韓非子 / 難一第三十六
舜之救敗也,則是堯有失也。賢舜,則去堯之明察;聖堯,則去舜之德化,不可兩得也。
新字:舜之救敗也,則是堯有失也。賢舜,則去堯之明察;聖堯,則去舜之徳化,不可両得也。
書き下し
舜の敗を救うは、則ち是れ堯に失有ればなり。舜を賢とせば、則ち堯の明察を去る。堯を聖とせば、則ち舜の徳化を去る。両つながら得可からざるなり。
現代語訳
舜が失政を正して回ったということは、堯に落ち度があったということである。舜を賢だとすれば、堯が明察であったことは消える。堯を聖だとすれば、舜が徳で教化したことは消える。両方を同時に称えることはできない。
解説
堯も舜も聖人だとする通説を、論理で崩している。舜が正して回ったのなら、正されるべき不備が堯の代にあったことになる。両方を褒めるのは矛盾だ、と。同じ篇に出てくる矛盾の寓話と同じ論法である。称賛の重ね塗りが実は整合していない、という指摘だ。この読み方は組織の評価でも使える。前任者も立派、後任者も立派、という言い方は角が立たないが、後任が何を改善したのかを言えば、前任に不備があったことになる。両立させようとすると、改善そのものを語れなくなる。改革を称えるなら、改革前の状態を評価から引かなければ筋が通らない。誰も傷つけない評価は、たいてい何も言っていない。
この章句が説くこと
矛盾称賛論理評価整合
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