韓非子 / 定法第四十三
以勇力之所加而治智能之官,是以斬首之功爲醫、匠也。故曰:二子之於法術,皆未盡善也。」
新字:以勇力之所加而治智能之官,是以斬首之功為医、匠也。故曰:二子之於法術,皆未尽善也。」
書き下し
勇力の加ふる所を以て智能の官を治むるは、是れ斬首の功を以て医・匠と為すなり。故に曰く、二子の法術に於けるや、皆未だ善を尽くさざるなり。」
現代語訳
勇気と腕力で成し遂げたことをもとに、知恵と能力の要る官職を治めさせるのは、首を斬った手柄で医者や大工にするようなものだ。だから、二人(申不害と商鞅)は法と術について、どちらもまだ善を尽くしていないというのである。」
解説
定法篇の結びです。商鞅の法は斬首の功で官職まで与えましたが、韓非はそれを、首を斬った手柄で医者や大工にするようなものだと批判します。勇気と腕力で得た成果と、知恵と技能が要る仕事とは別物だからです。こうして韓非は、申不害は術を尽くさず、商鞅は法を尽くさなかったと結論し、両者を超える法と術の統合を自らの課題とします。先人の業績を受け継ぎながら、その欠点をはっきり指摘する姿勢は、韓非の思想が法家の集大成と呼ばれる理由でもあります。優秀な営業担当をそのまま管理職にして失敗する、といった話は今もよく聞きます。成果への報い方と適材適所を分けて考える大切さを教えてくれます。
関連する章句
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『韓非子』定法第四十三問ふ者曰く、「申不害・公孫鞅、此の二家の言孰れか国に急なる。」之に応へて曰く、「是れ程るべからざるなり。人食はざれば、十日にして則ち死す。大寒の隆んなる、衣ざるも亦死す。之を衣食孰れか人に急なると謂へば、則ち是れ一も無かるべからざるなり、皆生を養ふの具なり。今申不害は術を言ひ、而して公孫鞅は法を為す。術とは、任に因りて官を授け、名に循ひて実を責め、殺生の柄を操り、群臣の能を課する者なり。此れ人主の執る所なり。法とは、憲令官府に著し、刑罰民心に必し、賞は法を慎むに存し、而して罰は令を姦すに加ふる者なり。
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『韓非子』定法第四十三問ふ者曰く、「徒だ術のみにして法無く、徒だ法のみにして術無きは、其の不可なるは何ぞや。」対へて曰く、「申不害は、韓の昭侯の佐なり。韓は、晋の別国なり。晋の故法未だ息まずして、韓の新法又生じ、先君の令未だ収めずして、後君の令又下る。申不害其の法を擅にせず、其の憲令を一にせざれば、則ち姦多し。故に利故法前令に在れば則ち之に道り、利新法後令に在れば則ち之に道る。利故新相反し、前後相勃るに在れば、則ち申不害十たび昭侯をして術を用ひしむと雖も、而も姦臣猶ほ其の辞を譎る所有り。故に万乗の勁韓に託して、十七年にして霸王に至らざる者は、術を上に用ふと雖も、法勤めて官に飾へざるの患なり。公孫鞅の秦を治むるや、告相坐を設けて其の実を責め、什伍を連ねて其の罪を同じくし、賞厚くして信、刑重くして必なり。是を以て其の民力を用ひて労して休まず、敵を逐ひて危ふくして却かず、故に其の国富みて兵強し。
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『韓非子』定法第四十三今官を治むるは智能なり、今首を斬るは勇力の加うる所なり。勇力の加うる所を以てして、智能の官を治むるは、是れ首を斬るの功を以て醫匠と為すなり。
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『韓非子』定法第四十三商君の法に曰く、『一首を斬る者は爵一級、官と為らんと欲する者は五十石の官と為す。二首を斬る者は爵二級、官と為らんと欲する者は百石の官と為す』と。官爵の遷ること斬首の功と相称ふなり。
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『韓非子』定法第四十三恵王死し、武王位に即き、甘茂秦を以て周に殉ふ。武王死し、昭襄王位に即き、穣侯韓・魏を越えて東のかた斉を攻め、五年にして秦尺土の地を益さず、乃ち其の陶邑の封を城く。応侯韓を攻むること八年、其の汝南の封を成す。是れより以来、諸々の秦に用ひらるる者は、皆応・穣の類なり。故に戦勝てば則ち大臣尊く、地を益せば則ち私封立つ、主術以て姦を知る無ければなり。商君十たび其の法を飾ふと雖も、人臣反りて其の資を用ふ。故に強秦の資に乗ずること数十年にして帝王に至らざる者は、法勤めて官に飾ふと雖も、主上に術無きの患なり。問ふ者曰く、「主申子の術を用ひて、官商君の法を行はば、可ならんか。」対へて曰く、「申子は未だ術を尽くさず、商君は未だ法を尽くさざるなり。申子言ふ、『治は官を踰えず、知ると雖も言はず』と。法官を踰えざるは、之を職を守ると謂ふも可なり。知りて言はざるは、是れ過を謂はざるなり。人主は一国の目を以て視る、故に視ること焉より明らかなるは莫し。
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『韓非子』問田第四十二是に由りて之を観れば、夫れ屯伯の試、州部の関無きは、豈に明主の備へならんや。」堂谿公、韓子に謂ひて曰く、「臣聞く、礼に服し辞譲するは、全うするの術なり。行を修め智を退くるは、遂ぐるの道なりと。今先生は法術を立て、度数を設く、臣竊かに以て身に危ふく軀に殆ふしと為す。何を以て之を效さん。先生の術を聞く所に曰く、『楚は呉起を用ひずして削乱し、秦は商君を行ひて富彊なり。二子の言已に当たれり、然り而して呉起は支解せられ商君は車裂せらるる者は、世に逢ひ主に遇はざるの患なり』と。逢遇は必すべからざるなり、患禍は斥くべからざるなり。夫れ全遂の道を舎てて危殆の行を肆にするは、竊かに先生の為に取る無し。」韓子曰く、「臣先生の言を明らかにせり。夫れ天下を治むるの柄、民萌を斉ふるの度は、甚だ未だ処り易からざるなり。然れども先王の教へを廃して、賤臣の取る所を行ふ所以の者は、竊かに以為へらく、法術を立て、度数を設くるは、民萌を利し、衆庶を便にするの道なればなり。