韓非子 / 外儲說左下第三十三
五。盂獻伯相晉,堂下生藿藜,門外長荆棘,食不二味,坐不重席,晉無衣帛之妾,居不粟馬,出不從車。叔向聞之,以告苗賁皇。賁皇非之曰:「是出主之爵禄以附下也。」一曰:盂獻伯拜上卿,叔向往賀,門有御,馬不食禾。向曰:「子無二馬二輿,何也?」獻伯曰:「吾觀國人尚有饑色,是以不秣馬;班白者多以徒行,故不二輿。」向曰:「吾始賀子之拜卿,今賀子之儉也。」向出,語苗賁皇曰:「助吾賀獻伯之儉也。」苗子曰:「何賀焉?
新字:五。盂献伯相晋,堂下生藿藜,門外長荆棘,食不二味,坐不重席,晋無衣帛之妾,居不粟馬,出不従車。叔向聞之,以告苗賁皇。賁皇非之曰:「是出主之爵禄以附下也。」一曰:盂献伯拝上卿,叔向往賀,門有御,馬不食禾。向曰:「子無二馬二輿,何也?」献伯曰:「吾観国人尚有饑色,是以不秣馬;班白者多以徒行,故不二輿。」向曰:「吾始賀子之拝卿,今賀子之倹也。」向出,語苗賁皇曰:「助吾賀献伯之倹也。」苗子曰:「何賀焉?
書き下し
五。盂献伯晋に相たり、堂下に藿藜生じ、門外に荊棘長じ、食は味を二にせず、坐は席を重ねず、晋に帛を衣るの妾無く、居りては馬に粟せず、出でては車を従へず。叔向之を聞き、以て苗賁皇に告ぐ。賁皇之を非りて曰く、「是れ主の爵禄を出して以て下に附くなり。」一に曰く、盂献伯上卿に拝せらる、叔向往きて賀す、門に御有り、馬禾を食まず。向曰く、「子に二馬二輿無きは、何ぞや。」献伯曰く、「吾国人を観るに尚ほ饑色有り、是を以て馬に秣せず。班白の者多く徒行を以てす、故に輿を二にせず。」向曰く、「吾始め子の卿に拝せらるるを賀せんとす、今子の倹を賀す。」向出でて、苗賁皇に語りて曰く、「吾を助けて献伯の倹を賀せよ。」苗子曰く、「何ぞ賀せん。
現代語訳
五。孟献伯(盂献伯)が晋の宰相になると、堂の下には雑草が生え、門の外にはいばらが伸び、食事はおかずを二品とらず、座るときは敷物を重ねず、家には絹を着る女もおらず、家にいるときは馬に穀物を与えず、外出するときも供の車を従えなかった。叔向はこれを聞いて苗賁皇に告げた。苗賁皇はこれを非難して言った。「これは主君が与えた爵位と俸禄を、自分の人気取りのために下の者へばらまいているのだ。」別の伝えでは、こうである。孟献伯が上卿に任じられたので、叔向が祝いに行った。門には御者がいたが、馬は穀物を食べていなかった。叔向が「あなたが二頭の馬も二台の車も持たないのはなぜか」と言うと、孟献伯は言った。「国の人々を見ると、まだ飢えた顔色の者がいます。だから馬に穀物を与えないのです。白髪まじりの年寄りの多くが歩いているので、車を二台持たないのです。」叔向は言った。「私は初めはあなたが卿に任じられたことを祝おうと思ったが、今はあなたの倹約を祝おう。」叔向は外に出て、苗賁皇に言った。「私と一緒に献伯の倹約を祝ってくれ。」苗賁皇は言った。「何を祝うことがあろう。
解説
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『韓非子』外儲說左下第三十三又何ぞ賀せん。」管仲斉に相たり、曰く、「臣貴し、然れども臣貧し。」桓公曰く、「子をして三帰の家を有たしめん。」曰く、「臣富めり、然れども臣卑し。」桓公高・国の上に立たしむ。曰く、「臣尊し、然れども臣疏し。」乃ち立てて仲父と為す。孔子聞きて之を非りて曰く、「泰侈上に偪る。」一に曰く、管仲父出づるに、朱蓋青衣、鼓を置きて帰り、庭に陳鼎有り、家に三帰有り。孔子曰く、「良大夫なり、其の侈上に偪る。」孫叔敖楚に相たり、棧車牝馬、糲餅菜羹、枯魚の膳、冬は羔裘、夏は葛衣、面に飢色有り、則ち良大夫なり。其の倹下に偪る。陽虎斉を去りて趙に走る、簡主問ひて曰く、「吾聞く子善く人を樹つと。」虎曰く、「臣魯に居り、三人を樹つ、皆令尹と為る。虎の罪を魯に抵すに及び、皆虎を捜索するなり。臣斉に居り、三人を薦む、一人は王に近づくを得、一人は県令と為り、一人は候吏と為る。臣の罪を得るに及び、王に近き者は臣に見えず、県令なる者は臣を迎へて執縛し、候吏なる者は臣を追ひて境上に至り、及ばずして止む。
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『韓非子』外儲說左上第三十二曰く、「寧ろ度を信ずとも、自ら信ずること無きなり。」四。王登中牟の令と為り、上りて襄主に言ひて曰く、「中牟に士の中章・胥己と曰ふ者有り、其の身甚だ修まり、其の学甚だ博し、君何ぞ之を挙げざる。」主曰く、「子之に見えよ、我将に中大夫と為さんとす。」相室諫めて曰く、「中大夫は、晋の重列なり、今功無くして受くるは、晋臣の意に非ず。君其れ之を耳にして未だ之を目にせざるか。」襄主曰く、「我登を取る、既に之を耳にして之を目にせり。登の取る所、又之を耳にして之を目にせば、是れ人を耳目すること絶えて已む無し。」王登一日にして二中大夫を見えしめ、之に田宅を予ふ。中牟の人其の田耘を棄て、宅圃を売りて文学に随ふ者、邑の半ばなり。叔向坐に御す、平公事を請ふ、公腓痛み足痺れ転筋して敢て坐を壊らず。晋国之を聞き、皆曰く、「叔向は賢者なり、平公之を礼し、転筋して敢て坐を壊らず。」晋国の仕を辞し託して叔向を慕ふ者、国の錘なり。鄭県の人に屈公なる者有り、敵を聞きて、恐れ、因りて死す。恐れ已みて、因りて生く。趙の主父李疵をして中山の攻むべきや不やを視しむ。還りて報じて曰く、「中山伐つべきなり。君亟やかに伐たずんば、将に斉・燕に後れんとす。」主父曰く、「何の故に攻むべき。」李疵対へて曰く、「其の君巌穴の士を見ることを好み、蓋を傾け車を与にして以て窮閭隘巷の士に見ゆる所の者十を以て数へ、礼を伉して布衣の士に下る者百を以て数ふ。」君曰く、「子の言を以て論ずれば、是れ賢君なり、安んぞ攻むべけんや。」疵曰く、「然らず。
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『韓非子』外儲說左上第三十二之を伐つこと亦可ならずや。」主父曰く、「善し。」兵を挙げて中山を伐ち、遂に滅ぼすなり。五。斉の桓公紫を服することを好み、一国尽く紫を服す。是の時に当りてや、五素も一紫を得ず。桓公之を患ひ、管仲に謂ひて曰く、「寡人紫を服することを好み、紫の貴きこと甚し、一国の百姓紫を服することを好みて已まず、寡人奈何せん。」管仲曰く、「君之を止めんと欲せば、何ぞ試みに紫を衣ること勿からざる。左右に謂ひて曰へ、吾甚だ紫の臭を悪む、と。是に於て左右適ま紫を衣て進む者有らば、公必ず曰へ、少しく却け、吾紫の臭を悪む、と。」公曰く、「諾。」是に於て日、郎中紫を衣るもの莫し。其の明日、国中紫を衣るもの莫し。三日にして、境内紫を衣るもの莫きなり。一に曰く、斉王紫を衣ることを好み、斉人皆好むなり。斉国五素も一紫を得ず、斉王紫の貴きを患ふ。傅王に説きて曰く、「詩に云ふ、躬らせず親らせざれば、庶民信ぜず、と。今王民の紫を衣る者無からしめんと欲せば、王請ふ自ら紫衣を解きて朝せよ。群臣に紫衣して進む者有らば、曰へ、益ます遠ざかれ、寡人臭を悪む、と。」是の日や、郎中紫を衣るもの莫し。是の月や、国中紫を衣るもの莫し。是の歳や、境内紫を衣るもの莫し。鄭の簡公子産に謂ひて曰く、「国小にして、荊・晋の間に迫る。今城郭完からず、兵甲備はらず、以て不虞を待つべからず。」子産曰く、「臣其の外を閉づること已に遠し、而して其の内を守ること已に固し、国小なりと雖も、猶ほ之を危しとせざるなり。君其れ憂ふること勿かれ。」是を以て簡公の身を没するまで患ひ無し。一に曰く、子産鄭に相たり、簡公子産に謂ひて曰く、「酒を飲むも楽しまざるなり。俎豆大ならず、鐘鼓竽瑟鳴らず、寡人の事一ならず、国家定まらず、百姓治まらず、耕戦輯睦せざるは、亦子の罪なり。子に職有り、寡人も亦職有り、各其の職を守らん。」子産退きて政を為すこと五年、国に盗賊無く、道に遺ちたるを拾はず、桃棗の街に蔭する者援くもの有る莫く、錐刀道に遺つるも三日にして反るべし。
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