韓非子 / 難一第三十六
楚人有鬻楯與矛者,譽之曰:『吾楯之堅,物莫能陷也。』又譽其矛曰:『吾矛之利,於物無不陷也。』或曰:『以子之矛陷子之楯,何如?』其人弗能應也。夫不可陷之楯與無不陷之矛,不可同世而立。今堯、舜之不可兩譽,矛楯之說也。且舜救敗,朞年已一過,三年已三過。舜有盡,壽有盡,天下過無已者;以有盡逐無已,所止者寡矣。賞罰使天下必行之,令曰:『中程者賞,弗中程者誅。』令朝至暮變,暮至朝變,十日而海内畢矣,奚待朞年?舜猶不以此說堯令從己,乃躬親,不亦無術乎?
新字:楚人有鬻楯与矛者,誉之曰:『吾楯之堅,物莫能陥也。』又誉其矛曰:『吾矛之利,於物無不陥也。』或曰:『以子之矛陥子之楯,何如?』其人弗能応也。夫不可陥之楯与無不陥之矛,不可同世而立。今堯、舜之不可両誉,矛楯之説也。且舜救敗,朞年已一過,三年已三過。舜有尽,寿有尽,天下過無已者;以有尽逐無已,所止者寡矣。賞罰使天下必行之,令曰:『中程者賞,弗中程者誅。』令朝至暮変,暮至朝変,十日而海内畢矣,奚待朞年?舜猶不以此説堯令従己,乃躬親,不亦無術乎?
書き下し
楚人に楯と矛とを鬻ぐ者有り、之を誉めて曰く、『吾が楯の堅きこと、物能く陥す莫きなり』と。又其の矛を誉めて曰く、『吾が矛の利きこと、物に於て陥さざる無きなり』と。或ひと曰く、『子の矛を以て子の楯を陥さば、何如』と。其の人応ふる能はざるなり。夫れ陥す可からざるの楯と陥さざる無きの矛とは、世を同じくして立つ可からず。今堯・舜の両つながら誉む可からざるは、矛楯の説なり。且つ舜の敗を救ふこと、朞年にして一過を已め、三年にして三過を已む。舜は尽くること有り、寿は尽くること有り、天下の過は已む無き者なり。尽くること有るを以て已む無きを逐へば、止むる所の者寡し。賞罰は天下をして必ず之を行はしむ、令して曰く、『程に中る者は賞し、程に中らざる者は誅す』と。令朝に至れば暮に変じ、暮に至れば朝に変ず、十日にして海内畢る、奚ぞ朞年を待たん。舜猶ほ此を以て堯に説きて己に従はしめず、乃ち躬親す、亦術無からずや。
現代語訳
(ある人の言葉の続き)「楚の人に盾と矛を売る者がいた。盾を誉めて『私の盾の堅さは、どんなものも突き通せない』と言い、また矛を誉めて『私の矛の鋭さは、どんなものでも突き通せる』と言った。ある人が『あなたの矛であなたの盾を突いたらどうなるのか』と言うと、その人は答えられなかった。そもそも突き通せない盾と、何でも突き通す矛とは、同じ世に並び立つことはできない。いま堯と舜を両方とも誉めることができないのは、この矛盾の話と同じである。しかも舜が乱れを救ったのは、一年で一つの過ちを正し、三年で三つの過ちを正したにすぎない。舜の身には限りがあり、寿命にも限りがあるが、天下の過ちは尽きることがない。限りあるもので尽きないものを追いかけても、正せるものはわずかである。賞罰は天下に必ず行わせるものであり、『基準に合う者は賞し、合わない者は罰する』と命令すれば、命令が朝に届けば夕方には改まり、夕方に届けば翌朝には改まって、十日で天下中に行き渡る。どうして一年も待つ必要があろうか。舜はそれでもこの方法を堯に説いて自分に従わせようとせず、自ら現場に出て働いた。なんと術のないことではないか。
解説
関連する章句
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『韓非子』難一第三十六舜の敗を救うは、則ち是れ堯に失有ればなり。舜を賢とせば、則ち堯の明察を去る。堯を聖とせば、則ち舜の徳化を去る。両つながら得可からざるなり。
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『韓非子』難一第三十六故に曰く、雍季の対は、文公の問ひに当たらず、と。且つ文公又舅犯の言を知らず。舅犯の所謂「詐偽を厭はず」とは、其の民を詐るを謂ふにあらず、其の敵を詐るを謂ふなり。敵なる者は、伐つ所の国なり、後復び無しと雖も、何ぞ傷まんや。文公の雍季を先にする所以の者は、其の功を以てか、則ち楚に勝ち軍を破る所以の者は、舅犯の謀なり。其の善言を以てか、則ち雍季は乃ち其の「後の復び無き」を道ふなり、此れ未だ善言有らざるなり。舅犯は則ち以て之を兼ねたり。舅犯の「繁礼の君子は、忠信を厭はず」と曰ふは、忠は其の下を愛する所以なり、信は其の民を欺かざる所以なり。夫れ既に愛を以てして欺かず、言孰か此より善からん。然れども必ず「詐偽に出づ」と曰ふ者は、軍旅の計なり。舅犯は前に善言有り、後に戦勝有り、故に舅犯は二功有りて後に論ぜられ、雍季は一も無くして先に賞せらる。「文公の霸たるや、亦宜ならずや」と。仲尼は善く賞することを知らざるなり。歴山の農者畔を侵す、舜往きて耕す、朞年にして、甽畝正し。河濵の漁者坻を争ふ、舜往きて漁す、朞年にして長に譲る。東夷の陶者器苦窳なり、舜往きて陶す、朞年にして器牢し。仲尼歎じて曰く、「耕・漁と陶とは、舜の官に非ざるなり、而るに舜往きて之を為す者は、敗を救ふ所以なり。舜其れ信に仁なるかな。乃ち躬ら藉して苦に処りて民之に従ふ。故に曰く、聖人の徳化なるかな」と。或ひと儒者に問ひて曰く、「此の時に方たりてや、堯安くにか在る」と。其の人曰く、「堯天子たり」と。「然らば則ち仲尼の堯を聖とするは奈何。聖人明察にして上位に在らば、将に天下をして姦無からしめんとす。今耕漁争はず、陶器窳ならずんば、舜又何の徳ありて化せん。
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『韓非子』難勢第四十今国位を以て車と為し、勢を以て馬と為し、号令を以て轡と為し、刑罰を以て鞭筴と為し、堯・舜をして之を御せしむれば則ち天下治まり、桀・紂之を御すれば則ち天下乱る、則ち賢不肖相去ること遠し。夫れ速きを追ひ遠きを致さんと欲して、王良に任ずるを知らず、利を進め害を除かんと欲して、賢能に任ずるを知らざるは、此れ則ち類を知らざるの患なり。夫れ堯・舜も亦民を治むるの王良なり。復た之に応へて曰く、其の人は勢を以て恃みて以て官を治むるに足ると為す。客曰く「必ず賢を待ちて乃ち治まる」と、則ち然らず。夫れ勢とは、名一にして変無数なる者なり。勢必ず自然に於てせば、則ち勢に言ふを為す無し。吾が勢を言ふ所の者は、人の設くる所を言ふなり。夫れ堯・舜生まれて上位に在れば、十桀紂有りと雖も乱す能はざる者は、則ち勢治まればなり。桀・紂も亦生まれて上位に在れば、十堯舜有りと雖も亦治むる能はざる者は、則ち勢乱るればなり。故に曰く、「勢治まる者は則ち乱すべからず、而して勢乱るる者は則ち治むべからざるなり」と。此れ自然の勢なり、人の設くるを得る所に非ざるなり。吾が言ふ所の若きは、人の設くるを得る所を謂ふのみ、賢何ぞ事とせん。何を以て其の然るを明らかにせん。客曰く、「人に矛と楯とを鬻ぐ者有り、其の楯の堅きを誉めて、『物能く陥す莫きなり』と。俄かにして又其の矛を誉めて曰く、『吾が矛の利なる、物陥さざる無きなり』と。人之に応へて曰く、『子の矛を以て、子の楯を陥さば、何如』と。其の人応ふる能はざるなり。」以為へらく、陥すべからざるの楯と、陥さざる無きの矛とは、名として両立すべからざるなり。夫れ賢の道為る禁ずべからず、而して勢の道為るや禁ぜざる無し。禁ずべからざるの賢と禁ぜざる無きの勢とを以てするは、此れ矛楯の説なり。夫れ賢勢の相客れざるも亦明らかなり。且つ夫れ堯・舜・桀・紂は千世にして一たび出づ、是れ肩を比べ踵を随へて生まるるなり。世の治むる者は中に絶えず、
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『韓非子』外儲説右上第三十四故に左右社鼠と為り、事を用ふる者猛狗と為れば、則ち術行はれず。堯天下を舜に伝へんと欲す。鯀諫めて曰く、「不祥なるかな。孰か天下を以て之を匹夫に伝へんや」と。堯聴かず、兵を挙げて鯀を羽山の郊に誅殺す。共工又諫めて曰く、「孰か天下を以て之を匹夫に伝へんや」と。堯聴かず、又兵を挙げて共工を幽州の都に誅す。是に於て天下敢て天下を舜に伝ふる無かれと言ふ莫し。仲尼之を聞きて曰く、「堯の舜の賢を知るは、其の難き者に非ざるなり。夫れ諫むる者を誅するに至りても必ず之を舜に伝ふる、乃ち其の難きなり」と。一に曰く、「其の疑ふ所を以て其の察する所を敗らざるは則ち難きなり」と。荊の荘王に茅門の法有りて曰く、「羣臣大夫諸公子入朝するに、馬蹄霤を践む者は、廷理其の輈を斬り、其の御を戮す」と。是に於て太子入朝し、馬蹄霤を践む、廷理其の輈を斬り、其の御を戮す。太子怒り、入りて王の為に泣きて曰く、「我が為に廷理を誅戮せよ」と。王曰く、「法なる者は、宗廟を敬し、社稷を尊ぶ所以なり。故に能く法を立て令に従ひ社稷を尊敬する者は、社稷の臣なり、焉んぞ誅す可けんや。夫れ法を犯し令を廃して社稷を尊敬せざる者は、是れ臣君に乗りて下校を尚ぶなり。臣君に乗れば、則ち主威を失ひ、下校を尚べば、則ち上位危ふし。威失はれ位危ふければ、社稷守られず、吾将に何を以て子孫に遺さんとする」と。是に於て太子乃ち還り走り、舎を避けて露宿すること三日、北面再拝して死罪を請ふ。一に曰く、楚王急に太子を召す。楚国の法に、車茆門に至るを得ず。天雨ふり、廷中に潦有り、太子遂に車を駆りて茆門に至る。廷理曰く、「車茆門に至るを得ず。茆門に至るは、法に非ざるなり」と。太子曰く、「王の召すこと急なり、潦無きを須つを得ず」と。遂に之を駆る。廷理殳を挙げて其の馬を撃ち、其の駕を敗る。
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『長短経』是非韓子曰く「法術を釈てて心を以て理むれば、堯舜も一国を正す能わず。規矩を去りて善度を忘るれば、奚仲も一輪を成す能わず。中主をして法術を守らしめ、拙匠をして規矩を執らしむれば、万に一も失わず」と。〔非に曰く〕淮南子に曰く「夫れ矢の遠きを射て堅きを貫く所以の者は、弓弩の力なり。其の的に中りて微を剖く所以の者は、人の心なり。善に賞し暴を罰する者は、政令なり。其の行わるる所以の者は、精誠なり。故に弩は強しと雖も、独り中つる能わず。令は明らかなりと雖も、独り行わる能わず」と。杜恕曰く「世に乱人有りて、乱法無し。若し法をして専ら任ず可からしめば、則ち唐・虞は稷・契の佐を須いず、殷・周は伊・呂の輔を貴ぶこと無からん」と。
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『韓非子』忠孝第五十一古者黔首は悗密惷愚なり、故に虚名を以て取るべきなり。今民は儇詗智慧にして、自ら用ひんと欲し、上に聽かず。上必ず且に之を勸むるに賞を以てし、然る後に進むべし。又且に之を畏れしむるに罰を以てし、然る後に敢へて退かず。而して世皆曰く、「許由天下を讓る、賞以て勸むるに足らず。盜跖刑を犯し難に赴く、罰以て禁ずるに足らず」と。臣曰く、未だ天下を有たずして天下を以て爲す無き者は、許由是れなり。已に天下を有ちて天下を以て爲す無き者は、堯・舜是れなり。廉を毁ちて財を求め、刑を犯して利に趨り、身の死を忘るる者は、盜跖是れなり。此の二者は、殆物なり。國を治め民を用ふるの道や、此の二者を以て量と爲さず。治なる者は、常を治むる者なり。道なる者は、常を道とする者なり。殆物妙言は、治の害なり。天下太上の士は、賞を以て勸むべからざるなり。天下太下の士は、刑を以て禁ずべからざるなり。然れども太上の士の爲に賞を設けず、太下の士の爲に刑を設けざれば、則ち國を治め民を用ふるの道失はる。故に世人多く國法を言はずして從横を言ふ。諸侯の從を言ふ者は曰く「從成れば必ず霸たり」と、而して横を言ふ者は曰く「横成れば必ず王たり」と。山東の從横を言ふこと未だ嘗て一日も止まざるなり、然り而して功名成らず、霸主立たざる者は、虚言は治を成す所以に非ざればなり。