韓非子 / 外儲説右下第三十五
枉於法,則免於相。雖嗜魚,此不必致我魚,我又不能自給魚。即無受魚而不免於相,雖嗜魚,我能長自給魚。」此明夫恃人不如自恃也,明於人之爲己者不如己之自爲也。三。子之相燕,貴而主断。蘇代爲齊使燕,王問之曰:「齊王亦何如主也?」對曰:「必不霸矣。」燕王曰:「何也?」對曰:「昔桓公之霸也,内事屬鮑叔,外事屬管仲,桓公被髪而御婦人,日遊於市。今齊王不信其大臣。」於是燕王因益大信子之。子之聞之,使人遺蘇代金百鎰,而聽其所使。一曰:蘇代爲齊使燕,見無益子之,則必不得事而還,貢賜又不出,於是見燕王,乃譽齊王。燕王曰:「齊王何若是之賢也?則將必王乎?」蘇代曰:「救亡不暇,安得王哉?」燕王曰:「何也?」曰:「其任所愛不均。」燕王曰:「其亡何也?」曰:「昔者齊桓公愛管仲,置以爲仲父,内事理焉,外事断焉,舉國而歸之,故一匡天下,九合諸侯。今齊任所愛不均,是以知其亡也。」燕王曰:「今吾任子之,天下未之聞也?」於是明日張朝而聽子之。潘壽謂燕王曰:「王不如以國讓子之。人所以謂堯賢者,以其讓天下於許由,許由必不受也,則是堯有讓許由之名而實不失天下也。今王以國讓子之,子之必不受也,則是王有讓子之之名而與堯同行也。」
新字:枉於法,則免於相。雖嗜魚,此不必致我魚,我又不能自給魚。即無受魚而不免於相,雖嗜魚,我能長自給魚。」此明夫恃人不如自恃也,明於人之為己者不如己之自為也。三。子之相燕,貴而主断。蘇代為斉使燕,王問之曰:「斉王亦何如主也?」対曰:「必不覇矣。」燕王曰:「何也?」対曰:「昔桓公之覇也,内事属鮑叔,外事属管仲,桓公被髪而御婦人,日遊於市。今斉王不信其大臣。」於是燕王因益大信子之。子之聞之,使人遺蘇代金百鎰,而聴其所使。一曰:蘇代為斉使燕,見無益子之,則必不得事而還,貢賜又不出,於是見燕王,乃誉斉王。燕王曰:「斉王何若是之賢也?則将必王乎?」蘇代曰:「救亡不暇,安得王哉?」燕王曰:「何也?」曰:「其任所愛不均。」燕王曰:「其亡何也?」曰:「昔者斉桓公愛管仲,置以為仲父,内事理焉,外事断焉,舉国而帰之,故一匡天下,九合諸侯。今斉任所愛不均,是以知其亡也。」燕王曰:「今吾任子之,天下未之聞也?」於是明日張朝而聴子之。潘寿謂燕王曰:「王不如以国譲子之。人所以謂堯賢者,以其譲天下於許由,許由必不受也,則是堯有譲許由之名而実不失天下也。今王以国譲子之,子之必不受也,則是王有譲子之之名而与堯同行也。」
書き下し
法を枉ぐれば、則ち相を免ぜらる。魚を嗜むと雖も、此れ必ずしも我に魚を致さず、我又自ら魚を給する能はず。即し魚を受くる無くして相を免ぜられざれば、魚を嗜むと雖も、我能く長く自ら魚を給せん」と。此れ夫の人を恃むは自ら恃むに如かざるを明らかにし、人の己の為にするは己の自ら為すに如かざるを明らかにするなり。三。子之燕に相たり、貴くして主断す。蘇代斉の為に燕に使ひす、王之に問ひて曰く、「斉王も亦何如なる主ぞや」と。対へて曰く、「必ず霸たらず」と。燕王曰く、「何ぞや」と。対へて曰く、「昔桓公の霸たるや、内事は鮑叔に属し、外事は管仲に属し、桓公髪を被りて婦人を御し、日に市に遊ぶ。今斉王其の大臣を信ぜず」と。是に於て燕王因りて益々大いに子之を信ず。子之之を聞き、人をして蘇代に金百鎰を遺らしめて、其の使ふ所を聴く。一に曰く、蘇代斉の為に燕に使ひす、子之を益する無ければ、則ち必ず事を得ずして還り、貢賜又出でざるを見、是に於て燕王に見えて、乃ち斉王を誉む。燕王曰く、「斉王何ぞ是の若く之れ賢なるや。則ち将に必ず王たらんとするか」と。蘇代曰く、「亡を救ふに暇あらず、安んぞ王たるを得んや」と。燕王曰く、「何ぞや」と。曰く、「其の愛する所に任ずること均しからず」と。燕王曰く、「其の亡ぶるは何ぞや」と。曰く、「昔者斉の桓公管仲を愛し、置きて以て仲父と為し、内事理まり、外事断ず、国を挙げて之に帰す、故に天下を一匡し、諸侯を九合す。今斉の愛する所に任ずること均しからず、是を以て其の亡ぶるを知るなり」と。燕王曰く、「今吾子之に任ず、天下未だ之を聞かざるか」と。是に於て明日朝を張りて子之に聴く。潘寿燕王に謂ひて曰く、「王国を以て子之に譲るに如かず。人の堯を賢と謂ふ所以の者は、其の天下を許由に譲り、許由必ず受けざるを以てなり、則ち是れ堯許由に譲るの名有りて実は天下を失はざるなり。今王国を以て子之に譲らば、子之必ず受けざるなり、則ち是れ王子之に譲るの名有りて堯と行を同じくするなり」と。
現代語訳
(公儀休の言葉の続き)「法を曲げれば宰相を罷免される。そうなれば、どれほど魚が好きでも、人は必ずしも私に魚を届けてくれないし、私も自分で魚を買うことができなくなる。もし魚を受け取らずに宰相を罷免されなければ、どれほど魚が好きでも、私はいつまでも自分で魚を買うことができる」。これは、人を頼みにするのは自分を頼みにするのに及ばないこと、人が自分のためにしてくれるのは自分で自分のためにするのに及ばないことを明らかにしたものである。その三。子之は燕の宰相となり、身分が高くなって政治の決定を一手に握った。蘇代が斉の使者として燕に来たとき、燕王(王噲)が尋ねた。「斉王はどのような君主か」。蘇代は「決して覇者にはなれません」と答えた。燕王が「なぜか」と言うと、蘇代は答えた。「昔、斉の桓公が覇者となったときは、内政は鮑叔に任せ、外交は管仲に任せ、桓公自身は髪を結わずに婦人たちの相手をし、毎日市場で遊んでいました。いまの斉王は大臣を信任していません」。これを聞いて燕王はいっそう子之を信任した。子之はこれを聞くと、人をやって蘇代に金百鎰を贈り、その言うとおりにした。別の伝えではこうである。蘇代が斉の使者として燕に来たが、子之を後押ししなければ、必ず用件を果たせずに帰ることになり、贈り物ももらえないと見て取った。そこで燕王に謁見して、斉王を誉めた。燕王が「斉王はなぜそれほど賢いのか。それならきっと天下の王となるだろうか」と言うと、蘇代は「滅亡を防ぐのに手いっぱいで、どうして王になれましょう」と言った。燕王が「なぜか」と言うと、「寵愛する者への任せ方が偏っているからです」と言った。燕王が「それで滅びるとはどういうことか」と言うと、蘇代は言った。「昔、斉の桓公は管仲を愛し、仲父と呼んで重んじ、内政は治まり、外交は彼が決め、国を挙げて管仲に委ねました。だから天下を正し、諸侯を何度も会盟させたのです。いま斉では寵愛する者への任せ方が偏っているので、滅びることが分かるのです」。燕王は「いま私は子之に任せているが、天下はまだそれを知らないのだろうか」と言った。そこで翌日、朝廷を開いて子之に政治を聞かせた。潘寿が燕王に言った。「王は国を子之に譲るのがよいでしょう。人が堯を賢いというのは、天下を許由に譲ろうとし、許由が必ず受けないと分かっていたからです。つまり堯は許由に譲ったという名声を得ながら、実際には天下を失わなかったのです。いま王が国を子之に譲れば、子之は必ず受けないでしょう。そうすれば王は子之に譲ったという名声を得て、堯と同じ行いをすることになります」。
解説
関連する章句
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戦国策・燕王噲既立燕王噲既に立ち、蘇秦齊に死す。蘇秦の燕に在るや、其の相子之と婚を為し、蘇代子之と交わる。蘇秦死するに及び、齊の宣王復た蘇代を用う。燕噲三年、楚・三晉と秦を攻め、勝たずして還る。子之燕に相たり、貴重にして主斷す。蘇代齊の爲に燕に使いし、燕王之に問いて曰く、「齊の宣王は何如ぞ」と。對えて曰く、「必ず霸たらず」と。燕王曰く、「何ぞや」と。對えて曰く、「其の臣を信ぜず」と。蘇代激するを以て燕王をして厚く子之に任ぜしめんと欲するなり。是に於て燕王大いに子之を信ず。子之因りて蘇代に百金を遺り、其の使う所を聽く。鹿毛壽燕王に謂いて曰く、「國を以て子之に讓るに如くは莫し。人堯を賢なりと謂うは、其の天下を許由に讓るを以てなり、由必ず受けず、天下を讓るの名有りて、實は天下を失わず。今王國を以て相子之に讓らば、子之必ず敢えて受けず、是れ王堯と行を同じくするなり」と。燕王因りて國を舉げて子之に屬す、子之大いに重し。或ひと曰く、「禹益に授けて啟を以て吏と為し、老いるに及び、啟を以て天下を任ずるに足らずと為し、之を益に傳う。啟支黨と益を攻めて之が天下を奪う、是れ禹名は天下を益に傳うれども、其の實は啟をして自ら之を取らしむ。今王國を子之に屬すと言うも、吏太子の人に非ざる無し、是れ名は子之に屬すれども、太子事を用うるなり」と。王因りて印を收め三百石の吏より自り之を子之に效す。子之南面して王事を行い、噲老いて政を聽かず、顧って臣と爲り、國事皆子之に決す。子之三年、燕國大いに亂れ、百姓恫怨す。將軍市被、太子平謀り、將に子之を攻めんとす。儲子齊の宣王に謂う、「因りて之を仆せば、燕を破ること必ず矣」と。王因りて人をして太子平に謂わしめて曰く、「寡人聞く太子の義、將に私を廢して公を立て、君臣の義を飭め、父子の位を正さんとすと。寡人の國小さく、先後するに足らず。然りと雖も、則ち唯だ太子の之を令する所ならん」と。太子因りて黨を數えて眾を聚め、將軍市被公宮を圍み、子之を攻むるも、克たず。將軍市被及び百姓乃ち反りて太子平を攻む。將軍市被死して已に殉ず、國難を構うること數月、死する者數萬の眾、燕人恫怨し、百姓意を離る。孟軻齊の宣王に謂いて曰く、「今燕を伐たば、此れ文・武の時なり、失うべからず」と。王因りて章子をして五都の兵を將いしめ、北地の眾に因るを以て燕を伐たしむ。士卒戰わず、城門閉ざさず、燕王噲死す。齊大いに燕に勝ち、子之亡ぶ。二年、燕人公子平を立つ、是を燕の昭王と為す。
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『韓非子』外儲説右下第三十五是に於て燕王因りて国を挙げて之に属す、子之大いに重し。一に曰く、潘寿は、隠者なり。燕人をして之を聘せしむ。潘寿燕王に見えて曰く、「臣子之の益の如くならんことを恐るるなり」と。王曰く、「何の益ぞや」と。対へて曰く、「古者禹死し、将に天下を益に伝へんとす、啓の人因りて相与に益を攻めて啓を立つ。今王子之を信愛し、将に国を子之に伝へんとす、太子の人尽く印を懐き、子之の人為る者一人の朝廷に在る者無し。王不幸にして羣臣を弃てなば、則ち子之も亦益ならん」と。王因りて吏の璽を収め、三百石より以上皆之を子之に効す、子之大いに重し。夫れ人主の鏡照とする所以の者は、諸侯の士徒なり、今諸侯の士徒は皆私門の党なり。人主の自ら浅娋する所以の者は、巌穴の士徒なり、今巌穴の士徒は皆私門の舎人なり。是れ何ぞや。奪褫の資子之に在ればなり。故に呉章曰く、「人主は佯りて人を憎愛せず。佯りて人を愛すれば、復た憎むを得ざるなり。佯りて人を憎めば、復た愛するを得ざるなり」と。一に曰く、燕王国を子之に伝へんと欲するや、之を潘寿に問ふ、対へて曰く、「禹益を愛して天下を益に任じ、已にして啓の人を以て吏と為す。老ゆるに及びて、啓を以て天下に任ずるに足らずと為す、故に天下を益に伝ふ、而して勢重尽く啓に在るなり。已にして啓友党と益を攻めて之が天下を奪ふ、是れ禹名は天下を益に伝へて、実は啓をして自ら之を取らしむるなり。此れ禹の堯・舜に及ばざること明らかなり。今王之を子之に伝へんと欲す、而して吏太子の人に非ざる者無きなり、是れ名は之を伝へて実は太子をして自ら之を取らしむるなり」と。燕王乃ち璽を収め、三百石より以上皆之を子之に効す、子之遂に重し。
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『韓非子』二柄第七斉の桓公妬みて内を好む、故に豎刁自ら宮して以て内を治む。桓公味を好む、易牙其の子の首を蒸して之を進む。燕の子噲賢を好む、故に子之明らかに国を受けず。故に君悪を見せば、則ち群臣端を匿す。君好を見せば、則ち群臣能を誣ふ。人主の欲見るれば、則ち群臣の情態其の資を得。故に子之は賢に託して以て其の君を奪ふ者なり。豎刁・易牙は君の欲に因りて以て其の君を侵す者なり。其の卒、子噲は乱を以て死し、桓公は虫戸より流れ出でて葬られず。
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戦国策・初蘇秦弟厲因燕質子而求見齊王初め、蘇秦の弟厲、燕の質子に因りて齊王に見えんことを求む。齊王蘇秦を怨み、厲を囚えんと欲するも、燕の質子謝を為して乃ち已む、遂に質を委ねて臣と為る。燕の相子之、蘇代と婚し、燕の權を得んと欲し、乃ち蘇代をして質子を齊に持せしむ。齊代をして燕に報ぜしむ、燕王噲問いて曰く、「齊王は其れ伯たるか」と。曰く、「能わず」と。曰く、「何ぞや」と。曰く、「其の臣を信ぜず」と。是に於て燕王專ら子之に任じ、已にして位を讓り、燕大いに亂る。齊燕を伐ち、王噲・子之を殺す。燕昭王を立つ。而して蘇代・厲遂に敢えて燕に入らず、皆終に齊に歸し、齊善く之を待す。蘇代魏を過ぐるに、魏燕の爲に代を執う。齊人をして魏王に謂わしめて曰く、「齊宋を以て涇陽君に封ぜんことを請うも、秦受けず。秦齊有りて宋埊を得るを利とせざるに非ざるなり、齊王と蘇子とを信ぜざるなり。今齊・魏和せざること、此くの如く其れ甚だし、則ち齊秦を欺かず。秦齊を信じ、齊・秦合せば、涇陽君宋地を有たん、魏の利に非ざるなり。故に王蘇子を東するに如くは莫く、秦必ず疑いて蘇子を信ぜざらん。齊・秦合せずんば、天下變無く、齊を伐つの形成らん」と。是に於て蘇代を出だして之を宋に伐り、宋善く之を待す。
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戦国策・蘇秦死其弟蘇代欲繼之蘇秦死し、其の弟蘇代之に繼がんと欲し、乃ち北のかた燕王噲を見て曰く、「臣は東周の鄙人なり、竊かに王の義甚だ高く甚だ順なるを聞き、鄙人不敏なれども、竊かに鉏耨を釋てて大王に干む。邯鄲に至るに及び、邯鄲に聞く所の者、又東周に聞く所より高し。臣竊かに其の志を負い、乃ち燕廷に至り、王の群臣下吏を觀るに、大王は天下の明主なり」と。王曰く、「子の所謂天下の明主なる者は、何如なる者ぞや」と。對えて曰く、「臣之を聞く、明主は其の過ちを聞くに務め、其の善を聞かんと欲せずと。臣請う王の過ちを謁せん。夫れ齊・趙は、王の仇讎なり。楚・魏は、王の援國なり。今王仇讎を奉じて以て援國を伐つは、燕を利する所以に非ざるなり。王自ら此を慮らば則ち計過つ。以て諫むる無き者は、忠臣に非ざるなり」と。王曰く、「寡人の齊・趙に於けるや、敢えて伐たんと欲する所に非ざるなり」と。曰く、「夫れ人を謀るの心無くして、人をして之を疑わしむるは殆うし、人を謀るの心有りて、人をして之を知らしむるは拙なり、謀未だ發せずして外に聞こゆれば、則ち危うし。今臣聞く、王居處安からず、食飲甘からず、齊に報いんことを思念し、身自ら甲扎を削り、大數有りと曰い、妻自ら甲絣を組み、大數有りと曰うと。之れ有りや」と。王曰く、「子之を聞く、寡人敢えて隱さず。我齊に深怨積怒有りて、之に報いんと欲すること二年なり。齊は我が讎國なり、故に寡人の伐たんと欲する所なり。直だ國弊れ、力足らざるを患うるのみ。子能く燕を以て齊に敵せしめば、則ち寡人國を奉じて之を子に委ねん」と。對えて曰く、「凡そ天下の戰國七にして、燕弱に處る。獨り戰えば則ち能わず、附く所有れば則ち重んぜられざる無し。南のかた楚に附けば則ち楚重く、西のかた秦に附けば則ち秦重く、中ごろ韓・魏に附けば則ち韓・魏重し。且つ苟くも附く所の國重ければ、此れ必ず王をして重んぜられしめん。今夫れ齊王は、長主にして、自ら用うるなり。南のかた楚を攻むること五年、稸積散ず。西のかた秦を困しむこと三年、民憔瘁し、士罷弊す。北のかた燕と戰い、三軍を覆し、二將を獲たり。而して又其の餘兵を以て南面して五千乘の勁宋を舉げ、十二諸侯を包ぬ。此れ其の君の得んと欲する所なるも、其の民力竭くるなり、安くんぞ猶取らんや。且つ臣之を聞く、數戰えば則ち民勞し、久しく師すれば則ち兵弊ると」と。王曰く、「吾聞く齊に清濟・濁河有り、以て固しと為すべし、長城・鉅防有り、以て塞と為すに足ると。誠に之有りや」と。對えて曰く、「天時與せずんば、清濟・濁河有りと雖も、何ぞ以て固しと為すに足らんや。民力窮弊すれば、長城・鉅防有りと雖も、何ぞ以て塞と為すに足らんや。且つ異日は、濟西役せざるは、趙に備うる所以なり。河北師せざるは、燕に備うる所以なり。今濟西・河北、盡く以て役す、封內弊れり。夫れ驕主は必ず計を好まず、亡國の臣は財を貪る。王誠に能く寵子・母弟を愛しむこと毋くして以て質と為し、寶珠玉帛もて其の左右に事えしめば、彼且に燕を德とし宋を亡うを輕んぜんとし、則ち齊亡ぶべきのみ」と。王曰く、「吾終に子を以て天に命を受くとせん」と。曰く、「內寇與せずんば、外敵距ぐべからず。王自ら其の外を治め、臣自ら其の內に報いん、此れ乃ち之を亡ぼすの勢いなり」と。
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『韓非子』外儲説右下第三十五子罕出彘と為り、田恒圃池と為る、故に宋君・簡公弑せらる。患は王良・造父の車を共にし、田連・成竅の琴を共にするに在るなり。二。治強は法に生じ、弱乱は阿に生ず、君此に明らかなれば、則ち賞罰を正して下に仁するに非ざるなり。爵禄は功に生じ、誅罰は罰に生ず、臣此に明らかなれば、則ち死力を尽くして君に忠なるに非ざるなり。君不仁に通じ、臣不忠に通ずれば、則ち以て王たる可し。昭襄は主の情を知りて五苑を発せず、田鮪は臣の情を知る故に田章に教へ、而して公儀は魚を辞す。三。明主なる者は、外に鑒みるなり、而して外事成らざるを得ず、故に蘇代斉王を非る。人主は上に鑒みるなり、而して居る者適はざれば顕れず、故に潘寿禹の情を言ふ。人主覚悟する所無し、方吾之を知る、故に衣を同じくし族を同じくするを恐る、而るを況んや権を借すをや。呉章之を知る、故に説くに佯を以てす、而るを況んや誠を借すをや。趙王虎目を悪みて壅がる。明主の道は、周の行人の衛侯を却くるが如きなり。四。人主なる者は、法を守り成を責めて以て功を立つる者なり。吏乱ると雖も独善の民有るを聞くも、乱民有りて独治の吏有るを聞かず、