韓非子 / 難二第三十七
簡子投枹曰:「烏乎!吾之士數弊也。」行人燭過免胄而對曰:「臣聞之:亦有君之不能耳,士無弊者。
新字:簡子投枹曰:「烏乎!吾之士数弊也。」行人燭過免胄而対曰:「臣聞之:亦有君之不能耳,士無弊者。
書き下し
簡子抱を投げて曰く、「烏乎、吾の士數弊す。」燭過冑を免ぎて對えて曰く、「亦た君の能わざる有るのみ。士弊れたる者無し。」
現代語訳
簡子が(戦意が上がらず)「ああ、我が兵士たちは疲弊してしまった」と嘆いた。燭過は兜を脱いで反論した。「ただ、君主(である、あなた)の能力が足りないだけです。兵士に問題はありません。」
解説
戦況が思わしくないことに苛立った簡子が、太鼓のばちを投げ捨てて『ああ、わが兵たちは疲れきってしまった』と嘆いたとき、燭過は兜を脱いで進み出て、こう言い返しました。『兵に問題があるのではありません、ただ主君であるあなたの力が足りないだけです』。同じ顔ぶれの人々でも、率いる人次第で結果はまるで違ってくる、という指摘です。うまくいかないことを、部下や子どもや周りの人のやる気のなさのせいにしてしまうのは簡単ですが、実は上に立つ人自身の姿勢や働きかけ方に原因があることが少なくありません。仲間の成績が振るわないとき、教室がざわつくとき、まず自分の関わり方を振り返る勇気を持つことの大切さを、この一節は教えてくれます。
この章句が説くこと
リーダーシップ士気率先垂範責任部下の育成
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