅ぶ。桓公は身死して七日収められず。故に曰く、諂諛の臣は、唯だ聖王のみ之を知り、而して乱主は之を近づく、故に身死し国亡ぶに至る。
現代語訳
周の滑之・鄭の王孫申・陳の公孫寧と儀行父・楚の芋尹申亥・随の少師・越の種干・呉の王孫頟・晋の陽成泄・斉の竪刁と易牙、この十二人は臣としては、みな小さな利益を思って法と義を忘れ、朝廷に進んでは賢良な人を覆い隠して君主の目を暗くし、退いては百官をかき乱して禍を起こした。みな君主を助けてその欲望を共にし、いやしくも王に一つの説を気に入られれば、国を破り民を殺すことになってもためらわなかった。このような臣がいれば、聖王であってもなお国を奪われるのを恐れる。まして暗く乱れた君主が、失わずにいられようか。このような臣を持った者は、みな身は死に国は滅び、天下の笑いものとなった。周の威公は殺されて国が二つに分かれ、鄭の子陽は殺されて国が三つに分かれ、陳の霊公は夏徴舒の家で殺され、楚の霊王は乾谿のほとりで死に、随は楚に滅ぼされ、呉は越に併合され、知伯は晋陽の城下で滅び、斉の桓公は死んで七日も遺体が収められなかった。だから、へつらう臣は聖王だけが見抜き、乱れた君主はそれを近づけるので、身は死に国は滅ぶに至るというのである。
解説
関連する章句
-
『韓非子』説疑第四十四又曰く、「今時の聞く所を以てすれば、田成子は斉を取り、司城子罕は宋を取り、太宰欣は鄭を取り、単氏は周を取り、易牙の衛を取り、韓・魏・趙の三子は晋を分かつ。此の八人は、臣の其の君を弑する者なり。」姦臣此れを聞き、蹷然として耳を挙げて以て是と為すなり。故に内は党与を搆へ、外は巷族を攄べ、時を観て事を発し、一挙して国家を取る。且つ夫れ内は党与を以て其の君を劫弑し、外は諸侯の権を以て其の国を矯易し、正道を隠し、私曲を持し、上は君を禁じ、下は治を撓す者は、勝げて数ふべからざるなり。是れ何ぞや。則ち臣を択ぶに明らかならざればなり。記に曰く、「周の宣王以来、亡国数十、其の臣其の君を弑して国を取る者衆し。」然らば則ち難の内より起こると外より作る者と相半ばするなり。能く一たび其の民力を尽くし、国を破り身を殺す者は、尚ほ皆賢主なり。若し夫れ身を転じ位を易へ、衆を全うして国を伝ふるは、最も其の病なり。人主為る者、誠に臣の言ふ所に明らかなれば、則ち罼弋馳騁し、鐘を撞き女を舞はすと雖も、国猶且つ存するなり。臣の言ふ所に明らかならざれば、節倹勤労し、布衣悪食すと雖も、国猶ほ自ら亡ぶなり。趙の先君敬侯は、徳行を修めず、而して縦慾を好み、身体の安んずる所、耳目の楽しむ所に適ひ、冬日は罼弋し、夏は浮淫し、長夜を為し、数日御觴を廃せず、飲む能はざる者は筩を以て其の口に灌ぎ、進退粛まず、応対恭しからざる者は前に斬る。故に居処飲食此くの如く其れ節せず、制刑殺戮此くの如く其れ度無きも、然れども敬侯国を享くること数十年、兵は敵国に頓れず、地は四隣に虧けず、内に群臣百官の乱無く、外に諸侯隣国の患無し、臣に任ずる所以に明らかなればなり。
-
『韓非子』説疑第四十四民有ること此くの如きは、先古の聖王も皆臣とする能はず、当今の世、将た安んぞ之を用ひん。若し夫れ関龍逄・王子比干・随の季梁・陳の泄冶・楚の申胥・呉の子胥、此の六人は、皆疾く争ひ強く諫めて以て其の君に勝つ。言聴かれ事行はるれば、則ち師徒の勢の如し。一言にして聴かれず、一事にして行はれざれば、則ち其の主を陵ぐに語を以てし、之を待つに其の身を以てし、身死し家破れ、要領属かず、手足処を異にすと雖も、為すを難しとせざるなり。此くの如き臣は、先古の聖王も皆忍ぶ能はざるなり、当今の時、将た安んぞ之を用ひん。若し夫れ斉の田恒・宋の子罕・魯の季孫意如・晋の僑如・衛の子南勁・鄭の太宰欣・楚の白公・周の単荼・燕の子之、此の九人の其の臣為るや、皆朋党比周して以て其の君に事へ、正道を隠して私曲を行ひ、上は君に偪り、下は治を乱し、外を援けて以て内を撓し、下に親しみて以て上を謀り、為すを難しとせざるなり。此くの如き臣は、唯だ聖王智主のみ能く之を禁ず、若し夫れ昏乱の君、能く之を見んや。若し夫れ后稷・臯陶・伊尹・周公旦・太公望・管仲・隰朋・百里奚・蹇叔・舅犯・趙衰・范蠡・大夫種・逢同・華登、此の十五人の其の臣為るや、皆夙に興き夜に寐ね、身を卑くし体を賤しくし、心を竦め意を白くし、刑辟を明らかにし、官職を治めて以て其の君に事へ、善言を進め、道法を通じて敢て其の善に矜らず、成功立事有りて敢て其の労に伐らず。家を破りて以て国を便にし、身を殺して以て主を安んずるを難しとせず、其の主を以て高天泰山の尊と為し、而して其の身を以て壑谷鬴洧の卑と為す。主は明名広誉を国に有し、而して身は壑谷鬴洧の卑を受くるを難しとせず。此くの如き臣は、
-
『韓非子』説疑第四十四今世皆曰く「主を尊び国を安んずる者は必ず仁義智能を以てす」と、而して主を卑しめ国を危ふくする者の必ず仁義智能を以てするを知らざるなり。故に有道の主は、仁義を遠ざけ、智能を去り、之を服するに法を以てす。是を以て誉広くして名威あり、民治まりて国安し、民を用ふるの法を知ればなり。凡そ術なる者は、主の執る所なり。法なる者は、官の師とする所なり。然れども郎中をして日に道を郎門の外に聞かしめ、以て境内に至るまで日に法を見しむるは、又其の難に非ざるなり。昔者有扈氏に失度有り、讙兜氏に孤男有り、三苗に成駒有り、桀に侯侈有り、紂に崇侯虎有り、晋に優施有り。此の六人は、亡国の臣なり。是を言ひて非の如くし、非を言ひて是の如くし、内は険にして以て賊ひ、其の外は小しく謹みて、以て其の善を徴し、往古を称道して、良事をして沮ましむ。善く其の主を禅りて、以て精微を集め、之を乱すに其の好む所を以てす、此れ夫の郎中左右の類なる者なり。往世の主、人を得て身安く国存する者有り、人を得て身危ふく国亡ぶる者有り。人を得るの名は一なり、而して利害は相千万なり、故に人主の左右は慎まざるべからざるなり。人主為る者誠に臣の言ふ所に明らかなれば、則ち賢不肖を別つこと黒白の如し。若し夫れ許由・続牙・晋の伯陽・秦の顛頡・衛の僑如・狐不稽・重明・董不識・卞随・務光・伯夷・叔斉、此の十二人は、皆上は利を見て喜ばず、下は難に臨みて恐れず、或いは之に天下を与ふるも取らず、萃辱の名有れば、則ち食穀の利を楽しまず。夫れ利を見て喜ばざれば、上厚賞すと雖も、以て之を勧むる無し。難に臨みて恐れざれば、上厳刑すと雖も、以て之を威す無し、此れ之を不令の民と謂ふなり。此の十二人は、或いは窟穴に伏死し、或いは草木に槁死し、或いは山谷に饑餓し、或いは水泉に沈溺す。
-
『韓非子』説疑第四十四故に人臣為る者は家を破り賥を残して、内は党与を搆へ、外は巷族に接して以て誉を為し、陰約を従へ結びて以て相固め、虚しく相与ふるに爵禄を以てして以て相勧む。曰く、「我に与する者は将に之を利せんとし、我に与せざる者は将に之を害せんとす。」衆其の利を貪り、其の威に劫かさる。「彼誠に喜べば、則ち能く己を利し、忌怒すれば、則ち能く己を害す。」衆帰して民之に留まり、以て誉国に盈ち、発して主に聞こゆ。主其の情を理むる能はず、因りて以て賢と為す。彼又譎詐の士をして、外は諸侯の寵使と仮為せしめ、之に仮すに輿馬を以てし、之を信にするに瑞節を以てし、之を鎮むるに辞令を以てし、之に資するに幣帛を以てし、諸侯をして淫らに其の主に説かしめ、微かに私を挟みて公に議す。使ひ為る所の者は、異国の主なり。談を為す所の者は、左右の人なり。主其の言を説びて其の辞を辯とし、此の人を以て天下の賢士と為すなり。内外の左右に於ける、其の諷一にして語同じ。大なる者は身を卑くし位を尊びて以て之に下るを難しとせず、小なる者は爵を高くし禄を重くして以て之を利す。夫れ姦人の爵禄重くして党与弥衆く、又姦邪の意有れば、則ち姦臣愈々反りて之に説きて曰く、「古の所謂聖君明王なる者は、長幼世及して以て次序するに非ざるなり。其の党与を搆へ、巷族を聚め、上に偪り君を弑して其の利を求むるを以てなり。」彼曰く、「何ぞ其の然るを知る。」因りて曰く、「舜は堯に偪り、禹は舜に偪り、湯は桀を放ち、武王は紂を伐つ。此の四王は、人臣にして其の君を弑する者なり、而して天下之を誉む。四王の情を察するに、貪得の意なり。其の行を度るに、暴乱の兵なり。然れども四王自ら広く措きて、天下大と称し、自ら名を顕して、天下明と称す。則ち威は以て天下に臨むに足り、利は以て世を蓋ふに足り、天下之に従ふ。」
-
『韓非子』説疑第四十四故に曰く、人臣に五姦有り、而して主知らざるなり。人臣為る者、財貨賂を侈用して以て誉を取る者有り、慶賞賜予を務めて以て衆を移す者有り、朋党を務め智を徇へ士を尊びて以て擅逞する者有り、解免赦罪獄を務めて以て威を事とする者有り、奉下直曲・怪言・偉服・瑰称を務めて以て民の耳目を眩はす者有り。此の五者は、明君の疑ふ所なり、而して聖主の禁ずる所なり。此の五者を去れば、則ち譟詐の人敢て北面して立談せず、文言多く実行寡なくして法に当たらざる者も敢て情を誣ひて以て談説せず。是を以て群臣居れば則ち身を修め、動けば則ち力に任じ、上の令に非ざれば敢て擅に作り疾言して事を誣ひず、此れ聖王の臣下を牧する所以なり。彼の聖主明君は、疑物に適ひて以て其の臣を闚はざるなり。疑物を見て反する無き者は、天下に鮮し。故に曰く、孽に適に擬するの子有り、配に妻に擬するの妾有り、廷に相に擬するの臣有り、臣に主に擬するの寵有り、此の四者は、国の危ふき所なり。故に曰く、内寵后に並び、外寵政を弐にし、枝子適に配し、大臣主に擬するは、乱の道なり。故に周記に曰く、「妾を尊びて妻を卑しむる無かれ、適子を孽にして小枝を尊ぶ無かれ、嬖臣を尊びて上卿に匹する無かれ、大臣を尊びて以て其の主に擬する無かれ。」四擬破るれば、則ち上に意無く、下に怪無し。四擬破れざれば、則ち身を隕し国を滅ぼす。
-
『韓非子』姦劫弒臣第十四聖人の法国を為むる者は、必ず世に逆らひて道徳に順ふ。之を知る者は、義に同じくして俗に異なり、之を知らざる者は、義に異なりて俗に同じ。天下之を知る者少なければ、則ち義非とせらる。非道の位に処り、衆口の譖を被り、当世の言に溺れて、厳なる天子に当たりて安きを求めんと欲す、幾ど亦難からずや。此れ夫の智士の死に至るまで世に顕れざる所以の者なり。楚の荘王の弟春申君に愛妾有り、余と曰ふ。春申君の正妻の子を甲と曰ふ。余、君の其の妻を棄てんことを欲す。因りて自ら其の身を傷つけて以て君に視せて泣きて曰く、「君の妾と為ることを得たるは、甚だ幸ひなり。然りと雖も、夫人に適ふは君に事ふる所以に非ず、君に適ふは夫人に事ふる所以に非ず。身故より不肖にして、力は以て二主に適ふに足らず。其の勢俱には適はず。其の夫人の所に死なんよりは、君の前に死を賜はるに若かず。妾以て死を賜はり、若し復た左右に幸せらるるもの有らば、願はくは君必ず之を察して、人の笑ひと為ること無かれ」と。君因りて妾余の詐りを信じ、為に正妻を棄つ。余又甲を殺して其の子を以て後と為さんと欲す。因りて自ら其の親身の衣の裏を裂き、以て君に示して泣きて曰く、「余の君に幸せらるることを得たるの日久し。甲知らざるに非ざるなり。今乃ち強ひて余に戯れんと欲す。余之と争ひ、余の衣を裂くに至る。而して此の子の不孝、此れより大なるは莫し」と。君怒りて甲を殺すなり。故に妻は妾余の詐りを以て棄てられ、子は之を以て死す。是れより之を観れば、父の子を愛するや、猶毀りて害すべきなり。君臣の相与するや、父子の親有るに非ざるなり。而して群臣の毀言は、特だに一妾の口のみに非ざるなり。何ぞ夫の賢聖の戮死を怪しまんや。此れ商君の秦に車裂せられ、呉起の楚に枝解せらるる所以の者なり。凡そ人臣たる者は、罪有りて固より誅せらるるを欲せず、功無き者も皆尊顕を欲す。