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史記 / 燕召公世家

或曰:「禹薦益,已而以啓人爲吏。及老,而以啓人爲不足任乎天下,傳之於益。已而啓與交黨攻益,奪之。天下謂禹名傳天下於益,已而實令啓自取之。今王言屬國於子之,而吏無非太子人者,是名屬子之而實太子用事也。」王因收印自三百石吏已上而效之子之。子之南面行王事,而噲老不聽政,顧爲臣,國事皆決於子之。三年,國大亂,百姓恫恐。將軍市被與太子平謀,將攻子之。諸將謂齊湣王曰:「因而赴之,破燕必矣。」齊王因令人謂燕太子平曰:「寡人聞太子之義,將廢私而立公,飭君臣之義,明父子之位。寡人之國小,不足以爲先後。雖然,則唯太子所以令之。」太子因要黨聚衆,將軍市被圍公宮,攻子之,不克。將軍市被及百姓反攻太子平,將軍市被死,以徇。因搆難數月,死者數萬,衆人恫恐,百姓離志。孟軻謂齊王曰:「今伐燕,此文、武之時,不可失也。」王因令章子將五都之兵,以因北地之衆以伐燕。士卒不戰,城門不閉,燕君噲死,齊大勝。燕子之亡二年,而燕人共立太子平,是爲燕昭王。燕昭王於破燕之後卽位,卑身厚幣以招賢者。

新字:或曰:「禹薦益,已而以啓人為吏。及老,而以啓人為不足任乎天下,伝之於益。已而啓与交党攻益,奪之。天下謂禹名伝天下於益,已而実令啓自取之。今王言属国於子之,而吏無非太子人者,是名属子之而実太子用事也。」王因収印自三百石吏已上而効之子之。子之南面行王事,而噲老不聴政,顧為臣,国事皆決於子之。三年,国大乱,百姓恫恐。将軍市被与太子平謀,将攻子之。諸将謂斉湣王曰:「因而赴之,破燕必矣。」斉王因令人謂燕太子平曰:「寡人聞太子之義,将廃私而立公,飭君臣之義,明父子之位。寡人之国小,不足以為先後。雖然,則唯太子所以令之。」太子因要党聚衆,将軍市被囲公宮,攻子之,不克。将軍市被及百姓反攻太子平,将軍市被死,以徇。因搆難数月,死者数万,衆人恫恐,百姓離志。孟軻謂斉王曰:「今伐燕,此文、武之時,不可失也。」王因令章子将五都之兵,以因北地之衆以伐燕。士卒不戦,城門不閉,燕君噲死,斉大勝。燕子之亡二年,而燕人共立太子平,是為燕昭王。燕昭王於破燕之後即位,卑身厚幣以招賢者。

書き下し

或ひと曰く、「禹、益を薦め、已にして啓の人を以て吏と為す。老ゆるに及びて、啓の人を以て天下を任ずるに足らずと為し、之を益に伝ふ。已にして啓交党と益を攻めて之を奪ふ。天下謂ふ、禹名は天下を益に伝へ、已にして実は啓をして自ら之を取らしむと。今王国を子之に属すと言ふも、吏は太子の人に非ざる者無し。是れ名は子之に属して、実は太子事を用ふるなり」と。王因りて印を三百石の吏より已上収めて之を子之に效(いた)す。子之南面して王事を行ひ、噲は老いて政を聴かず、顧って臣と為り、国事皆子之に決す。三年、国大いに乱れ、百姓恫恐す。将軍市被、太子平と謀り、将に子之を攻めんとす。諸将斉の湣王に謂ひて曰く、「因りて之に赴かば、燕を破ること必せり」と。斉王因りて人をして燕の太子平に謂はしめて曰く、「寡人聞く、太子の義、将に私を廃して公を立て、君臣の義を飭(ととの)へ、父子の位を明らかにせんとすと。寡人の国小にして、以て先後を為すに足らず。然りと雖も、則ち唯だ太子の之に令する所のままならん」と。太子因りて党を要し衆を聚め、将軍市被公宮を囲み、子之を攻むるも克たず。将軍市被及び百姓反って太子平を攻め、将軍市被死して、以て徇ふ。因りて難を搆ふること数月、死する者数万、衆人恫恐し、百姓志を離る。孟軻斉王に謂ひて曰く、「今燕を伐つは、此れ文・武の時なり、失ふべからず」と。王因りて章子をして五都の兵を将ゐ、以て北地の衆に因りて以て燕を伐たしむ。士卒戦はず、城門閉ぢず、燕君噲死し、斉大いに勝つ。燕の子之亡びて二年、燕人共に太子平を立つ。是を燕の昭王と為す。燕の昭王燕を破らるるの後に於て即位し、身を卑くし幣を厚くして以て賢者を招く。

現代語訳

ある人が言った。「禹は益を後継に推したが、その一方で自分の子・啓の配下の者を役人に据えた。年老いると、啓の配下では天下を任せるには足りないとして、位を益に伝えた。しかしやがて啓は仲間と結託して益を攻め、位を奪った。世の人は、禹は名目上は天下を益に伝えたが、実際には啓に自分で取らせたのだと言った。いま王は国を子之に委ねたとおっしゃるが、役人はみな太子の配下の者ばかりだ。これでは名目は子之に委ねても、実権は太子が握っていることになります」。そこで王は、三百石以上の役人の官印をすべて取り上げて子之に渡した。子之は南を向いて(君主の座について)王の政務を行い、燕王噲は年老いて政治をみず、かえって臣下の立場となり、国の事はすべて子之が決めるようになった。三年たつと国は大いに乱れ、民は恐れおののいた。将軍の市被は太子平と謀って、子之を攻めようとした。斉の諸将は湣王に言った。「この機に乗じて攻め込めば、必ず燕を破れます」。斉王はそこで人を遣わして燕の太子平にこう伝えさせた。「私は太子の正義を聞いている。私情を捨てて公を立て、君臣の道を正し、父子の序列を明らかにしようとしておられるとか。わが国は小さく、先に立つにも後ろ盾になるにも力不足だが、それでも太子の命じられるとおりにしよう」。太子はそこで仲間を集め人々を集結させ、将軍市被が宮殿を包囲して子之を攻めたが、勝てなかった。すると将軍市被と民衆は逆に太子平を攻め、市被は戦死して、その屍がさらされた。こうして数か月にわたって内乱が続き、死者は数万にのぼり、人々は恐れおののき、民の心は離れた。孟子(孟軻)は斉王に言った。「いま燕を討つのは、周の文王・武王が殷を討ったときのような好機だ。逃してはなりません」。王はそこで章子に五都の兵を率いさせ、北辺の兵も加えて燕を討たせた。燕の兵士は戦おうとせず、城門も閉ざされず、燕王噲は死に、斉は大勝した。子之が滅んで二年後、燕の人々は共に太子平を立てた。これが燕の昭王である。燕の昭王は燕が敗れたあとに即位し、へりくだり、手厚い贈り物で賢者を招いた。

解説

燕王噲の禅譲が破局に至る段です。ある者は禹から益への禅譲が名ばかりで実は啓が奪った故事を引き、「役人がみな太子の配下なら実権は太子にある」とあおります。王は官印をすべて子之に渡し、自ら臣下の座に下りました。その結果、三年で国は乱れ、太子平と将軍市被の挙兵、市被の寝返り、数万人の死と続き、斉がその隙を突いて燕を大敗させます。孟子が伐燕を勧めたという記述は『孟子』とも照らし合わされてきた箇所です。最後に、廃墟から立ち上がった昭王が身を低くして賢者を招くところで次の段につながります。形式だけの権限委譲がどれほど組織を壊すか、そして内紛が外敵を呼び込むことを、この段ははっきりと示しています。トップの交代や権限の移し替えは、手続きだけでなく、人々の納得と正統性を伴わなければならないのです。

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