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韓非子 / 難四第三十九

或曰:報惡甚者,大誅報小罪。大誅報小罪也者,獄之至也。獄之患,故非在所以誅也,以讎之衆也。是以晉厲公滅三郄而欒、中行作難,鄭子都殺伯咺而食鼎起禍,吴王誅子胥而越勾踐成霸。則衛侯之逐,鄭靈之弑,不以褚師之不死而公父之不誅也,以未可以怒而有怒之色,未可誅而有誅之心。怒其當罪,而誅不逆人心,雖懸奚害?夫未立有罪,即位之後,宿罪而誅,齊胡之所以滅也。君行之臣,猶有後患,況爲臣而行之君乎?誅既不當,而以盡爲心,是與天下爲讎也。則雖爲戮,不亦可乎!衛靈公之時,彌子瑕有寵,專於衛國。侏儒有見公者曰:「臣之夢淺矣。」公曰:「奚夢?」「夢見竈者,爲見公也。」公怒曰:「吾聞見人主者夢見日,奚爲見寡人而夢見竈乎?」侏儒曰:「夫日兼照天下,一物不能當也;人君兼照一國,一人不能壅也,故將見人主而夢日也。

新字:或曰:報悪甚者,大誅報小罪。大誅報小罪也者,獄之至也。獄之患,故非在所以誅也,以讎之衆也。是以晋厲公滅三郄而欒、中行作難,鄭子都殺伯咺而食鼎起禍,呉王誅子胥而越勾践成覇。則衛侯之逐,鄭霊之弑,不以褚師之不死而公父之不誅也,以未可以怒而有怒之色,未可誅而有誅之心。怒其当罪,而誅不逆人心,雖懸奚害?夫未立有罪,即位之後,宿罪而誅,斉胡之所以滅也。君行之臣,猶有後患,況為臣而行之君乎?誅既不当,而以尽為心,是与天下為讎也。則雖為戮,不亦可乎!衛霊公之時,弥子瑕有寵,専於衛国。侏儒有見公者曰:「臣之夢浅矣。」公曰:「奚夢?」「夢見竈者,為見公也。」公怒曰:「吾聞見人主者夢見日,奚為見寡人而夢見竈乎?」侏儒曰:「夫日兼照天下,一物不能当也;人君兼照一国,一人不能壅也,故将見人主而夢日也。

書き下し

或ひと曰く、悪に報ゆること甚しき者は、大誅もて小罪に報ゆ。大誅もて小罪に報ゆる者は、獄の至りなり。獄の患は、故より誅する所以に在るに非ざるなり、讎の衆きを以てなり。是を以て晋の厲公三郄を滅ぼして欒・中行難を作し、鄭の子都伯咺を殺して食鼎禍を起こし、呉王子胥を誅して越の勾践覇を成す。則ち衛侯の逐はるる、鄭霊の弑せらるるは、褚師の死せざる、公父の誅せられざるを以てならざるなり、未だ以て怒るべからざるに怒りの色有り、未だ誅すべからざるに誅の心有るを以てなり。怒り其の罪に当たり、誅人心に逆らはざれば、懸くと雖も奚ぞ害あらん。夫れ未だ立たざるに罪有り、位に即くの後、罪を宿めて誅するは、斉胡の滅ぶる所以なり。君之を臣に行ふも、猶ほ後患有り、況んや臣と為りて之を君に行ふをや。誅既に当たらずして、尽くすを以て心と為すは、是れ天下と讎を為すなり。則ち戮せらると雖も、亦可ならずや。衛の霊公の時、彌子瑕寵有り、衛国を専らにす。侏儒に公に見ゆる者有りて曰く、「臣の夢浅し。」公曰く、「奚の夢ぞ。」「竈を夢に見る者は、公に見ゆる為なり。」公怒りて曰く、「吾聞く、人主に見ゆる者は日を夢に見ると。奚為れぞ寡人に見えて竈を夢に見るや。」侏儒曰く、「夫れ日は兼ねて天下を照らし、一物も当たる能はず。人君は兼ねて一国を照らし、一人も壅ぐ能はず。故に将に人主に見えんとして日を夢みるなり。

現代語訳

ある人が言う。憎しみへの報いがひどいとは、大きな誅罰で小さな罪に報いることである。大きな誅罰で小さな罪に報いるのは、刑獄のきわみである。刑獄の患いは、そもそも誅することそのものにあるのではなく、仇が多くなることにある。こうして晋の厲公は三郤(郤氏の三人)を滅ぼして欒氏・中行氏が乱を起こし、鄭の子都は伯咺を殺して(鼎の料理をめぐる)禍が起こり、呉王夫差は伍子胥を誅して越王勾践が覇者となった。つまり衛侯が追放され、鄭の霊公が殺されたのは、褚師が殺されず公父(子公)が誅されなかったからではなく、まだ怒るべきでないのに怒りの顔色を見せ、まだ誅すべきでないのに誅する心を持ったからである。怒りがその罪に見合い、誅罰が人心に逆らわなければ、怒りを懸けておいても何の害があろう。まだ即位しないうちに罪があったとして、即位した後にその古い罪を問うて誅したのが、斉の胡公が滅んだ原因である。君が臣に対してこれを行っても後の患いがあるのに、まして臣でありながら君に対してこれを行う場合はなおさらだ。誅罰が当を得ていないのに、報復を尽くそうとするのは、天下を仇にすることである。そうであれば、(高渠彌が)殺されても当然ではないか。衛の霊公の時代、彌子瑕が寵愛を受け、衛の国政をほしいままにしていた。ある侏儒(小人の芸人)が霊公に目通りして言った。「私の夢が当たりました。」公は「何の夢か」と言った。「かまどを夢に見ましたが、それは公にお目にかかるためでした。」公は怒って言った。「君主に会う者は太陽を夢に見ると聞いている。なぜ私に会うのにかまどを夢に見るのか。」侏儒は言った。「太陽はあまねく天下を照らし、一つの物もそれを遮れません。君主はあまねく一国を照らし、一人もそれを塞げません。だから君主にお目にかかる時は太陽を夢に見るのです。

解説

鄭の昭公と高渠彌の話への二つ目の反論で、今度は報復の行き過ぎの害を説きます。小さな罪に大きな誅罰で報いれば恨む者が増え、晋の厲公、鄭の子都、呉王夫差のように禍を招くと言います。問題は怒りを懸けることではなく、罪に見合わない怒りや誅罰にあるというのです。前の反論と合わせ、処置の遅れも行き過ぎも危ういと示す難篇らしい構成です。後半は難四篇の第四話で、衛の霊公に寵臣彌子瑕の専横を諷した侏儒の「かまどの夢」の話です。太陽は誰にも遮られないが、かまどは一人が前に立てば他の者には火が見えない。君主が側近一人に塞がれている様を巧みに言い当てたたとえで、次の句に続きます。

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