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韓非子 / 説疑第四十四

凡治之大者,非謂其賞罰之當也。賞無功之人,罰不辜之民,非所謂明也。賞有功,罰有罪,而不失其人,方在於人者也,非能生功止過者也。是故

新字:凡治之大者,非謂其賞罰之当也。賞無功之人,罰不辜之民,非所謂明也。賞有功,罰有罪,而不失其人,方在於人者也,非能生功止過者也。是故

書き下し

凡そ治の大なる者は、其の賞罰の当たるを謂ふに非ざるなり。無功の人を賞し、不辜の民を罰するは、所謂明に非ざるなり。有功を賞し、有罪を罰して、其の人を失はざるは、方に人に在る者なり、能く功を生じ過を止むる者に非ざるなり。是の故に

現代語訳

およそ政治の大きなところは、賞罰が当を得ていることをいうのではない。功のない人を賞し、罪のない民を罰するのは、もちろん明とはいえない。だが功のある者を賞し、罪のある者を罰して、その人を取り違えないというのは、すでに起きたことを人に対して処理するだけのことであって、功を生み出し過ちを未然に止めるものではない。だから

解説

説疑篇の冒頭です。韓非は、功ある者を賞し罪ある者を罰するのは当然のことで、それだけでは政治の最も大切なところとはいえないと言います。賞罰は、すでに起きた功や過ちを後から処理するものにすぎず、功を生み出し過ちを起こさせない力はないからです。この句は「是の故に」で途切れ、続く句で姦を禁じる上策が論じられます。説疑篇は、君主が臣下の真偽を疑い見抜くことを主題とする篇で、この後、君主が見分けるべき臣下の類型が次々に挙げられます。今の組織でも、問題が起きてから処分や表彰をするだけでは足りず、問題を生まない仕組みや風土をどう作るかが問われます。

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