韓非子 / 説疑第四十四
雖當昏亂之主尚可致功,況於顯明之主乎?此謂霸王之佐也。
新字:雖当昏乱之主尚可致功,況於顕明之主乎?此謂覇王之佐也。
書き下し
昏乱の主に当たると雖も尚ほ功を致すべし、況んや顕明の主に於てをや。此れを霸王の佐と謂ふなり。
現代語訳
たとえ暗く乱れた君主に仕えても、なお功績を挙げることができる。まして明らかな君主に仕えるならなおさらである。これを霸王の補佐という。
解説
説疑篇で、后稷・伊尹・管仲・范蠡ら十五人の理想の臣を評した結びの言葉です。朝早くから夜遅くまで働き、身をへりくだり、刑法と官職を整え、功を誇らず主君を立てる臣は、暗愚な君主のもとでも功を挙げられる。まして明君のもとなら、覇王の業を支える補佐となるというのです。仕える主君の良し悪しに左右されず成果を出せる人材こそ最も得難いという評価で、主君しだいで生き死にが決まる激しい諫臣や、主君を脅かす朋党の臣と対比されています。上司が優秀でなくても自分の持ち場で結果を出す人は、どの組織でも宝です。環境を言い訳にせず、置かれた場で力を尽くす姿勢を考えさせてくれます。
この章句が説くこと
補佐プロフェッショナリズム臣下主体性成果功
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